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企画展感想②:京都国立近代美術館:生誕100年 清水九兵衞/六兵衞

2022年9月9日、重陽の節句にも関わらず曇り空の日に行った京都国立近代美術館で行われていた企画展。
この日は夜行バスからそのまま行ったので、あまり眠ることができておらず体調は良く無い状況だった。
そんな中だが、モノの見方を変えてくれるような刺激的な作品群に眠気を吹き飛ばされた。

清水九兵衞とは?

以下HPより抜粋
『清水九兵衞/六兵衞は、塚本竹十郎の三男として1922年に名古屋に生まれました。沖縄戦からの復員後、東京藝術大学工芸科鋳金部等で学び、1951年に六代清水六兵衞の養嗣子となり陶芸の道に進みました。陶芸家としての評価が高まる一方で「もの」と周囲の空間に対する関心が深まり、1966年に初めて彫刻作品を発表。1968年に「九兵衞」を名乗り、陶芸制作から離れ、アルミニウムを主な素材とする彫刻家として活動していきます。その作品は、構造と素材、空間などとの親和性(アフィニティ)を追求したもので、日本各地に設置された彫刻からもその創作意識を窺うことができます。
 清水は1980年の六代六兵衞の急逝を受けて七代六兵衞を襲名しました。その作品は、土の性質や焼成によるゆがみを意図的に用いたものであり、そこで得られた経験を、陶とアルミを組み合わせた作品、和紙やクリスタルガラスによる作品などに生かし、九兵衞/六兵衞としての新たな造形を示しました。』

正直初めて知ったが、就活、成人式等でお世話になった都メッセの前にある建造物が清水九兵衛によるモノであり、日々の生活の中に溶け込んでいたのだなと感慨深く感じた。

京都市勧業館みやこめっせ前の『朱鳥舞』

また、この人の生き様が非常に渋く、元々継いでいた陶芸家「六兵衛」として着々と作品を作りながら、新たな造形の形を目指し、「九兵衞」として活動する。その枠にはまらない生き方が、本当にかっこいい、そう思うことができた。

企画展「生誕100年 清水九兵衞/六兵衞」について

まずこの企画展での大きな気づきとして、現在私たちが触れている様々な物は様々な素材によって組み合わされており、その素材というものを私たちは日々意識していない、できていないということだ。
表面状のものだけを見るが、なぜその素材が使われているのか?他の素材はなかったのか?などを考えてみるだけで日々の生活が少し豊かになるのかなと思った。

また、九兵衛の作品は往々にして馴染みのない形で構成されている。
なめまかしい曲線やまっすぐな直線、荒々しい表面や綺麗な断面で表現されたその作品群を見ていると色んなものに例えたくなってくる。
この時に自分は何物に対しても無意識的に意味づけをしており、その意味づけによって人の個性というものが出るのではないかということに気がついた。物事をどのように自分が意味づけているのか、そこを意識することが非常に重要だと改めて気がつくことができた。

最後に表面についてだが、九兵衛の作品では、表面がとても意識されており、表面に様々な凸凹が作られたりされている。
一方でその反対に断面も多く使用され、断面が表面として使われているものもある。
断面を見ると、その鏡にもなるんじゃないかと思うほどの滑らかさに気付かされるが、この断面を表面として使うという部分が非常に面白いと感じた。
自分が日々触れ合うのは表面ばかりであるが、表面は断面を加工したものであり、その加工前のものに思いを馳せるのも面白かもしれない。
最初の素材の部分に通じることがあるが。

この企画展を通じて、対象物とその素材、構造と空間という新たな視点を得ることができたように思う。大満足。


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