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【雑記】体に残ったゲームの話――まぶたの裏にゲーム画面が映る体験を!

「心に残ったゲームはなにか」
 そういう話になると、だいたいストーリーが良かったり、キャラクターが魅力的だったりする。そういうゲームは多くの言葉で語られて、レビューや感想も多く見つかる。
 ゲームいきもの研究所でゲームをしていると、そういうゲームに出会うことは少ない。だけど、心ではなく、身体に感覚が残るようなゲームがある。その話をしていきたい。

身体に残るゲームってなに?

 前提の話。
 身体に残るというと、指先に残る、または本当に身体の動きとして残ることを想像するだろう。そういうゲームもある。それはアーケードゲームとか、音ゲーとかに多い。音ゲーをする人の中には「頭で認識するよりも先に指が動く」という人もいる。格闘ゲームをやっている人もそういう感 じがあるときく。
 それも紛れもなく身体に残るゲームだけど、それだけではないことを伝えたい。例えば、いくつかの紙をまとめてセットにして左上にホッチキスをつける、みたいな単純作業をしたことがあるだろうか。それをやっていると、しだいに作業に慣れていき、身体に感覚が残って、身体がオートで頭がフリーになる感じがする。それを体験できるゲームが、『Papers,please』だ。

『Papers,please』ゲーム画面

 このゲームは入国審査のためにパスポートや旅行券などをチェックして、入国許可か入国却下かの印鑑をつくというゲームだ。簡単に言うと、ひたすら書類チェックゲーム。ゲームのやさしいところとして、目視で確認でもいいし、クリックで照らし合わせてもいいとなっている。そのため、ひたすら確認、確認、確認の作業ゲームだ。
 『Papers,please』のゲームが心に残ったという人は、まあいなくはないだろう。一応ストーリーもあるから。しかし、このゲームのプレイ体験は心よりも、この作業をし続けた手と目に、Shiftキーにしみついているのではないだろうか。日常生活でつい「クリックで確認してみなきゃ」とか謎の確認欲が出ていないだろうか。
 こうしたプレイして変な癖や思考のタコみたいなものができるゲームを、「体に残るゲーム」だと定義する。
 いきものゲームというのは、概して作業ゲームだ。そのため、このように身体に刷り込まれるようなゲーム体験をすることが多い。前置きは長くなったが、この記事ではそれを紹介していきたい。

身体に残るゲーム:アクアノートの休日2

アクアノートの休日2 プレイ画面

 『アクアノートの休日2』がそのひとつだ。このゲームでは海中のいたるところに生息している海のいきものを見つけてライブラリに登録することがひとつの目標になっている。海をうろうろして、いきものを見つけて、登録する。ゲームの内容としてはそれだけなのだが、これが難しい。
 どんなゲームでもそうだが、ランダムエンカウントのゲームでは高確率で遭遇できるいきものと、低確率で遭遇できるいきものがいる。ポケモンでも、出やすい出にくいがあるのと同じだ。
 8割くらいのいきものは、ふつうにプレイしていたら見つけることができる。問題は残りの2割、さらにすすんで1割だ。本当に出ない。初代プレステのややマイナーよりのゲームだからか、攻略サイトも、実際にプレイした動画もあまりない。公式ガイドブックを持っているけど、それを参考にしても、出ると言われているいきものが出ない。それをリセットする条件(その場から離れたらリセットされるのかどうか)もわからない。
 クリマティウスかなにかを探して一日以上かけたことがある。あるスポットを行って、ロード地点まで戻って、またそのスポットの行って、という作業を延々と繰り返す。
 もう、本当に苦しかった。もうやりたくないと当時は思っていた。寝る時にまぶたの裏にそのスポットをうろうろする映像が映って気になって眠れない。「あそこでああしたら出るかもしれない」と思い始めると寝るどころではない。朝起きても焦燥感がある。しんどい。だけど、収録が終わってみてしばらく経つと「あ、またやりたいな」と思う。それを研究員に行ったら「え! あんなに苦しそうだったのに?」と言われた。そうなんだよなぁ。でも、やりたいんだよなぁ。まだ全部揃えてないしなぁ。
 これはなんだかマラソンに似ている。走っている間は苦しい、終わりたいって気持ちがあるのに、終わってみると達成感やあの頑張りをまたやってみたいと思ってしまう。目をつぶるとあのクリマティウスマラソンを思い出す。そわそわする。心はつらいことがわかっているのに、身体は「やろうぜ!」とワクワクしている。
 続編『AQUANOTE’S HOLIDAY』は、いきものを集めるのに、そこまでの苦労はしなかった。実は『AQUANOTE’S HOLIDAY』はいきものコレクトゲームには珍しく、ランダムスポーンではない。いくつかのルートがあり、海に潜る度にそのルートが切り替わる。そのため「このルートではここに〇〇がでる」という攻略情報があれば、そのいきものに簡単に出会うことができる。それを調べながらするのも楽しかったが、『アクアノートの休日2』みたいに身体に残るまではなかった。自分で苦労して勝ち取ったみたいな気持ちが少ないからかもしれない。

ゲームで苦労したほうがいいの?

 ここまで、『アクアノートの休日2』はすばらしい、苦労したからこそ得られた達成感や喜びがある!みたいなことを書いてきたが、「じゃあ、そういう苦労するゲームのほうがいいの? 楽しいの?」と聞かれると、「いや、そこまでゲームで苦しもうとしなくていいんじゃない?」と答えてしまう。研究員たちが「しんどかったじゃん?」と言うのもわかる。立場が逆なら自分が「しんどそうだったじゃん?」と言っていたと思う。
 要は、苦労はわざわざしに行くものではなく、気づいたら苦労しているものなのだと思う。「これ苦労するゲームだけど、達成感あるから!」ってすすめられても、やれる人はそう多くない(でも好きな人はいる)。楽しいと思って遊んでいる中に苦労があって、それが思い出になったり指のタコみたいに身体のどこかに残るものだったりになる。それがその人にとっての「良いゲーム」になる。
 昨今、動画配信などが多くなって、心に残るゲームの中でも「いや、実はプレイしていないんだけど」ってことも多くなっているかもしれない。大っぴらに「プレイした!」と語れなくても、そういうふうに心に残るゲームになったものがあるという時代だ。もう仕方ない。
 でも、身体に残るゲームに関しては、もうプレイするしかない。プレイすることでしか残せない。最近流行りのスイカゲームでもいい。ゲームのプレイ体験を身体に残してみよう! 身体にタコを! 寝る前のまぶたの裏にゲーム画面が映る体験を!

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ゲームいきもの研究所のゲームレビューで、『アクアノートの休日2』のレビューがあるが、あれはこの記事を書いている研究員が書いたものだ。記事は本来ランダムに担当が決まるが、「これだけは!」とだいぶ駄々をこねて書かせてもらった。

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