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「あなたはどんな時にギャンブルがしたいと思うでしょうか?」私のトリガーについて。

数か月前、人生で初めて精神科医を受診した時の話なのですが
「どんな時にギャンブルをしたいと思いますか?」という質問を医師の先生から投げかけられました。

この質問は、依存症用語で「トリガー(引き金)」と呼ばれるものを探る質問です。今考えれば非常にシンプルな質問ですが、私はそのシンプルな質問を、正確に答えることが出来ませんでした。

「ギャンブルをしたいと思ってしていたわけではありませんでした。」と揚げ足を取っているかのような、まるでギャンブル自体に責任があると受け止められるような、なにせ先生を困らせるような返事をしてしまったのです。

なぜ、そんな良く分からない答えをしてしまったのか?
この記事では、ギャンブル依存症の私がなぜそう答えたのか、改めて自分自身を振り返ってみようと思います。


先生に向けて私が次に出した言葉は、
「ここ数年間はとくに、ギャンブルなんてしたくなかったです・・・。
だからギャンブルを始めるとき、どういう時にとか、そういう種類の動機付けは一切ありませんでした。」

という言葉です。
この頃の私はギャンブルに対していつもネガティブな感情を持っているのにも関わらず、ギャンブルをスタートさせていたと考えていました。

私の中にあったギャンブルに対してのネガティブな感情の中身はこれです。

「どうせ負けるし行きたくない」
「またお金が無くなるんだよな」
「それでもギャンブルをやるしかない」
「ギャンブルなんて本当はなくなれば良いのに」

こうした種類のものです。振り返ると、そんな事を頭の中で考えながらも次の瞬間にはギャンブルをしている感覚でしたし、いざギャンブルをしている最中になるとそれなりに一喜一憂することになっているという、まさにギャンブルに生かされている状態だったように記憶しています。

言うまでもないですがギャンブルをした結果の多くは、経済的な損失を負う事になり、はらわたが煮えくり返るような負の感情へと繋がる事になります。そうした負の感情のコントロールが次第に難しくなっていきました。

その次にやって来るのは自己嫌悪です。特に使ってはいけないお金を使うようになったときは、言葉では表せないくらいに大きな感情になっていたと思います。

もうやめよう、ギャンブルなんてもう絶対にしないという自己宣誓も何度も行います。それでも取り返すためにはギャンブルをしなければいけない、というループに陥っていきました。

こんな状態で生きていたので、常に自己嫌悪を繰り返し、基本的に毎日が苦しかった記憶が蘇ります。
ギャンブルをやり始めた頃とは打って変わって、特にここ数年はそんな苦しい状況の中でギャンブルをしていました。

この理由は今考えればシンプルで、借金の問題が自分の中で深刻化していたからです。そして深刻化した借金についての問題を、いつも自分の中でかき消す作業に忙殺されていて、その作業の一部がまさにギャンブル行動だったことも事実です。
こうして、ギャンブルや借金の事で私の頭の中はいつもいっぱいだったのです。

話を戻すと、こうした先生への答えは決して先生を困らせるつもりもなかったし、ギャンブルに対してのネガティブな感情をぶつけるように行ったものでもありません。
先生からの質問に対して、心の底から素直に出てきた言葉だったと記憶しています。

しかしよくよく考えてみると「どんな時にギャンブルをしたいと思いますか?」という質問への答えとしてはゼロ点だという事に気付きます。
というよりも私は、先生に対してSOSを発信していたのだと自覚しました。

つまり、私が抱いてきたギャンブルに対する苦しみや負の感情は、精神科医へと通院するという自分の中での一大イベントを経験した事で、SOSとして私自身の口から発されることになったのだと思います。

「ギャンブルをする時、気分とかそういうものには左右されていません。」「私は息を吸うようにギャンブルをしていました。」
「私は完全に依存症という病気です。助けて下さい。」
「ギャンブルは私を支配していて、何とかしたいし何とかしてほしいです。」
「一刻も早く病気を治したい、だから病院にきているんです。」

実際に口にしたわけではありませんが、私が本当に言いたかったことはこういった言葉だと思います。

そんなわけで私は、先生との会話を正常に出来ていなかったわけですが、先生から問われた「どんな時にギャンブルをしたいのか?」というトリガーを探る質問は、私にとってとても重要でした。

ある行動をやめようとしているのに、自分がなぜその行動をするかを知っていなければ、対処しようもない、というのは当たり前なのかもしれません。
私はといえば単に先生へSOSを発していただけで、これでは現実的な解決とはなりません。

こうして遠回りはしてしまいましたが、トリガーを探るため自己内省した結果、出てきた私の主なトリガーはこれです。

「まとまったお金が財布に入っている時」
「父親と上手く折りわなかった時」
「借金の返済の現実を考えた時(借金からの現実逃避)」
Youtube等でギャンブル系の動画を見た時」

主にこの4つです。ひょっとするとギャンブル依存症者にとってはよくある答えかもしれません。

こうしたトリガーがいかに私をギャンブル行動に導くか?
何となく自覚するのではなくて、トリガーを自分の敗因としてキッチリ受け止めて、自覚する事が大切だったのです。今となればこうした作業の重要性がとても大きいと感じる事になりました。

