ミドル世代を苦しめる、昭和時代のDNA
こんにちは。花木裕介です。
昨日はこのブログを始めるきっかけについて書きました。
今日はなぜ私が病気がきっかけとはいえ、挫折からなかなか立ち直れなかったのかを書いてみようと思います。
キャリアアップ=勤務先での出世?
父は昭和世代のサラリーマンで、私もその影響は多分に受けて、生きていました。
・男は一家の大黒柱であるべき。
・勤務先でキャリアアップして、少しでも良い生活を送れるよう頑張るべき。
そんな意識が無意識のうちに、私に刷り込まれていました。
それは、結婚し、子どもが生まれるにつれより高まっていったように思います。
そういう時代ではなくなってきている、と巷では言われているものの、脈々と受け継がれてきたDNAとでも言うべきものは、簡単に切り替わるものではないようです。
「キャリアアップ=勤務先での出世」と捉えていたわけですね。
趣味で本などは書いていましたが、本業はあくまでも仕事。そこで成果を出すことに躍起になっていました。
だからこそ、病気をきっかけに、その出世が遠のいていくことがとても辛い、ともするとキャリアの終わりのように感じてしまったわけです。
1社にキャリアを捧げ続けてきた場合……
私の場合、何社か転職もしていましたし、もともと実績十分だったわけでもないので、まだ傷は浅いほうかもしれません。幸い、共働きでもあったので、その点も幾分ゆとりがあったかもしれません。
でも、もし一馬力、かつ、それまでのキャリアを一社だけに捧げ続けたあげく、キャリアアップが叶わぬものとなった場合、そのショックたるや想像に難くありません。
しかも、人事の判断は不透明だったりもするので、「なぜ俺ではなくアイツが……」と納得いかない部分もあるでしょう。
もちろん、転職という道はあるかもしれませんが、それには家族の同意も必要ですし、場合に寄っては今手にしている待遇以下になるリスクも孕んでいます。
「外発的動機づけ」が失われる弊害
こういう期間が数年間続いてしまうと、いかに優秀でモチベーションの高かった人材であれ、それらを維持して勤務し続けるのは容易ではなくなります。
「外発的動機づけ」「内発的動機づけ」という考え方があります。
「外発的動機づけ」は、出世や待遇などをモチベーションに頑張ること。「内発的動機づけ」は、内なる思いや信念をモチベーションに頑張ることと定義されています。
この「外発的動機づけ」が失われた状態で、生きていくわけです。もともと「内発的動機づけ」がとりわけ高い状態の方であればまだしも、やはりミドル世代くらいまでは「外発的動機づけ」も必要になることもあるでしょう。
家族を養っていかなければならないし、自分たちの老後の蓄えも必要ですからね。
これまでの仕事を通じて得た経験を、世の中に認められたいという名誉的な欲だってあるかもしれない。
これらがぷつりと切れてしまう状況は、多くのサラリーマンにとって辛いものです。
私もなんだかんだで折り合いをつけるまで5年くらいかかりました。
折り合いがつけばまだいいほうかもしれません。もしかしたら一生消えない傷となっている方もいらっしゃるかもしれません。
そんな方々に向けて、この連載は続けていきたいと思っています。
(つづく)