見出し画像

寄り添うっていうこと~友人とのやり取りより

先日、学生時代の友人から体調を気遣うメールをもらい、何度かやり取りをして、テキスト上ではあったけれど、学生時代に戻ったようにおしゃべりをした。

そのやり取りの中で言われたのだが、過去に彼の相談に乗った時、私が語ったことがとても胸に響いて記憶に残っていたらしく、当時僕が彼にしたように僕に接したいと考えていたという。

当時の僕がどんなことを語ったかの細かいことはもう覚えていないけれど、相談されたことは、安易に答えてはいけない少し重たい問題だったので、彼の気持ちを聞き、自分の未熟な経験や知識を総動員して必死に考えて話したことは覚えている。

何かを決めたり行動したりするのは彼自身だし、僕の語ったことは何の解決にもならないものだったし、答えの選択肢を与えたわけでもない。

だけど彼にはそれが良かったらしく、その時のことを思い返したら「寄り添う」という言葉が頭に浮かんだらしい。

僕の病気の苦しみや大変さを本当に理解することは出来ないけれど、せめてつらい状況に寄り添うようにしたいという。

彼の言いたいこと伝えたいことは、将来への夢や希望、抱える苦悩などを腹を割って話した仲だからこそだと思うけれど、すんなりと理解できた。


改めて寄り添うという言葉を広辞苑で調べてみた。

寄り添う・・・ぴったりとそばへ寄る。...以上、これだけ。

本来の意味としては、身体的物理的な意味らしい。

けれども、彼が伝えたかった意味、僕が受け取った彼の温かいメッセージは、心に伝わるものであり「相手の気持ちを理解する」という意味だと思った。

言葉はどんどん変化して、本来の意味と反対になってしまうことも最近はあるけれども、この「寄り添う」っていう言葉の意味に関しては、精神的な意味もあっていいと思うし、ほとんどの人は理解できるんじゃないかと思う。


病気を抱えて気付いたことは、「寄り添える人」とそうでない人が何となくわかるようになったこと。

そんなに多くはない、自分が友達だと思っていた人がほとんど「寄り添える人」だったのは良かった。

単にもともと反りが合わなかったのが露呈しただけなのかもしれないけれど、少しばかりそうじゃない人がいたのはそれなりにショックだった。そのことに関しては、相手は知り合い程度にしか思っていなかったのかもしれないし、恋愛でいうところの片思いだったと思えば気持ちも軽い。


投薬治療、上手くいけば年内で終えられるかもしれない。

その時には、「寄り添って」きてくれた人たちには、心を込めてお礼をしなくてはと思っている。

そしてもしこの先、その人が同じように苦しむことが出てくれば、劇的な力になることが出来なくても、自分なりの精いっぱいで「寄り添う」ことは忘れないようにしたい。

お読みいただきありがとうございます。サポートもスキをぽちっとしていただくだけでも、どちらも療養生活での励みになります。よろしくお願いします!