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辞世の句(#シロクマ文芸部)

 梅の花を眺めながら考える。
 病室の診察室の窓からは、紅梅白梅が並んで咲いているのが見える。枝にはメジロやツグミが花の蜜を吸いに集まってきた。
 いつの間に春になっているんだ。

 喉のちょっとした異変を感じるようになったのは昨年末頃で、忙しさにかまけて病院へは行かずに、そのうち治るだろうと気楽に構えていた。
 ところが年が明けてから声のかすれと痛みを感じるようになり、妻にせっつかれて掛かり付け医で診てもらうと、詳しく検査した方がいいと言われ、紹介状を書いてもらった大学病院で検査をした。

 いつもだったら、こうして梅の花をじっくり眺める時間がもったいないと思うような、仕事に邁進した生活を送っていた。子育てのことや家事の手伝いなどは全て妻に任せきりで、自分の健康のことだって後回しにしてきた。
 仕事はやればやっただけ、しっかりと数字になって成果が表れて、それが面白かったし、同僚や部下に頼られるのもやる気に繋がった。
 まだまだこれからなのに、喉頭がんの疑いがあると医師から検査を勧められたのが一週間前で、こうして窓から梅の花を眺めながら結果を待っている。

 散る桜 残る桜も 散る桜

 確かこれは良寛和尚の辞世の句だったな。
 桜の花だから綺麗に散ることもできるだろうが、梅の花だと辞世の句も様にならない。診察室の窓から見える梅の花には、小鳥が入れ代わり立ち代わり蜜を吸いに飛んでくる。さっきまでメジロが可愛らしく動き回っていたのに、けたたましい鳴き声を上げて、メジロを追い払って梅の木を独占したのはヒヨドリだ。
 
 もしガンだったとして、ステージはどのくらいまで進行しているのだろうか?手術をすることになったら、もう一生声を出すことが出来ないのか?余命宣告されるのだろか?仕事はいつまでできるだろう?いつまで生きていられる?子どもだってこれから大学受験を控えているし、家のローンだって完済できていない。こんなタイミングで病気で倒れるわけにはいかない。自分の今の精神状態が、ヒヨドリに追い払われたメジロのように怯えているのがわかる。逃げられるものならこの部屋から逃げ出したい。辞世の句なんて、考えてる心境じゃない。

「お待たせしました」
 白衣を着た担当医が慌ただしく診察室に入ってきた。カルテを確認しながら、モニターに映像を映し出す。
「お疲れさまでした、結果から申し上げると悪性のものではありませんでした。ただポリープの大きさが結構大きいので、やはり摘出した方が良いと思います」
 
 なんだ、ガンじゃなかったのか。
 先生は検査結果と、今後の治療方針の説明を流暢に話し続けている。
 
  盥(たらい)から 盥へうつる ちんぷんかん
 
 これは小林一茶の辞世の句だ。
 生まれる時は、盥で産湯に浸かり、死ぬときは盥で体を洗い清められる。 その間の人生は、ちんぷんかんぷんで訳が分からないという意味の句で、飄々とした雰囲気がお気に入りだ。
 死ぬ間際になって、ちんぷんかんって言えるのって、どんな境地だったんだろう?
 まだまだ生かされるのだから、じっくりと辞世の句でも考えてみようか。
 
 

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