見出し画像

「現実ホラー」

現実ホラー(造語)[→げんじつほらー]
観る者が恐怖感を味わうことを想定して制作されている作品の舞台が現実と地続きであることにより増した恐怖感
「-は洒落にならない気がする。」

最近、書きたいことから、無理くりワードを作るパターンが増えてきてしまいました。書ける日と書けない日の波が大きい。ワードが浮かんでも、その日を記すことにならなかったり。んで、今回は、起きたことから、無理やりな新語を。だから、説明も無理やりな長さ。

話題のNetflixオリジナルドラマ『呪怨:呪いの家』を観まして。

好きでは無いタイプの映画で、呪怨シリーズも今までに一度も観たことが無かったけれど、監督の三宅唱さんファンであるので、とりあえず観てみたら、これがなかなかにヤバい。ホラーって観てる間は怖いけど、観終わったらスッキリしたりするもんじゃないですか。後を引く奴でも、一回、寝れば忘れてしまうもんじゃないですか。

全然、怖さが持続してんの。別にメチャクチャ怖いキャラとかが出てくる訳ではないんですよ。霊自体も、人の形は留めてるし。今までの呪怨シリーズみたいに、白塗りのキャラが顔や身体を歪ませたりもしない。終盤にこんなのは出てくるけど。

E1から早々に暴力シーンがあったり、E4あたりからゴア表現というか、見るに堪えない残酷なシーンはあったりする(しかも、それがなかなかに長い)ので、確かに正視するのはしんどいことも多いのだけれど、目をつぶっていれば、何とかなるもので。

でも、本作で描かれてるのは、完全に人間の狂気なんですよ。家の呪いによって狂わされてしまった人間たちが、残虐な行為に走る。その家の呪いってのも、あくまで間接的なもので、元々、その人間に備わっている狂気を引き出しているに過ぎない。そして、その呪いは伝染し、留まることなく広がっていく。その呪いというのも、亡くなった人の怨念がきっかけになっている。全てが、今、僕たちが生きている現実と隣合わせにあるような。

さすがに個人的に呪いは信じていないけど、人の思いみたいなものは人を介して伝染していくものなので。いきなり人が蒸発みたいな明らかに非現実なシーンもあったりするのだけれど、作中で何度も「当該人物だけが見えている人」みたいな描写(ドッペルゲンガーみたいのとか)があったりするので、もしかしたら、それを観ている当該人物には"蒸発したように見える"みたいなものかもしれない、とか思うと、全てが現実に起こったことのようにも思ってしまう。あらゆる残虐な行為には、必ず理由があるし、死ぬ人も、そこに至る話が飛躍なく描かれる。

なんでしょうか。この現実に近いホラー作品の嫌さ。しかも、舞台は日本のとある場所な訳ですよ。ロケも、ちゃんと日本で行われてるし。作中で何度も、平成の世に現実で起こった事件についてのニュースが流れたりする。オープニングから「『呪怨』は実際にあったことを元に作られてる」なんて嘯いたりしてる。

元となった自主制作.verも観たんですが、こっちはお馴染みの俊雄くんが出てたり、ストーリー自体も断片的な感じがあったりで、架空感が強かったのに対して、本作は、もうとことん現実感が強い。

この「現実ホラー」は、作って良いものなのだろうか。映像作品としては、とても良く出来ている(見返すとその構造の巧みさに驚く)し、キャストの皆さんの演技も素晴らしいし、カメラワークや音楽や照明など、本当に良く出来ている。日本のNetflixオリジナル実写作品で、ようやく、世界水準の映像作品が出来たと言えるでしょう(アニメだと『DEVILMAN crybaby』とかあるので)。ちゃんと日本らしい作品になっているのも素晴らしい。(これまでのNetflixオリジナル日本実写作品がアレだったけれど)

ただ、当の日本に住んでいる観客としてはなかなかに恐ろしい。何となく、足を踏み入れてはいけないところに行っているような気もする。呪われた本人はどうしようもないという現実。何となく、どこかにありそうじゃないですか。不審死とかも、もしかしたら、そういうことかもしれないし。本人にだけ見えている霊的な何かがあるかもしれない。

もはや、怖さを取り除くためには、この作品の作り物っぽさを無理やり探すしかないと、ビデオオリジナルの前作における俊雄くんの過剰な描写を観て笑ったり、その後に本作を観直して、あの家にさえ近づかなければ大丈夫と自分に言い聞かせたりしました。

大丈夫、大丈夫。

画像1