記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

ディーン・フジオカ主演「Pure Japanese」の狂気について【PureJapanese鑑賞録】


先日こんなツイートを見つけました。

 実は私結構映画が好きです。というか、アリ・アスター作品めちゃくちゃ好きで。

 監督本人がとにかくやべー人だなというのも含めて結構彼の作品を見ています。ミッドサマーはコロナ禍直前くらいに公開で、大慌てで観にいきましたから。へレディタリーも結構好きなんですが、ミッドサマーの「ヤバさ」というのはおそらくへレディタリーのような「悪魔」とかいうモノではなく徹頭徹尾人の「狂気」なんですよね。そしてあれをラブストーリーとか言っちゃうアリ・アスター監督もなかなか凄まじい御仁だなと思っています。

 でまあ、そういう経緯でいやあ……へレディタリーレベルなら観にいきたいなあとか思って、しかもディーンフジオカ主演だし、面白そうだ。そう思って行ったんですね。

 ぶっちゃけると、いやなにがアリ・アスターやねんもっと怖いわ、となりました。

 そもそもこれ、アクション映画とかいうなよ……。アクションならもうちょい、こう、空虚さを無くすだろ……! そもそもなんだこの血糊。いやいや。ホラーじゃん。めちゃくちゃにホラーじゃん。いっっっっっっっさい幽霊出てこないけどこんなん詐欺やぞ。

 

 五回くらい映画の中で「ふざけんなよぉぉぉぉ」と叫んでました。心の中で。いやあ、マジで怖い。何これ。そしてやっと咀嚼してヘロヘロのツイートしたらまさかの公式垢にリツイートされてしまいました。うせやろ二回目です(一回目はアクション映画と聞いて本編始まって30分くらいのところで思った)。

 というわけで私の考える「Pure Japanese」の「すごさ」というか「魅せ方」を以下つらつら語って行こうと思います。ちなみに書き上げたら八千字くらい語る怪文書ができてて爆笑しましたお前相当この映画好きになったんだな……。

 ネタバレをディーン鍵垢号さんがOKしてるらしい(らしいという伝聞で非常にすまない)ので、ネタバレがっつりありますごめんね。最後までPJに狂ったやばい人間の妄言にお付き合いくださいませ。

1 とにかく立石くんがやばい

 まずこれを書いて大丈夫なんだろうか……? と思ったけど実際のところディーンフジオカ演じる「立石大輔くん」という主役。彼が強靭なメンタルの狂人です。駄洒落ではなく本当にそうなんですよ。

 立石くんのすごいのは「嘘を平然とつけるところ」と「人と違うことを平然と行ってしまうところ」、そして「正しいと思ったものへの信仰というか執着」の三つ。これだけで人は狂うんだなと思いました。

 そもそも立石くんは狂人なんですけど、だからといってホアキンの「ジョーカー」のように分かりやすく人に蔑まれるタイプの狂人ではないんですね。元々アメリカ生まれで、バイリンガルで、でも日本にルーツを持ち名前も日本人なんですよ。でもかけちがってしまう。

 実はこれ私も経験していまして、共感がすごかった。私は元々インターナショナルスクールに通っていましたが、幼稚園くらいに英検三級、小学校二年で英検準二級取ったんですね。そんな感じだったので結構当時は英語喋れたし英語と日本語チャンポンでした。しかし一年でインターナショナルスクールをやめて日本の、しかも京都の、私学小学校に編入した瞬間めちゃくちゃいじられたというか、馴染めないんですよ。日本人のコミュニティに。

 日本っていう国がかなり閉鎖的であるのはそうなんですが、子どもは特に顕著です。英語が喋れるだけで「ガイジン」なんですよ。しかも元々自分は色素も薄めなので髪の毛も茶色く、ずっとハーフだと思われていました。なのに日本名だからという理由で「勝手に日本人なるなや」とか言われちゃうんですよ。

 で、元に戻して立石くんです。彼はそれなりに優秀なんですよね。そもそも英語で教育されてきたのに高学年になって日本に来て、その上で日本語のみでなされる日本の教育に普通についていくだけですっごい優秀ですよ。でも彼はそこにアイデンティティのゆらぎを持ってしまう。そして結果として「いじめられ」てしまう。そしてこの時に光の反射で……ってのがひとつの要因みたいに描かれてたんですけど、しかし光の反射はあくまで引き金でしかないんです。

