見出し画像

彼女と私とブルーベリージャム


LINEを開くと、彼女からメッセージがきていた。

“明日、会える?”

絵文字もスタンプもないシンプルなメッセージだ。
明日はなにかあったっけ、と誰に見せるでもなく考えるポーズをとってから、結局、“15時に”と返信した。

これが我々のお決まりのパターンだ。


喫茶店につくとアルバイトの女の子が私の顔を見るなり得意げに頷き、店内の奥の方に視線を送った。
つられて頷き返してから視線の先に目をやると、頬杖をついて窓の外を眺めている彼女の姿があった。
こういうときに、携帯電話をいじっていないところが密かに好きだ。

「ごめんごめん、おまたせ」
「今さっき来たところ」

ちょうど彼女の後ろにある壁時計を見ると、まだ5分を回っていない。席につくと先ほどのアルバイトの女の子がアイスカフェオレを持ってくるところだった。帰り際に注文を聞いてくれたので、ブレンドをひとつ。
なんとなく後ろ姿を見送ると、揺れるポニーテールがかわいらしかった。

「そういえば、君のポニーテールは見たことがないな」

氷をカラコロと言わせながら白とベージュの渦をつくる彼女は、今日もゆたかな黒髪を耳にかけていた。
結んだり、留めたりしているところを、あまり見たことのないような気がする。

「髪留めが留まらないの」
「へえ、そんなことあるんだ」

彼女いわく、髪というのはある程度手入れが行き届いていると、場合によっては髪留めが滑り落ちてしまうらしい。くわえて、彼女の髪の毛は細く、柔らかだ。
長さがあれば結べるものだと思っていた私は、なんとなく、無知を露呈した気がして恥ずかしくなった。
興味本位で不慣れな領域に口をはさむと、自分には想像もつかなかった返答が待っていたりして、少しだけ、居心地が悪い。
自分があまりにも丸腰な感じがするからだ。
だがこんなとき彼女は、呆れるでもなく、馬鹿にするでもなく、それでいて得意になるわけでもなく、あくまでも淡々と説明してくれる。3分クッキングのように無駄のない口ぶりで。

「ふうん。そんなに髪を伸ばしたことがなかったから、知らなかったな」
「あなたの髪質ならきっとポニーテールもできるでしょうけど」

私の髪は毛量が多く、一本一本がしっかりしていて、直毛だ。たしかに、どんなに手入れをしても髪留めが滑り落ちる、なんて現象は起きなさそうだった。

それにしても。

自分のポニーテール姿を想像しようとするが、いまいち、うまくいかない。
というか、一体なにを想像しようとしているのだ。私は。
脱力してフッと詰めていた息を吐いてから、淹れたてのコーヒーを口に含む。

自宅でも各地のコーヒーを取り寄せて愛飲している方だが、ここのコーヒーは格別だった。


彼女に会うのは久しぶりだった。1ヶ月か、2ヶ月か、まあそのくらいぶりだろう。
私はあまり人に会わなくても平気なタチだ。
会わなくても平気、というのはつまり、会わなくても相手との関係性が劣化しない、という意味だ。関係性において頻度は重要でない。
だが、人によっては数ヶ月会わなかったり、連絡をとらなかったりするだけで“疎遠”ということになってしまったり、“過去の人”ということになるらしかった。
それでも彼女は私のそんなスタンスにも難なくついてくる。おそらく、人付き合いにおける距離感が似ているのだろう。あるいは柔軟性と適応力が高いか、その両方かもしれない。

連絡を入れるのも、どちらかの気が向いたとき。
こうして外出に誘うのも、どちらかの気が向いたとき。
都合がつかないときは、断りを入れた方が次回、そう遠くないタイミングで誘う。
いつしかそんな流れが、自然と出来上がっていた。
気遣いではなく、単なる流れ。
人付き合いにおいて、どんな流れができるのかはお互いの価値観によって大きく異なる。
彼女との間にある、春の小川のような流暢な流れは、特別、心地好い。

久しぶりに会っても、私たちの会話はいつも通りだ。
最近読んだ小説や、気になっている映画のこと。日常のささいな笑い。おいしかったもの……。仕事の話や、つまらない愚痴はこの穏やかなテーブルの上に現れることはない。
彼女に会うと不思議と、社会での出来事が頭の中から消えてしまうのだ。
ただ、ひとりの豊かな人間同士が、ウィットとユーモアでお互いを楽しませる。

