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写真家とは違う何か。

最近では写真家ではない何かが蔓延している。

最近のカメラで一番売れているのは、iPhoneである。

スマホのカメラで写真は撮れてしまうし、いい写真の撮り方なんて言うのは本が山ほど出ている。

やろうと思えばYoutube でも写真の勉強ができてしまう。

そんな似たり寄ったりの写真が増える中、独特や独自の写真は光を見ない。(ことが多い)

”明るく、かわいく、分かりやすい。”

この三つをできている写真が伸びるのだ。その人の写真の技術とは別に。

流行り廃りがあるように、世代によっても好きな作風というのがあるのかもしれない。

全員に愛されるものを作り出すというのは、難しいのかもしれない。だが、実際に自身が知らなくとも、たくさんいるのだろう。

しかしながら、量産型男子のように型にはめて撮った写真がマーケティングに刺さったり、被写体さんが有名で写真を載せてもらってバズッたなんてのもある。

被写体さんを見つけるという技術やコミュニケーションの技術、行動力。いろいろなところで必要な資質はあるが、最終的には自身が何を表現したいかになる気がする。

女の子がかわいく撮れればいい?風景がきれいに撮れればいい?

そこで見ている相手に何を伝えたいかが兎角重要なのである。

インスタグラムなどで行われている、フォロワーといいね数によるマウンティングはつまるところどうだっていいし、どういうポリシーを持って撮影してるの?と聞いてみたい。

私は、明るい写真や大衆受けのする写真はあまり好きではない。もちろん頑張れば撮影できる。誰だって明るい写真は勉強さえすれば撮影できてしまう(これは少し言い過ぎ)。撮影するなら、だれにもまねができない撮影にしたい。もちろん自分より写真がうまい人なんて腐るほどいるし、その人たちだって頑張れば僕の写真のマネなんてできてしまうかもしれないけど、普通には分からないところで、この人上手いなと思わせたら勝ちだと思っている。

写真展に出して、異彩を放ってたらかっこいいでしょ。

写真に対して思うことは人それぞれだし、自分の好きを言葉で表現できることに対してそれ以上のことはないけど、実際に見てもらう中で写真は消費されていく世の中だから、語りすぎるのではなく、立ち止まって見てもらう。忘れないでいてもらう。このことが写真を写真家にとって一番の幸せなのではないかなと思う。

僕は写真家ではない。それでも写真を撮る。

誰かに立ち止まって見てもらえるような写真を撮りたいし、作品を見て僕の作品だと分かってもらえるのが最高だけど、誰が撮影したのかなって調べてもらえたらいいかな。

僕のポリシーは

”視覚的な効果ではなく自分がそこにいて、見ているように感じてほしい。イメージや美化したものではなくそのまま、ふとした瞬間が撮影したい。”



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