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個人的最高評価した5つの音楽バンド(1980年代~2000年代まで)

以前ワードプレス(ブログ)で書いていた記事です。そちらの記事は非表示にしていたのですが、埋もれさすには惜しいのと、好きなバンドの事を少しでも知って欲しい事もあり、noteに転載しておきます。
(見出し画像クリエイター:どんむ様)


1980年代から2000年代までの最高評価をした音楽ユニット5つの紹介

筆者は一時期、1980年代から2000年代までのマジョリティ・マイノリティ問わず、様々な音源を収集し、(ど素人にも関わらず)聴いては一つひとつ評価(レビュー)していた。

恐らく1000曲以上の楽曲を聴いてレビュースコアを付けていたのだが、結論としては5つの音楽ユニットのアルバムを最も評価していた。
別の言い方をすると、この5つのバンドのアルバムのみに100点の最高評価を付けていた、という事になる。

最高評価バンド①GARNET CROW

最高評価を付けた一組目はGARNET CROW(ガーネットクロウ)。
Being系列の音楽レーベルGIZA studioに所属する4人組のサウンドクリエイター集団だ。
1999年結成、2000年メジャーデビュー。2013年にユニットを解散した。

私見では2000年代最高峰にある音楽ユニット。
深い味わいを持つ楽曲群を多数輩出した。

バンド評価レーダーチャート

ユニットとしての特徴は、作曲とボーカルをフロントマンの中村由利が手掛け、作詞をキーボードのAzuki七が専任で行っていること。
Jpopの女性ボーカルユニットでよく見られる「フロントマンの女性ボーカルが作詞、他のメンバーが作曲」という形態とは逆になっている。

また、GARNET CROWの楽曲では曲が先行で作られ、詞が最後に充てられる「曲先」となっている。
メンバー4人で行う楽曲製作は完全分業制であり、多くの楽曲は以下の1から5までの工程を通じて作成されている。

中村由利(作曲家/ボーカリスト)
作業担当:作曲
(この時、中村が付けた「仮の詩」が英語で歌われている)

古井弘人(キーボーディスト/アレンジャー)
作業担当:全体を編曲
(前後して中村/岡本がコーラスを入れることもある)

岡本仁志(ギタリスト/ボーカリスト/コーラス)
作業担当:ギター・パートを制作
(工程は前後することがある)

AZUKI七(作家/作詞家/キーボーディスト)
作業担当:作詞
(全ての楽曲は「曲先」で作られるため、必然的に作詞が後となる)

中村由利
作業担当:ボーカルとコーラスのレコーディング
(一部の楽曲では岡本仁志もコーラスに参加している)

その後、メンバーを含めたタイトル決めを行って完成となる。

GIZA studioに所属する多くのユニットやアーティストは通常BeingやGIZA studio所属の作曲家やアレンジャーの楽曲や編曲が主体となることが多かった。

2007年までGIZA studioに所属した倉木麻衣も徳永暁人や大野愛果、ミゲル・サ・ペソア(Miguel Sá Pessoa)、川島だりあといったBeing/GIZA studio所属ミュージシャンから作曲提供や編曲を受けている。
GIZA studio所属アレンジャーの古井弘人も例外ではなく、様々なユニットの編曲を付けている。

が、GARNET CROWでは基本的にメンバー四人だけでの分業制による楽曲製作スタイルが不文律として守られた。
このルールは活動の初期から終了まで揺らぐことはなく、一貫して自分たちメンバーだけの作曲と編曲、作詞作業を行っている。
(唯一彼らに「外部メンバーが加わる」のは、ライブパフォーマンスの時だけだったと思われる。)

彼らが通常の「音楽バンド」ではなく、「サウンドワークユニット」と見做されるのはその所以である。

古井弘人に関しては、GIZA studio所属アレンジャーとして活動しながらも、平行してGARNET CROWの全曲の編曲作業を古井だけで行うという変則的な活動を行っていた。
(ギター・パートのみ岡本仁志がメインで作編曲を行っていた。)

