【将棋と格ゲー】小池重明という名の将棋指しの話
がんがるさんはプロの囲碁・将棋の世界には全く興味がない人なんですが、実はアマチュアの囲碁・将棋の世界には昔からこっそりと親近感のようなものを抱いていたりします。
というのもアマチュアの囲碁・将棋界には
・碁会所
・将棋クラブ(道場)
といった公共の対戦の場があるのですが、
これがまぁゲーセンとの共通点がけっこう多いんですよ。
たとえば
なんてな村勇者的な話を聞くとこれもうまるっきり昔のゲーセンで格ゲーおじ達が浴びてきた洗礼そのものでしょう。既視感がありすぎます。
そんな感じで勝手に親戚筋のようなイメージを抱いていた界隈にヤバい奴がいた、という話を聞いて買ったのがこの本なんですが、いや凄かった。
正直格ゲーおじ全員に勧めたい。親近感しか湧かないと思うから。
昭和という時代はもはや異世界と言っても差し支えないなと感じることも多い令和の昨今ですが、そういった時代背景を踏まえてもなお凄まじい人物でした。
小池重明とは①
この小池重明氏ですが「真剣師」と呼ばれるいわゆる賭け将棋によって生計を立てていた人物です。
これからWikipediaに書いてある程度の解説をしますが、駄文を読む気にならない人は下に貼ったたけしの偉人伝の特集番組を見ときましょう。多少脚色は入ってますが短い時間によくまとまってて面白いです。
小池重明は主に1970~1980年代にかけて活躍した当時最強のアマチュア棋士で、プロ棋士を相手に駒落ちなしの平手で次々に撃破したことから
「プロ殺し」
「新宿の殺し屋」
の異名を取り、2年連続アマ名人タイトル獲得、さらには時の十五世名人大山康晴を相手に角落ちの手合で勝利する実績をも残しています。
それだけの実力を持ちながら彼がプロになれなかったのは
「飲む・打つ・買う」の三拍子揃った私生活に寸借詐欺、金庫の金の持ち逃げを繰り返すといった素行の悪さが原因でした。
格ゲーおじなら恐らくこのへんで何かピンと来るんじゃないでしょうか?
そう、小池重明とはあの当時全国どこのゲーセンにも一人はいた
「格ゲーだけは強いクズ」をLv.99にしたような男だったのです。
がんがるさんが興味を持ったワケがわかったでしょう。
ちなみに当時小池とつるんでいたアマ強豪の残した回顧録が以下のリンクの
「小池じゅうめい物語」なんですが合わせて読むと面白いです。
書籍の中で「小学校に上がる娘のために・・」と涙ながらに受け取った5万を全額チンチロで溶かしたとか、競馬で90万当てた翌日に財布の中身が100円玉と50円玉と10円玉が1枚ずつになっていたとか余りに酷すぎてフィクションを疑うような話がもう全然本当どころかそれよりもっと酷いことが書いてあったりして笑えます。
そしてこの文章から伝わる彼らの醸す空気感というのが本当に「強いゲーセンのコミュニティ」が持つそれと全く同じなんですよね。一般の将棋ファンからは蛇蝎の如く嫌われていた(実際小池の名前を雑誌に載せると抗議文や不買運動を示唆する投書が雑誌社には相次いでいた)にも関わらず周囲のアマチュア棋士からは慕われているところなんかも完全にゲーセンと一緒で。
将棋界を追放の身でありながらの小池のこの人望はPvPの世界に縁遠い方にはあまり理解出来ないかもしれませんが、これは彼ら一人一人が真剣に将棋をやり込んでいることにより「強さに対するリスペクト」がパンピーと比較して桁違いに高いことに起因しています。
たとえば当時における将棋ファン、今で言ういわゆる動画勢(将棋だと"観る将"っていうんですかね?)っていうのは基本的に虎の威を借る狐ですから、いざ自分が対戦したら手も足も出ない分際にも関わらず彼らが他のプレイヤーを見下しけなす光景というのはそれこそいたるところで見られます。
ところがこのように相手の強さを正しく推し量れるレベルの実力者ともなると社会的地位や素行なんかより純粋な強さに対するリスペクトの方が遥かに上位に来るようになるので、自分以上の強さを持ったプレイヤーに対してはそんな恥知らずな真似は中々出来なくなるんですよね。それどころかその強さにむしろ好感を抱いてしまうぐらいで。
小池重明とは②
小池重明のプロ殺しという肩書ですが、現代の囲碁・将棋の世界ではアマチュアの強豪がプロを相手に勝利するという話は実はそれほど珍しいことではありません。
が、ネットやAIの発達した現代とは違い
当時のPvPはプロとアマチュア間での情報格差が激しかった時代です。
これは格ゲーで言えばネットのない時代~黎明期における関東と地方格差(※の更に上位版。小池の場合アマ強豪と戦うために地方から上京した経緯が既にある)のようなものですから、将棋を全く知らないがんがるさんにもこの事実一つで彼がどれほどの才に恵まれていたかというのは充分に伺い知れます。
