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パン作りというアウトプット

アーティストって自分の言いたいこととか表現したいことを創作活動という形で昇華してる認識なんだけど、
どういう道理で?と考えることがよくある。

エッセイとかラジオならまだ分かる。でも政治への不満や好きな人への想いが、どういう理屈で絵や音楽に変換されるのか?
どう考えても天才すぎる。
(商売の場合は除いて、)創作意欲はどこで生まれて私たちのもとに届いてるのかすごく気になるので、創作意欲の工場見学があるなら、1万くらいなら払っても良い。

と、思っていたけれど
最近なんとなく創作意欲というかアウトプット欲が芽生えてきた気がする。
インプットはもともと好きで、この前彼氏に振られてからは読書とかラジオの時間が増えたな、と思ってて、
ただ、それに対してアウトプットが伴ってないせいで何の形にもならずにインプット過多で自分から垂れ流れていってしまってる気がしてもったいないと感じていた。
エネルギーが余ってるというか、、、あとシンプルに何らかの形で周りにウケたい。

ただ、自分には絵心も音楽の才能もないので、留学中から続けてるTwitter(もといX)で思ったことを呟いてみるくらい。正直全然足りない。入ってくる分に対して出てく分が少なすぎる。
しかも限られた文字数で微妙なニュアンスとかを伝えられることが出来ずに余計モヤモヤしたり。
noteの使い方として正しいのか分からないけど自分の創作意欲をうまく解消しながら、出来れば面白い文章とか表現を生み出していきたい。

全然関係ないけどXの文字数の少なさって俳句だなあと思う。
伝えたい内容と伝わる文章の最小公倍数が1番良くて、それにおもしろ係数をかける。
これを140字(?)に収めて、みんなにおもしれーー!!よくこんなこと思いつくなあ、この人のこと気になるなあ。と思わせられたらそれって昔で言う俳句やんね。
そら俳句を制したらモテますよね。光る君へ、すっごい面白いですよね。

彼氏が欲しいかと言われたらそうでもないし、今だにこないだまで付き合ってた彼氏から連絡くるのを待ってるくらいタラタラタラしてますけど、
それとおもしろでモテたい欲は別ものとして強く存在してる気がする。
私はボケたがりなので特に突っ込んでくれる人がよい。しょうもないことやただただ常軌を逸した言動とかも突っ込んでもらえたら嬉しい。
でも私が目上の存在だと、気を遣って強めに突っ込まない、ボケに触れない、みたいなのがあってしょうがないとは思いつつ、だから後輩は苦手なんだよな〜〜〜!!!とか自分がうまく盛り上げられなかった言い訳にしたりする。

アウトプットの話に戻ると、
最近その何か生み出したい欲を解消するためにパンを作ってみたりもしてる。
これが意外と面白くて、パン作りをするまではそんな工程もあるのか、くらいしか思ってなかった"生地をこねる"という時間がパン作りの9割を占める。
文字通りこねるだけなので、なんの変哲もないけど
だんだん柔らかく伸びてくる生地が愛おしくなってきて、
いつになったら捏ね上げの目安となる「薄膜」が出来るんかな〜とか思いつつ、毎回「薄膜」が出来るまでに飽きて次工程にいく。
結局上手く焼けてることが多いので気にしない。

変わらずミュージシャンや芸術家とか、絵をよく描く友達とかすごいな、と思うけど、自分にも創作意欲が芽生えたことで、
少し身近な存在に感じるようになりました。


創作意欲の製造工場ではパンの匂いもするかもしれない。

おわり!

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