 おそらく彼の「やばさ」に挙げた三つはこの彼の特異な(日本においては少なくとも特異な)生い立ちが起因していると思います。

 まず嘘を平然とつけるのは日本人だから……ではなく、本気で思ってるんですよ。人間て嘘つく時って、「嘘だな」って思ってるからバレるんですが立石にとってそれは「言霊」であり「事実」になるんです。

 それこそ、いじめられた相手を殺した瞬間についた嘘は「光のせい」なわけです。これは自分自身に対してついた嘘なんですよね。でも実際はいじめてきた相手を殺したのは立石だし、立石は自分が殺したいから殺したんですよ。でもそれを巧妙にすり替えて反射のせいにしています。その後おそらく知らぬ存ぜぬで殺人の事実を無かったものとして押し通した彼は、嘘を嘘なのか、現実なのか、もうわかんなくなっていったと思うんです。しかもその一回の成功体験で、「光の反射で人を殺してもいい」というスイッチができてしまった。結果、アメリカでもう一回人を殺しちゃうんですよ。

 そしておそらく隆三さんに関しても後述しますが、あれは「殺人」なんですね。隆三さんを殺せば何が起こるか。アユミちゃんが褒めてくれるんです。結果的に彼は人の願望で殺していくタイプの機械に成るわけですが、その際のスイッチはおそらく自分では理解していないけど「誰かのため」だし、そこを光の反射ですりかえてるんですね。

 で、次に人と違うことを平然と行っちゃう部分なんですが。

 おそらくいくつもいくつもあるんですよね。最初の忍者の格好してるくせ音響してるところとか。隆三さんのお葬式にまさかの袴で行っちゃうとか。神社で木刀素振りしてるとか。

 あれ、全部アイデンティティの揺らぎが原因なんだろうなあと思いました。日本という国にルーツがある自分。でもそれを認めてくれる人間はゼロなんですよね。そして結果としてPJキットにハマっていくんですが、それまでは自分しか自分を日本人だと定義してくれないんですよ。その結果、人と違うことをしてでも日本人になるんですよね。

 でもこれも、もしかすると立石はわかってやってるのかもしれないんです。人に異様と見られていることは、実は理解しているんですよ。その証拠に立石くんは送別会に行くんです、怖いねえ。彼は人に見られることはわかってて、やってるんだろうねえ。その上であの変な行動なのが尚更こわいんですよ。こいつわかってやってやがる。わかってて、「俺は日本人なんだ」「純粋な日本人なんだ」ってのを表現してるんです、だから異様なんですよね。

 なんならずっと蹴られてるシーンも、あれ印象操作なんじゃない!? となりました。一方的に蹴られている立石くんはめっちゃ可哀想じゃないですか。痛い……ってなるんだけど、あれこそがおそらく目的です。だって多分彼、痛いの平気だもん。アクション俳優だから当然受け身できるんですよ。慣れてるし。でも無抵抗で蹴られることで確実に「この人は可哀想な人なんだ」ってのを演出できちゃうんですよね。うわあもう怖い。

 そして、この人と違うことを平然とやっちゃうことの原因の一つでもある「執着した対象には盲目的である」、これがすごい効いてくるんですね。正しいと思うから、殺す。正しいと思うから、変な行動をする。正しいと思うから、一生をただの女子高生に賭けてしまう。

 最初、私は立石をサイコパスと思ってたんですが彼のヤバさは別にサイコパスではないんですよね。彼の中で嘘は事実だし、殺すことを正当化しないと殺せない。ただの人間なんですが狂人なんですよ。もしかするとなんらか診断はあるのかもしれませんが、私にはわからない。それは多分周囲の人間も観客もそう思うはずです。立石はただ狂人なんですよ。

 そして何がさらに恐ろしいって「エア切腹」とかやっちゃうのね。なんでよ。痛いじゃんとか思うけど、これも自分の中で正しい行いなんですよ。何せ後で公式がツイートしてた内容に「立石のルーティンは神社で非科学的なトレーニングをすること」だそうですから。おそらく切腹もルーティンなんでしょうね絶対嫌だけど。

