「婚前交渉禁止」の宗教に入って青春ぶちこわした話 〜人生失敗シリーズ〜
ある時、巷で全然有名じゃない新興宗教に入っていた。
私があまりにも学生生活に自然に溶け込めていない様子とか、父との不仲に悩んだ母が、学校の同級生ママから勧誘されたらしい。
大きな公民館みたいな施設に着くと、多くの人がゾロゾロと皇族のような普段はなかなか見ないような服装で出入りしていた。当時私は確か高校生で、学生はほとんどが制服だった。
初めて来た人にはたくさんサポート、フォローしてくれる人が付くらしくって、私は社会人の優しいお姉さんや顔のきれいなお兄さんに囲まれちやほやされた。
私はそれが「フォロー」であることもわからずに、私が魅力的でこんなに人に囲まれたんだろうと勘違いしてたと思う。
うら若きJKの私はすぐさまそのフォローしてくれたイケメン社会人に釣られて足繁く通うようになった。
後でわかっていくことだが、フォロー役を任されるのは、やっぱり初対面で好印象を抱かれやすい美男美女が多いのだ。
そこの教義は独特なものが多かった。ていうか、宗教はどれも独特か。
覚えていることから抜粋するとこんな調子。
宗教を信じてない状態で聞いたら「なんじゃそりゃ」なんだけど、宗教に入るときってやっぱ何かに困ってて、判断力が鈍ってて、迷信でもなんでもよくて藁にもすがりたい時に入るものだから
当時、学校での小さな世界の人間関係に死ぬほど悩んでいた私の生活にその宗教は染み込んでいって、水玉柄の服は避けていたし、右手を怪我したら「xxちゃん嫌いって思っちゃったからだ」とか思っていた。
特に、思春期で性欲猿だったわたしに頭から水を浴びせるような"婚前交渉禁止"の教義はよく効いた。婚前交渉禁止なくらいだから、交際をするってこと自体も、教祖からはあまりよく思われていなかった。
学生が「こんな気になる人がいるんですが付き合ってもいいでしょうか」とかご質問をすると、「やめましょう、勉学に励みましょう」とか回答をもらっていたのを覚えている。
その宗教はそーんなに厳しく取り締まるようなものじゃなくて、やりまくり堕ろしまくりヤンキーみたいなのもきてたくらいだから、万が一ヤッたところで追放されたり石を投げられることはなかったんだけど
たとえば、親が信者で、赤ちゃんの頃からそこに通ってる子は「たまご会員」と呼ばれて神格化されて
「社会人になっても純白なあの子は本物だよね☺️」ってかんじの見られ方をした。
たまご会員は赤ちゃんの頃からその宗教の価値観で生きてるからグレることはほぼなく、婚前交渉しないことにいっさいの疑問を持たずに育ち、女性はオナニーのオの字も知らなさそうだし、男性は、たまにいる下ネタ言っちゃう系おじさん信者に、気まずそうな嫌な顔をした。
そんな空気感、処女性・童貞性を崇める感が蔓延していて、私も崇められたくて、青春時代、どんなセックスチャンスや大好きな人ができても、処女でいることにこだわった。
初めて彼氏ができたのは中学生の終わり頃で、ひたすらキスをしまくってたんだけど、セックスしなかったのは単に場所がなかったのとやり方がわからなかったからだった。
でもそれから婚前交渉禁止の宗教に出会ったもんで、わたしはまんこに見えない貞操帯をした。
彼氏といざ合体!となっても、服を脱ぎ始めた頃合いに「ごめん婚前交渉はできないんだ…」とか言って断っていた。
彼の表情はめちゃくちゃ悲しそうで、「俺のことあんまり好きじゃないよね」と言われたりした。
でも、「婚前交渉禁止って、要するに挿入はNGってコトでしょ?!」とひん曲がり解釈をして、キスや前戯、フェラはしたことがあった(笑)。ただ、挿入をひたすら拒んでいた。
学生時代、性格がいいとかほかに魅力があるとかでない私に対しての、男性からの好意なんて肉欲ありきで、挿入なしの関係はどれも長く続かなかった。
それと、「どうせ付き合っても挿入ができないことで揉めるし断るのがダルいんだよな」とめんどくさくなって、交際関係まで仲を深めること自体を避けるようになっていた。これが高校二年生〜大学四年生くらいかな? 今思うと長いな。