フロントマンでライブなどのMCを努める中村がリーダーのように見えるが、実質的にはグループのリーダーは古井弘人だった。
(GARNET CROWが1999年倉木麻衣の全米デビューのテープ作成を切っ掛けにユニットとして立ち上がったとき、GIZA studio所属アレンジャーとしてレーベル内での実績があり、年齢的にもリーダー格だったのは古井だった。中村は当時まだレーベル内でも新人の裏方ディレクターであり、ボーカルに転向したのはGARNET CROW発足の時からである。)

よってGARNET CROWというサウンドワークユニットの音楽の方向性を決めるのは古井の役割だったと言っていい。

古井にとってどちらの活動がメインだったのかは分からないが、GARNET CROWの編曲だけは他のGIZA studio所属ユニットと比べても明らかに異質なサウンドであり、アニメや番組のカップリングではマーケット対応であるためか王道的なコード進行の曲をA面に据え、アルバムやC/Wでは実験的・変則的ながらも名曲が多かったように筆者は思っている。
(アルバムやC/Wの収録曲に極めて名曲が多いという評判はファンの間では通説であった。)

GARNET CROWのアルバムは多数リリースされており、作成時期によって音楽性や雰囲気が異なるものの、何れも甲乙付け難い名作。

もしGARNET CROWのアルバムを一つだけ選ぶとするなら、『first kaleidscope 〜君の家に着くまでずっと走ってゆく〜』を選びたい。

収録されている曲数こそ6曲とやや少ないものの、寂寥感やダークさといった初期GARNET CROWの特徴ある楽曲群で構成されており、どの楽曲もレベルが非常に高く、JPOP史上最高の一枚と言っても過言ではない。

最高評価バンド②The Flipper's Guitar

最高評価の二組目はThe Flipper's Guitar(フリッパーズ・ギター)を挙げたい。
1989年にメジャーデビューした早熟の天才二人組、小山田圭吾と小沢健二のポップ・デュオである。

バンド評価レーダーチャート

初期は5人でインディー系のネオアコやフレンチポップをやっていたが、小沢が音楽性の違いなどで他のメンバーと決裂(したとされる)。
小山田と小沢の二人になるが、志向する音楽が似ており、また高い音楽的感性を持つ二人に絞られた事でバンドの方向性が決まり、メジャーデビューが決まる。

順調に活動を続け2NDアルバムではこれまでと一転作詞を全日本語化する事でキャッチー化してまで日本市場への適応を行ったが、1991年3RDアルバムリリース直後に突如解散。
デビューして僅か3作の活動期間となった。

既にチケット販売が開始されていたライブツアー直前に解散したため、当時その奔放さから無軌道な若者の代表のように批判されたりしたが、彼らの登場は間違いなくJPOP史を一大転換させるものだったとも言われる。

解散後の二人は、音楽活動を継続。
小山田はCornelius(コーネリアス)として活動を開始し、ソロユニットの先駆けとして、またトラットリアレーベルの主催者としても幅広く活動を行っていく。

(note転載時追記:小山田はその後順調に作品を重ね独自の地位を確立していたものの、東京オリンピックでの楽曲担当時に、学生時代のいじめ問題が再燃しバッシングされたのが記憶に新しい。勿論小山田に過失があるとは言え、色々な意味で残念な出来事だった。)

小沢は本名の小沢健二として地に足の付いた楽曲のリリースを開始するが、やがて90年代特有のバブリーな雰囲気に合わせたキャラクターを確立し、一世を風靡していく。

フリッパーズ・ギターのアルバムを1枚だけ選ぶなら、これをもって解散になった『DOCTOR HEAD'S WORLD TOWER -ヘッド博士の世界塔-』。
このアルバムと後に紹介するZELDAの『C‐ROCK WORK』は音楽観が変わるほどの強烈な内容である。

なお、GARNET CROWの中村由利は好きな音楽ユニットにフリッパーズ・ギターを挙げていたことがある。

最高評価バンド③Cymbals

三組目はCymbals(シンバルズ)。
天才・沖井礼二の多彩な楽曲を土岐麻子が軽やかに表現する90年代最高峰のJPOPユニットの一つだ。
Cymbalsはビクターエンタテインメントから1999年にメジャーデビュー。
デビュー後も多数の曲をリリースした。