その上彼がまともに将棋を始めたのは高一から。
将棋というジャンルにおいてはこれはもう完全に異常な上達速度です。
がんがるさんも多少囲碁に触れたことがあるので分かるんですが、囲碁とか将棋ってアレ実はとんでもない知識ゲーなんですよ。
一般人が持っている
「純粋な読み合いのゲーム」
みたいなイメージはアレはもう完全に幻想で
それこそRev2やBBCFが子供騙しに思えるレベルのクソ知識ゲーです。
数百年~数千年間アップデートも新作もない1v1のPvP
と書けば格ゲーマーにもそのヤバさが伝わるでしょうか。
たとえば、よく「プロは100手先まで読む」とかなんとか言ったりするじゃないですか。
あれは言葉そのものは多分嘘ではありませんが前提として膨大な数の手筋や死活、定石を何年も何十年もかけて丸暗記し、プラス経験則から来る
「ここでこう打つと相手はこう打つ(しかない)」
といった知識の土台だけで既に100手の内の80手90手をカバーしていたりするので、相手が額面通りにそのまま受け取ると嘘になる類の言葉です。
格ゲーで例えるならこれは初中級者が作業を読み合いと勘違いしているようなもので、相手が有段者ともなれば本人にどれほどセンスがあろうがまず知識量である程度戦えるレベルに到達していないことにはそもそも読み合いに至ることが出来ないわけです。
無論この異常な上達速度は後に「将棋に狂っていた」と本人が述懐するほどの努力(※週6で学校サボって将棋道場に通い詰め後に退学)あってのことであり、これを「才能」の言葉ひとつで片付けてしまうのは少々敬意に欠けるというものではあるんですが、同じことを他人がやっても普通はこうはならんでしょう。
その上道場に通うようになってからは将棋の勉強はほぼ実戦のみで個別の人対策は一切せず、家には将棋盤ひとつ置いていなかったときています。
格闘ゲームの世界だとこの手の天才型のプレイヤーは知る範囲ではキャサ夫、クロダ、ヌキの三名ぐらいしか思い当たりませんが、彼らとて人対策ぐらいはさすがにしていたことでしょう(※この三人は当時あれだけ強かったクセに家庭用を持っていなかったことで有名)。やはり別格です。
真剣とゲーセン
一口に「賭け将棋で生計を立てる」といっても相手がいないことには始まりません。
小池がカモと戦う時も10戦したら最初の1回はわざと負けて「いや、お強いじゃないですか」と言ってから9連勝するのがお約束だったらしく、賞金付きの大会なんかでは実力を隠すために決勝戦の相手と談合して事前に優勝賞金を折半する約束を取り付けてからわざと負けたりもしていたそうです。
こういうところもゲーセンと似てるんですよね。
ゲーセンも強すぎると干されるので。
接待しなくても乱入が途絶えないというのはつまりはそういうことなので、基本的に格ゲーで接待が出来ない奴 = 弱い奴です。
といってもゲーセンの場合は将棋のように一度負けた100円を後から取り返すことは出来ないので基本的にわざと負けるということはないんですが、わざとラウンドをくれてやったりして「勝てそうなとこまで緩める」ぐらいは日常茶飯事でした。そうすると「今のは惜しかった」と勘違いした相手がすぐにまた乱入してくるので。上級者がサブキャラを使うのも発端を辿れば周囲との実力差を埋めるためというケースはかなり多いです。
あとは例外として初対面の相手に話しかけるときの第一声に「強いっすねー」って言う便利な言葉があるんですが、これ負けないと使えない魔法の言葉なんで、これを言うためだけに最後の1戦適当にやってわざと負けるっていうのはたまにありましたね。それ以外ではキャラ変したい時なんかもわざと負けることはなくもないです。
おわり
小池重明の棋風というのは「序盤は下手糞だが終盤がA級8段クラス」という極端なものだったそうです。
まるで漫画の主人公のようではないですか。
こういうファンタジスタな棋風も彼が後世に語り継がれる要因の一つなのかもしれませんね。がんがるさんも格ゲーより先にこの本に出会っていたら今頃は将棋の定石の一つも身につけていたかもしれません。
先にも書いたようにがんがるさんには将棋は全くわかりませんが百聞は一見にしかずとも言うことですし、実際に棋譜が残っているということもありAIを導入して並べてみたりしました。
すると本当にその通り勝ってるんですよね。
分かっていても思わず感嘆の声が出ました。
真剣師 小池重明、オススメです。
格ゲーおじは読め。
オプーナちゃんは生まれつき心臓が弱く 一カ月以内に心臓移植が必要です しかし移植には100万×7140円という莫大な費用がかかります オプーナちゃんを救うためにどうか協力をよろしくお願いします