2 アユミの「したたか」さ

 立石大輔のヤバさを1では見てきましたが、アユミという女子高生もなかなかの曲者なのがこの映画のいい部分だと思います。

 多分アユミってすごい良い意味でも悪い意味でも「子ども」なんですよね。祖父のお金をあてにしながら、一方で自分はパブで働いてる。おそらく自由なお金が欲しいからで、進学の足しにもするんだろうけどあんまり考えてないんですよね。自分が祖父に愛されていることをわかってての行動なんですよ。その打算的な発想が、おそらく無自覚に立石を絡め取っていくんですね。

 そもそもアユミの怖いところは隆三さんを無自覚のうちに「死んでもいいかも」くらいに思ってるところだと思います。それを感知されて立石は隆三さんを後ろにのっけたまま「発進」してしまうわけですが、その後の葬式シーンでアユミは立石に詰め寄るんですよ。

 ここがほんっとに怖くて。

 いやいやいや君殺せって思ってたじゃん!? でも毒なかったよって立石に言っちゃうの!? となった時にゾッとしました。

 いわゆるホラー映画の子どもの霊ってすっごい理不尽じゃないですか。クロユリ団地然り、仄暗い水の底から然り。それはおそらく子どもが快楽に弱く本能的で、理不尽な存在だからなんですよね。大人が理解できない文脈と理論で動くのが子どもなんですよ。

 アユミはホラー映画の子どもの霊みたいな動きなんですよね。ひたすら快楽に走り、隆三さんの愛を確信しつつも自分は返すということにも思い至っていない。子ども特有の万能感と傲慢さが見え隠れするのがあのシーンだと思います。

 そしてアユミは立石に対しても同じような態度なんですよ。利用し尽くして、最後は必要なくなるんです。だから最後立石は死ぬんですよね。おそらく。立石は「殺したい」という純粋な殺意の塊でもあるので、アユミの無意識の殺意に反応するんだと思います。多分立石の役者仲間も似たところあります。鮫島とかちょっとなあ……ってなる。でも、アユミほど顕著じゃない。アユミは分かりやすく搾取する側……なんですね。

 しかもアユミって別に立石の拠り所でもない、という役割が怖さ倍増です。だって立石のアイデンティティを与えてくれるのは実際「日本人かどうか」で、アユミはそれを煽るだけ煽って終わりなんですよ。いや無責任だなって思うんです。でもアユミ自身はそれを煽ってるとも思ってないのもなかなか酷い話なんですよね。あくまでアユミは立石を利用する、いわゆる持ち主なんですよ。必要無くなったら捨てちゃえる立場なんですね。そして立石も「アユミの武器」という立場に甘んじてるんですよ。なんだこの歪な構図、となったんですが実際問題どの世界でも強者は弱者に寄生される対象でしかないんですよね。それこそコバンザメのように、大きな影に隠れて自分の利益が優先、みたいな。しかも寄生なので一切宿主に利益がないんですよ。

 アユミは、立石と隆三に寄生するだけ寄生した挙句必要無くなればすぐぽいってできる立場の女なんです。二人のファムファタルがアユミなのだろうなあというのはそうなんですけど、はっきり言えば女王蟻とかそっちに近いのがあの年端もいかぬ女子高生なんですよ。もはや支配者なんです。アユミの怖さってそれこそ「ミッドサマー」で描かれたカルトのようなものなんですが、あれを一人の女の子が体現してるってのが尚更怖いですよね。

 立石が両手を上げた招き猫を持ってきたアユミに対して「強欲だな」的なことを言うんですけど、あれはほんっとに直接的すぎてその時はわかりませんでした。いやほんまにわからんよあんなの。思い返して「いやいやいや直接的に言いすぎやろ!?」になりましたがね。ほんとにずるい役割をアユミに当てたもんです。

3 Pure Japaneseの演出など

 いやもう本当にこれに関しては素直にディーンさんあなた何食べたらこんな発想になるの、の一点張りですが、それだけで終わらないのでもうちょい掘り下げていきましょう。

 まず、PJキットを「鼻の粘膜」で計測する機械にしたあたりがすごいですよね。PCR検査のようなイメージ。「受けないとお前は仲間じゃないぞ」っていう暗喩なんですよあれ。うっわこっわ。いや別にPCR検査が怖いわけでもコロナを甘んじているわけでもないんですが、それはそれとして世間の「空気」としてワクチンなどを受けないとお前は人じゃないみたいな意見まで見えそうな、そういう危うさがあると思うんですよ。で、そのイメージで作り上げられたのがおそらくPJキットなんですよね。