そんな時間がどこまでも広がっていく。 

壁時計の時報が鼓膜に低く響く。
ふと見上げれば、18時だった。
その間に最初の1杯を空にしていたので、彼女はブレンドとミルクレープを、私はアイスカフェオレを注文した。ブレンドの後に際立つミルクの甘みは、舌をやさしく撫でてくれる。

「もうこんな時間」
「長編映画1本分くらいお喋りしたね」
「2人組のお喋りが上映されるだけの映画、あなた、耐えられる?」

いたずらっぽく笑う彼女を見て、少し想像してみる。フィクションの中の登場人物になっている私たち。ただの2人組のお喋りは見るに耐えないかもしれないが、彼女と私のお喋りならば、あるいは……。
それを口にするのは、なんだか気恥ずかしかった。
よって、当たり障りのない返答をする。

「会話の内容によるかな。まあそういうのは、内容じゃなくて手法を観るべきかもしれないけれど」

「せいぜい1時間がいいとこね」と、言いながら彼女が椅子にかけてあったバッグをまさぐりはじめる。そろそろお開きか、と思っていると、クラフト紙で作られた手提げを取り出した。

「これ。作ったの」

差し出されたそれを受け取り、中を見てみると瓶が入っていた。金の蓋が眩しく光るが、中身は黒いペースト状のもの、としか識別できない。明確な反応ができないでいる私に、促すように彼女が続ける。

「ブルーベリージャムよ」
「ブルーベリージャム」

予想だにしていなかった品物に、思わずオウム返ししてしまう。瓶を手に取りしげしげと見てみると、黒だと思っていたそれは、たしかに、濃度の高い紫色をしていた。
中には果肉も見てとれる。

「祖父の庭でとれたから、ジャムにしたの」
「へえ。それでブルーベリージャムか。素敵だね。ありがとう」

ブルーベリーがどのくらい成るのかも、彼女の祖父の庭にどのくらいの木が植っているかも分からないが、ジャムを作るとなると相当な量の果実が必要だろう。知っての通りブルーベリーの実は小さい。それをさらに煮詰めてジャムにする、となるとこの一瓶だけでもかなり貴重な感じがした。

「ありがとう、大切に食べるよ」

壊れ物を扱うように大事に手提げの中へおさめながら、もう一度、感謝を伝える。
今度こそ彼女が身支度をしはじめたので、我々は喫茶店を後にした。


家に帰り、机の真ん中にブルーベリージャムの瓶を置く。
ブルーベリージャム。
ジャムといえばストロベリーのイメージが強いし、ストロベリージャムならば、手作りのソレも何度か見聞きしたことがあった。だが、次点でポピュラーに思えるブルーベリジャムの手作りは、存外、新鮮だった。

濃厚な紫を閉じ込めたその瓶を見ていると、なんだか彼女がそばにいるようだった。
写真を飾っているみたいなものだな。
なんだか微笑ましくなっていると、ちょうど彼女からメッセージがきた。
今日は珍しいこともあるものだ。
いつも会ったあとにメッセージを入れたりしないのに。
まさか帰り道で何かあったのか、と若干の危惧を抱きながらメッセージを開く。

"感想楽しみにしてるわ。あと、瓶は洗って返してね"

絵文字もスタンプもない、シンプルな、あくまでも彼女らしい文面。だが、普段はこんな催促をしたりはしないのだ。
彼女に会うのは久しぶりだった。
1、2ヶ月ぶりくらいか、と思っていたが、ハッとしてトーク履歴を遡ると、最後に会ったのは3ヶ月前だった。
何度か連絡は入れていたし、お互いにハマっている海外ドラマについてメッセージで盛り上がったりはしたが、顔を見て話をするのは、実に、3ヶ月ぶりだったのだ。

もう一度、彼女からのメッセージを読む。


"感想楽しみにしてるわ。あと、瓶は洗って返してね"


手のひらにおさまるサイズのジャムを食べきるのは、果たしてどのくらいだろうか。

2ヶ月か、1ヶ月か。
どちらにせよ、そう遠くないだろう。

次に会うときは、ますます彼女を愛おしく思っている予感がした。





後日、「クリームチーズと一緒にパンに乗せて食べたよ」と送ると「そういう小洒落たところ、ちょっとイヤ」と言われた。









お気持ちに応じておいしいコーヒーを飲んだり欲しい本を買ったりして日々の"イイ感じ"を増やします。いただいた"イイ感じ"がいつか記事として還元できますように。