“見る”ものの質量化ではなく“そこに在る”ものの質量化 with Film Cameras 35 Shiryu | ヘラルボニー 2024年2月5日 22:37 近頃は写真とアート、1人遊びとAI遊びの関連性を見出してきています。東京駅はビルのない空を常に見ていて、不動の余白を感じつつも、そのレンガは隙間なく積み上げられ、積み上げた職人のことは皆が忘れていく。 そろそろ株式会社を超えていきたいです、渋沢さん。 なんで膨大なエネルギーをかけて重たいものを動かしたがるのか不思議 可愛い狸を作ってくれた人に感謝する雑多な街 空以外に上を見上げることなんて写真を構えないとなかった 写真美術館を出た後の誘惑をいつも回避している 液体から固体、全てのマテリアルを意識しながら 優秀なホワイトワーカーよりも永遠に思えるようなサービス業に従事する人を尊敬する 見たかった景色をその場でつくる マンハッタンのチェリーとプリンのチェリーは訳が違う。 1時間かかるホットケーキよりもお家で焼くホットケーキを食べたい 1/nゆらぎとnullの景色はいつも水から ポストはいつも同じ顔をしている 本棚で人となりが分かる 1984を読まずにカプーアを感じるとはどういう感覚なのか 写真における時間の不動化は無機物にも起きる 環世界に落ちる ポスト構造主義を可視化したい、説明しても伝わらないものをイメージのまま 誰も見ていない作品を見出す喜び。在る。 ステートメントを反芻させながら歩く 日常からかけ離れたマテリアル 異彩なのか、天才なのか、神々の沈黙を思い出しながら 画材の肌触りに愛着を覚え 弘法筆を選ばず、ただ偏愛は持つ 電車は無駄なエネルギーを感じにくい。1人あたりの質量が車より軽い。 地図の先にある 上質な空間に必要なものを揃えている 遊びと余白と偶然性と キャリアみたいな固定化された価値観を描き出すことはない偶然性の象徴 無機物の環世界を見つける瞬間に喜びを見出す #写真 #アート #フィルムカメラ #フィルム写真 35 この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか? 記事をサポート