 しかもPJキットはジョークグッズである、というのがまたにくい演出ですよね。尚更信憑性がない。しかも別に有用でもない、ただの「おもちゃ」である。コロナ対策のためのPCRとかワクチンはめちゃくちゃ有効ですが(私も打ちましたし、あれは必要だと思います本当に。しんどかったけどねファイザー)、PJまったくもって意味がない。

 それを信じてる立石は実際のところすっごい滑稽なんだけど、アイデンティティのゆらぎがある以上そこにしがみついちゃうのは仕方がないなあと思います。そしてあのPJキットって世間ではどれくらい浸透して、どれくらい信じてるのかと思った時に立石ほど依存してる人ってすっごい少数なんだろうなあと思います。多分PJキットの正しい使い方は「俺〇〇%だった〜」「マジかわろた」的な、ほんっとに緩い感じの、コミュニケーションのきっかけのひとつにする、くらいだと思います。まさかあんな、暴力装置のスイッチになるとか思ってないってば。

 そして、次にシュールなシーンを確信犯的に入れてるところ。ぶっちゃけ笑えるはずなんですよね。最初の忍者の格好して音響してたりとか、ちょっと早く音出ししちゃうとか、葬式で袴だったりとか、ヤクザとバチボコにやり合ったりとか。いやそんなわけないやろとなるはずのシーンで、笑いにくいんです。これコロナだからこそできる演出ですよ。だって声出しちゃいけないのがデフォだから。もしこれ声出していいなら誰か笑い出したら爆笑できるはずなんですよ。でも今この状況下では絶対笑えないし、笑ったとしても不安になる。立石が真面目であれば真面目であるほど笑えないんですよね。これがいわゆる「日本人的」な感覚なんやろな……とゾッとしました。そしてこの、笑えない自分が正しいのか、笑った方がいいのかわからなくなる感覚がまさに「PureJapanese」という装置なんですよね。意外と同調圧力に染まってるじゃん……て気づくし、このふとした瞬間、銀幕にいない自分にぞくっとするのが本当にディーンさんのいう「体験」だと思います。

 それに、一つ一つ考えれば別におかしくないんですよ。忍者の格好するのもアクション俳優だし、葬式で袴着るのだって別におかしいか? と聞かれるとわからない。ヤクザと勝負するのだってあり得ない話じゃないのになんとなく私たちは「フィクション」と捉えてしまっていて、しかもそれをめちゃくちゃリアリティ溢れる演技にボコスコ投げ込んでくるからシュールに思うんですよ。

 これはどこかの誰かが言ってましたが、リアリティ溢れるってのは経験してないことにも使えるそうです。例えば我々はイラク戦争に行ったこともないのに、イラク戦争をドキュメンタリー風に描いた映画ではカメラに血がベトっとつく演出に「リアリティ」を感じるんですよね。これは大半の人が経験していないからできる「リアリティ」だと思います。

 じゃあ、その逆は? となるとこれなんですよ。めちゃくちゃシュールに見せるには、演技ではないような自然な演技のなかにフィクションっぽいリアリティを持ってくることなんじゃないかなと思います。実際にあるけれど、半数は経験してないよね、みたいな。だから逆に言えば経験した半数はこれが変だと言われてまた疑心暗鬼に陥るわけですよ。

 そして、舞台設定もすごいですよね。あの神社めっちゃ怖いじゃないですか。苔むして異界感ある神社、そんな神社で木刀振り回してるのただの不審者ですからね。でもあの中だと一切違和感がないんですよ。でも一歩神社の外に出ればただの変人なんですよ。その切り替え方がすっっっっっごいうまくて、尚更シュールに感じてしまう。もう堂々巡り、ウロボロスですよ。なんだあの演出。まるで錯視のように、存在するものだけで実際にはないはずの図形を描くみたいな、そう言う感じ(語彙力)なんですよね。そしてその錯視は錯視なのではなくトポロジー上で一緒の図形なだけだというのを突きつけられると言うか。