※ガバガバ記憶なので、他に書いたなんかのnoteと辻褄が合わないかもしれない。
大学でバカ友達たちとセックスの話をよくしていたとき、一年生くらいの頃は「エッ! 処女なの! 大切にしたほうがいいよ〜!☺️」てな反応だったのが、大学四年生くらいともなると「もういいじゃん、しちゃいなよ😓」と呆れる感じの反応に変わった。
私の根本は「スケベで幼稚園児の頃からオナニーをして小学生でセックス漫画を描いて妄想にふけっていた性欲猿」だったのに、
宗教の教えの縛りのせいで自分にとってヤルべきときにやらず、下ネタは人一倍大好きなのに交際するのは避けて、同世代ほどの経験はほぼなし…というかんじで、なにかをこじらせていた。
大学を卒業して、親元を離れて、宗教も離れて自分を見てみたら、立派なヤラハタになっていた。
やらないんじゃなくて、やれない側になっていた。
私は、同世代に比べて圧倒的な性的スキルや耐性のなさに気づいて、それまでヤレなかったぶんを取り戻すようにほぼ無差別にやりまくった。
自分の性欲を満たしてやる! って思いよりは、同世代の経験値に近づかなければみたいな、千本ノックみたいな感覚だった。数を重ねても無意味なのにね。キモすぎる反動だった。
大切な彼ができたとき、ヤるべきときにヤッていたら、あのキモい無差別ヤリマン時代はなかったと断言できる。
うーん、なんか結局、婚前交渉禁止といいつつオーラルはしたんかいっ! てかんじだし
宗教に救われた部分もあったから宗教は完全悪だ! とも言えないし
なにが言いたかったのかよくわからないけど…
私の人生がこじれた原因に、"未成年時の宗教加入"の影響は確実にある。
私が半生を語りたいと思った時に、信者時代の話は避けて通れない。
宗教に入るのを決めるのは、未成年でなく、大人になって、自分で判断して、自分の行動に責任を持てるようになってからのほうがいいと思う。
子供を宗教に入れるのは害悪だと思う。
世のあらゆる宗教の二世信者が被っている被害は計り知れない。
ってかんじ?
極端な教育や教え、お菓子いっさい禁止とか、ゲーム一切禁止とかTV一切禁止とか
青春時代に性交渉禁止とか
「大多数の同世代がやっているとき」に、「外部からの圧力でやれなかった」ことは
絶対にその後に大きな反動がくると思うから
みんながやってるときに同じことしとくって
大事だなぁ〜と思ったり。
この宗教を通して出会った同世代の子のには、進学や就職などの人生の大きな決断から、どこに証明写真を撮りに行くかみたいな生活の些細な決定まで自分でできなくて、すべてを教祖に「ご質問」している人もいるし
勧誘をすると宗教内での地位があがるから、自分の通学する高校の校門に立って無差別に生徒を勧誘しているという子もいた。
彼らは確実に宗教に人生をぶち壊されていると思う。
結局、宗教に入って幸せだったのかどうかというと
実は、幸せだった。
宗教は、社会人交流会みたいな役割とか
お悩み相談場みたいな役割も果たしているから
その都度、悩み事をいい具合に解決できたし
「世間が思う幸せな人生」に限りなく近づけてくれて、
友達ともうまくいったし、真っ当な人生、正しい人生を歩ませてくれている感があった。
けれど、宗教を離れてみて、私はその「正しい人生、真っ当な人生」に心から満足する側の人間ではないと痛感した。
今でも水玉柄の服を着るのはちょっと躊躇というか、悪いことをしている気分になるし、そんな調子で、あの地方への旅行は不吉…とかで生活のあらゆる選択肢を狭めてしまっていたのが腹立たしい。
自分の判断でメチャクチャな人生になろうとも、教祖の定めた「正しい進路」じゃなくて自分の感覚に合った仕事を選びたいし、教祖の定めた「正しい服装」じゃなくて自分に一番合うファッションを選びたいし
教祖の定めた「正しい本」じゃなくて「完全自殺マニュアル」や「雑草で酔う」をバイブルにしたかったし
薬物の世界に飛び込み、よくないアドレナリンを出している人生のほうが好きだと思った。
ありがとう!ウサギがあなたの靴をなめるよ