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100日書くのもすごいけど、100日読むのはもっとスゴいや。



100日関連の話題が続いており浮かれている感じで気恥ずかしいのだが、一度考えたことは書かずにはいられないのでこれもまた、文章化してしまおうと思う。


とはいってもタイトルの通りなのだが、100日読むのって、本当にスゴい。


6月末から私は毎日noteを書いている。最初の1ヶ月半、つまり50日間は12時半に記事をあげることを心がけていた。体感その時間帯が一番読まれたからだ。しかし、"バズり”と決別し、そうしたSNS的努力をいったん捨て去った私は、残りの50日間は記事が出来上がり次第公開ボタンを押していた。それはとんでもなく早朝のこともあれば、もう日付も変わろうかというくらい夜遅くだったりした。


始めたばかりの頃は記事をあげると数時間おきにnoteの通知欄をチェックしていた。ツイッターを見るついでですよ、のポーズを自分自身に取りながらも内心はいつもソワソワしていた。ひょんなことからバズったらどうしよう、と儚くも淡い期待を胸に抱いていたのだ。
50日も経つと次第にそんなことは起こらないのだな、と理解したため、だんだんと通知欄も見なくなっていった。最近ではチェックするのは次の記事を更新するときだけだ。

それでも、毎回必ず赤くてまあるい通知がついている。
どんなに朝早く記事を書いたときでも、どんなに遅く記事を書いたときでもだ。
毎日まいにち、決まって私の記事を読んでくれる人がいる。



インターネット上に自分のアカウントを持つとき私はできるだけ“コンテンツ”であろうとし、“フォロワー”と呼ばれる人たちのことは極力話題に出さないようにする。それが密かなマイルールだ。動物園で遠慮なく観察していたゾウがいきなり人語を解して挨拶してきたら入園者達はかなり気まずい気持ちになるだろう。そのようにして自分は見せ物だという自覚があるため、間違っても「フォロワーのみなさん!」などとは言わないようにしている。表面上は自分自身と目の前の文章だけで過ごしているかのように。
フォローしてくれている人にとって、いつでも離れたり戻ってきたりできるような気楽なコンテンツでありたいからだ。


そんな前提を破ってまでこんな記事を書いているのは、やっぱりどうしてもタイトルの一文について書きたいからだ。この100日間ずっと我慢していたのだが、100日書くよりも100日読む方が100億倍すごい。(決して、今後も読まれたいがためのおべっかなどではない。)
note不孝なもので私は普段他者のnoteを読まない。(フォロイーのnoteは別だ) 気が向いたときにざっくり何本か読んだら、またしばらく読まない日が続く。人の文章から影響を受けやすいのでフォロー数もごくわずかだ。フォロイーと被ったテーマで記事を更新することになるのを極力避けたいからだ。


自分がそんななので、毎日欠かさず、あるいは毎回欠かさず記事を読んでくれる人たちのことをかなり尊敬している。
元はといえば最初は週に数回の予定だった更新が毎日になったのも、この人たちのおかげなのだ。
たまたま連日更新した日が続きある日休もうかなと思ったときに、「ひょっとすると今日も待っていてくれるかもしれない……」というおこがましくも(書き手としてはありがたい)責任感に駆られてサボらずに済んだのである。


それから毎日書き続けて、今となっては100日だ。


最近では特定の人たちをしばらく通知欄で見かけないでいると「元気にしているだろうか」となんだか妙に気がかりだったりする。檻の中のゾウが馴染みの人間を気にかけるとはおかしな話ではあるのだが、瀬戸際歩は実は人間なのでそういうこともあるのだ。


記事を更新すると、noteは毎回公開したことを褒める画像を出してくれる。
「すごい!」とか「信じられない!」といった定型の画像がランダムに出てくるのだが、それが結構嬉しいのだ。
書いている人がそれだけ“イイ”思いをしているのだから、書くための元気をくれる人たちにも"イイ"思いをしてもらいたい。
そんな気持ちで今日はこの記事を書いている。


自分の作品の先に誰かがいるというのは創作する上で心強いことだ。
それだけで明日も書こうと思えるし、私のように将来に対する展望が薄い人間にとって“明日”があることは生きることにも繋がる。


100日読むなんてすごい。
毎日文章を読むなんてすごい。
こうして日々記事を読んでもらえるおかげで、生まれる文章がここにあるのだ。


“応援してくださるみなさん本当にありがとうございます!”
などと頻繁に書くのは先述したように私の気質には合わないのだが、それでも日々のスキを見てはニコニコとしているし、コメントをもらうと何度もなんども読み返して大切に返信している。
どれもが当たり前でないと分かっているし、奇跡のようにあたたかく思っている。
この先こうした記事を書くかどうかは分からないが、たとえこのnoteが1000日続いたとしてもその気持ちは絶対に変わらないと断言できる。なぜならアカウントを開設して数年経つイラスト投稿アカウントでもいまだに同様のことを思うからだ。
過去と未来の自分をまったく信頼していない私だが、これだけは、自信を持って言える。


今日も記事を読んでくださっているみなさん。
人生の貴重な時間を割いていただき、感謝します。
その“読む”才能は、非凡で、誰もが持っているワケでなく、素晴らしいモノです。
そうしてそんな素晴らしい才能のおかげで、今日も私たちは文章を書いています。


ありがとうございます。
本当に、心の底から。



もしも今日この記事を読んでゾウが話しかけてきたような居心地の悪い思いをした人がいたら申し訳ないが、また明日からは普段通りの役に徹するのでどうか安心してほしい。



それではまた、次回の記事でお会いしましょう。



パオーン。


お気持ちに応じておいしいコーヒーを飲んだり欲しい本を買ったりして日々の"イイ感じ"を増やします。いただいた"イイ感じ"がいつか記事として還元できますように。