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美意識の値段と遺伝子としてのアート

 「美意識の値段」という本を読みながら、色々と繋がった点が多かったので、その金言集と記録を残しておきます。

「物と人は同じなのだから、最高級の人を見抜いて、そういう人とだけ付き合え。最高級の人格者と付き合えば、それ以外のものは直ぐ判る。金や地位や外見に惑わされちゃ駄目だ。茶碗だって碌でもないものに限って、新しく、綺麗で立派な箱に入っているものだ。」

美意識の値段

 これは人と接していて日々感じるので納得感しかありません。着飾った人と着飾っていないくても最高級の人との違いが段々判るようになってきたこの頃です。

全ての美術品は、作られた時は現代美術である

美意識の値段

 当たり前のことを言われるとハッとします。

美術品は遺伝子である、来歴がある。人を介す。人が死んでも作品は残る。

美意識の値段

 ある程度専門的な本を読んでいる時、点と点が繋がっていく感覚、特に知識と知識だけではなく知識と経験が紐づいた時、尚且つそれが線だけでなく、面や立方体になりそうなくらい幾つか繋がった時の快感があるので読書が好きです。

「美術品は遺伝子である」という文言が特に印象的な本でした。人が遺伝子を遺していく必要があるように、文化を学んだり強い感情を経験した人間には、美術品を後世に残していく責任があるように思います。

 遺伝子を伝えていく、という話で引っかかったのは結婚と子育ての話です。個人的には結婚という契約をすることは関心の対象外です(マクロに見ると人口減少や未婚率は問題ですが、個人レベルで見ると結婚に対する外圧には不快感を感じることが多いです。育った家庭によると思います)。
 子どもを育てることには大賛成な上に、子どもは大好きですが、「親のいない子ども」が親を必要としている「需要」があるのに、その需要を無視して「供給」するような子どもの育て方はいまいち腑に落ちない部分があります。養子を育てる難しさも、血の繋がった子どもが必要なことも、医学的にも精神医学的にも十分理解はできますが、一度もその需要に目を向けずに悦に浸っている様子を見るのはやや腑に落ちない点です。(家族を幸せにする気持ちがあるならみんな勝手にすれば良いと思っているので、誰も否定するつもりはないです)

 それと比べて、「美術品は遺伝子である」という考え方でアートを後世に伝えていく思想は非常に納得感もあり、そもそも現存するアートの需要が飽和しているわけでもないので、供給し続ける必要性も非常に感じています。特に戦争や疫病が流行った時代の人々の情緒や、個人的に素晴らしい感動を得た人の感情、そうしたものが全く形に残らないのは非常に勿体無く感じます。それがアート、特に美術品として、後世に伝わってくことはアートという遺伝子にしかなし得ない生業であると思います。

 そこには作り手としての必要性、何歳からでも絵を描いたり3Dプリンタを動かせば良いとも思いますし、美術品の値付けに「来歴」が関わるように、アートを買うという生業も大切だと考えています。そうした時、「これは手にしたい」と心が動かされる程のアートを手に入れることができるくらいの経済性は必要だなぁとつくづく思います。

 展覧会を観た後は、それぞれの作品のデッサンや、自分なりの図録を作成するように作品の並びや構図を書き留めますが、それだけでは心の動きまでは記録できない課題感があったので、これからは心の動きもきちんと保存し、遺伝子として伝えられる生業を形にしていこうと思います。

 

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