バンド評価レーダーチャート

Cymbalsについては、GARNET CROWほど分野横断的ではないが、楽曲数の多さとアベレージの高さが特筆に価する。

Cymbalsのアルバムを1枚だけ選ぶなら、『Sine』となるだろう。
Cymbalsは多数のアルバムを出しているが、このアルバムのみ方向性が異なり、硬質の打ち込み主体の楽曲がコンセプトとなっている。

Cymbalsのデビュー時に掲げた「可愛くてパンクでちょっとだけイジワル!」というバンドの方向性と違う唯一のアルバムである『Sine』が、最も高評価となったのは、多少皮肉な所ではある。

最高評価バンド④rumania montevideo

四組目はrumania montevideo(ルーマニア・モンテビデオ)。
rumania montevideoはGARNET CROW同様、GIZA studio傘下のレーベルに所属。
アニメ「名探偵コナン」等のテーマに楽曲が使われていた事もある。
三好真美と誠が中心の姉弟ユニットで、姉の三好真美がドラムボーカルを担当している。

バンド評価レーダーチャート

GARNET CROWは全員が裏方も出来るどちらかというと器用なサウンドワークユニットだが、rumania montevideoについては正に「バンド」という表現の方がしっくりくる。

ドラムボーカルを採用していた珍しいバンドで音楽志向は非常に独自路線だったが、活動後期の楽曲のレベルは高い。
中でも最後の作品となる3RDアルバム『MO' BETTER TRACKS』は最高傑作となった。

彼らのアルバムを1枚だけ選ぶなら、勿論『MO' BETTER TRACKS』となるだろう。
2002年の『MO' BETTER TRACKS』リリース後以降はほぼ活動休止状態だったが、2019年12月1日に復活ライブをやるとの事だ。

最高評価バンド⑤ZELDA

最後となる五組目はこの中でも最も異彩を放つユニット、ZELDA(ゼルダ)だ。
ZELDAはこれまで挙げたバンドやユニットよりも活動年代が古く、主に80年代に活動した。

バンド評価レーダーチャート

楽曲はニューウェイブ・ロックで、ガールズバンドの先駆けとも言われる先駆者。
しかし音楽性は一言で語ることは難しく、奇妙な旋律、アンダーグラウンドな世界観、使用する楽器の奇抜さ、リズム隊やコーラスに至るまで、あらゆる点に異彩を放つ。
中でもメインボーカルのサヨコ(高橋佐代子)に最も特徴がある。

サヨコは、常人を超える桁外れの広大な音域を持ち、どのような曲でも自分の世界観で歌える強みがある。
毒のある刺々しさから、お花畑で遊ぶ子供のような声まで、あらゆる声のトーン、声質を自在に操るテクニックを持っている。

ZELDAのアルバムを1枚だけ選ぶなら暗黒色に満ち溢れる『C‐ROCK WORK』。間違いなく音楽観が変わるアルバムの一枚だ。
C‐ROCK WORKはZELDA自身にも何らかの影響を与えたのか、これ以降ZELDAの楽曲はファンクミュージックに傾倒していく。

最高評価をした5枚の音楽アルバム

rumania montevideoだけは、実質『MO' BETTER TRACKS』のみ高評価だったので、これだけは筆者個人の趣味と言えるかもしれないが、他の4組はいずれもJPOP史に名を遺している。

下に挙げたこのたった5枚だけが、数多あるJPOPの音源の中でも「100点中100点」満点としたアルバムになる。

最高評価(100点)を付けたアルバム

アルバム名「first kaleidscope」(GAERNET CROW)

アルバム名「DOCTOR HEAD'S WORLD TOWER -ヘッド博士の世界塔-」(The Flipper's Guitar)

アルバム名「Sine」(Cymbals)

アルバム名「MO' BETTER TRACKS」(rumania montevideo)

アルバム名「C‐ROCK WORK」(ZELDA)

この後は、元記事ではガーネットクロウの曲紹介をしていたのだが、本転載では割愛する。

注意事項

■元記事は2015年の6月に書かれ別のブログシステムに公開後、内容を更新しながら最終的にワードプレスブログで公開していましたが現在は非表示にしています。

■本noteはゲーム系記事や格ゲー記事をメインに書いていく予定ですが、音楽に興味がない向きには申し訳ないですが、こうした行く場所のない記事の跡地としても利用させて頂きます。

■note転載に当たりタイトルを変えています。

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