 我々なんとなく日本人的だというか、「これはこうだよね」という最大公約数的な解が存在する世界で生きています。それはおそらく日本という文化圏においては当たり前な話なんですね。だからこそ異質な立石のような人間は確実に「おかしい」と思っちゃうんですけど、でも立石も内包して日本なんですよ。なんなら我々は最大公約数の解だと思っているだけで、人それぞれ違うのかもしれない。

 トポロジーというのは、ドーナツもコーヒーカップも同じものとみなす学問のひとつだそうです。それと同じことがおそらく我々の実生活の中で生まれている。立石は偶然穴が空いていない答えしか持ってなかっただけで、みんな持っているのはもしかするとドーナツかもしれないしコーヒーカップかもしれないし、あるいは穴あきのしゃもじかもしれません。それなのに全てを同じと見做しているのかも……と気づいた時にすっごいアイデンティティが揺らぐし価値観も揺らぐんじゃないかなと思います。そしてこれはPureJapaneseの副作用ではなく確信犯的な演出じゃないかなあと思っています。何せこの映画自体が「PJキット」だそうですから。

 そして、おそらくこの演出はディーンフジオカという「逆輸入俳優」だからできたことなんだと思います。彼はなんだかんだとセンセーショナルな人ですが、一方ですっごい冷静だと思います。立石を演じているし似た生い立ちにしているくせに立石とは全く違うパーソナリティだからこそこういう演出なんですよね。こう、日本人を、日本人に溶け込めない人間を、すっごいヘンテコに見せかけてただただ冷静に描いている。

 めちゃくちゃうまいこと「日本人性」というものを国家主義でもなく選民的でもなく右翼でも左翼でもなく描いてるの、本当にやばいなと思います。何食ったらこんなの思いつくんだ。

 

4 その他もろもろと総括

 とここまで語ってきましたが、多分見た方が早いです。結論それかよと思うかもしれません、私ももう一回観に行ってみるつもりではあります。だってふっつーにおもろいもん。ディーンフジオカ氏は格好いいし。アラフォーなのもポイントが高い。ほんっとにいい渋さですよね……SUKI。

 あと、どこかのサイトに「アユミに自己肯定されたから立石は暴力を振るうようになった」みたいなのを書いてあったんですけどいや違うやろ! と思いました。いやないやろ。だって立石にとってアユミを含め全てが起爆剤なだけです。何せ彼は「純粋に」「日本人になりたい」人間なんですよ。そこにアユミへの感情とかはない。アユミは立石にとってたかだか触媒でしかありません。立石自体が変化していくだけで、立石とアユミは相互で関係しておかしくなっていくわけじゃないんですよね。

 そして最後のシーンについてちょっとだけ語って締めようと思います。

 Pure Japanese、普通に立石にとってはいいエンドだったと思います。意外と彼、死に意味とか見出しそうなタイプですからね。そしてこの映画での「死」の描かれ方がすっごい軽いんですよ。隆三さん然り、他の人間然り。だから側から見ればイージーに死んでるしイージーに救われてしまっている。その安易さが拍子抜けしてまた滑稽ではあります。

 最後、アユミが「Row Row Row Your Boat」を歌っているあたりも結構変ですよね。神社でなんで? っていう。でもあれは意外とアユミなりの弔いなのかもしれません。変な人間いたなくらいですが。でもそれを含めておそらく立石は自己満足して逝ったんじゃないかなあと思います。そして多分あの後アユミはどうでもえーわ! くらいに東京に飛び出して二度とあの田舎に戻ってこないんだろうなあと思いました。「Row Row Row Your Boat」の最後の一節は「Life is but a dream」ですが、これは人生はただの夢という意味ですよね。人間の一生は夢みたいなもので、人偏に夢と書いて「儚い」です。この場合は儚いというよりも脆いというかそこら辺の意味も含みそうな気がしますが、弔っているはずのアユミがそんなことを知ってか知らずか口ずさむあたり最後までひどく皮肉的だなあと思いました。

 とまあこんな感じですが、ここまでお付き合いいただいた皆様目が滑ったはずです。本当におつかれ様でした。まああの、ぜひ見てください。見てコメント欄などで感想教えていただければPJがもっと楽しくなると思います。よきPJライフを。

 オカモト

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?