こうして、早く治したいという焦り、病院にまで行っているのだから何とかして欲しいという強い願い、こうした類の感情が合わさって、トリガーを探る重要な質問の意味を、私自身の手によって霞めていたのです。

グループワークにて、「ギャンブルをしないデメリットは何でしょう?」という質問がありました。これはまさに、自分自身のギャンブル行動=現実にきちんと対峙していなければ答えが出づらい質問です。私はこの質問に対して、ギャンブルなんて私にとって100%の悪魔なのだから、「そんなものはあるわけが無いだろう」と考え、答えていました。
しかし、自分自身の行動を振り返り、ギャンブルをしていない時の自分を想像してみると「日々、退屈に思う」「(親に資金管理をしてもらっている事から)資金の制約がある事を自分自身がよく分かっているので、、ギャンブルが出来ない未来を想像すると日々つまらないと感じてしまう」
そのように感じている自分にも気付きます。
こうして、「ギャンブルをしないデメリット」すら私にとって存在していたのです。

病院に受診しようと思うくらい、自分が依存症者かもしれないと考えている人であれば、ギャンブルをする自分自身、またはギャンブルという存在そのものに対して、良い感情を持っていることは少ないはずです。

ギャンブルに対しては趣味嗜好を超え生活に浸食してくる敵だと考えている人も多いと思います。
私自身は、特定の何か(どこどこのパチンコ屋さん、あの時乗っていた騎手など)を敵視していたわけではなく、ギャンブルそのものが敵だと考えていましたし、そんなものにいつも打ち勝てない自分自身にいつも落ち込んでいました。

なぜ誘惑に負けるのか、なぜ逃げられないのかあるいは戦えないのか、そうした考えが頭の中をぐるぐる回り、絶対にやめようと自己宣誓をしては失敗し、またある時はギャンブルをしなければならないという強迫観念を持るに至ったこともあります。ギャンブルをする事でまた気持ちを紛らわせ、結果として経済的な損失を負い、また自己嫌悪を何度も繰り返します。
こうした出来事がセットになり、数か月単位でループしているような人生でした。同時に経済的な問題も日に日に深刻化していき、ますます現実から目を逸らしていくようになっていきました。

そんな人生を送っていて、すっかり心が打ちひしがれている状態です。
私の中の冷静さや自覚する力はなく、とにかく助けを求める事に必死だったのだと思います。結果として、冒頭に書いた通りシンプルな質問に答える事すら困難にさせていたのです。

かなり遠回りしてしまったな、と自分でも感じます。でも、私にとってのギャンブル依存は、「何かやってみれば変わる事ができる」では到底回復できない病気だったことにも気付かされました。たとえ病院を行く決断をし、先生にSOSを出してみたところで、病気が治るわけではありません。

通院に限りません。

「Twitterをしてみれば治るかも」
「ブログを書けば治るかも」
「ギャンブルの事や産業のことをもっと知ればバカらしくなって治るかも」

とにかく色々とやってみる事が大事なのだと考えていました。でも結局、ギャンブルの前ではいつでも無力でした。

翻ってトリガーを自覚する事というのは、現実的にギャンブルをしてしまう原因を断つ努力へと繋がります。
私の場合は、現金をなるべく持たないようにして、ギャンブルに近付かない工夫をする事が大切でした。
また、借金返済のために毎月いくら必要か、月末には現金でいくら用意しておけばよいのか、きちんと計算する作業にも繋がりました。
そもそも借金の返済を引き落としにしていれば、現金を物理的に所有する可能性も低くなることにも気づきます。

自分の中にあるトリガーを自覚し、一つ一つ地道に生活改善をしていくこと、これこそが実は一番近い道です。
(対策をとった上でも、ギャンブルを完全に辞めれているかと聞かれればNoなのですが・・・。)

以上、今回の記事は「どんな時にギャンブルをしたいと思いますか?」という簡単な答えすらまともに答えられなかった、私の反省文です。

既に書きましたが、ギャンブル依存症の回復は私にとって「何かやってみれば変わる」では不可能という事を知りました。
一つ一つのトリガーを探り、対処法を見つけ、対処法を実行することでしか不可能であると痛感するに至ります。

そうしたトリガーの把握を基本戦略にして、回復するための姿勢を保ち、借金を返済していき、進歩を感じることで一歩一歩進んでいく事が必要だと思うのです。


こうした気付きは、とても良い影響を私自身に与えてくれているような気がしています。

「目の前の小さなことを、とにかく大事にしていこう」というのが私の中での一つのテーマになりました。周りにいる人を中心に、小銭でも、掃除でも、洗濯でも洗い物でも、なにか打ち立てた小さな目標でも、とにかくなんでも良いから目は逸らさず、一つ一つを大事に向き合っていく生活を送る事ができています。本当にそんな事すら出来ていなかった人生を送ってきました。

こうした小さな全ての行動がギャンブル依存症の回復に繋がるわけではありませんが、ギャンブル優先で生きてきた人生を少しずつ変化させていきたいのです。そんな日々を積み上げていく行動は、トリガーと向き合う私の姿勢と共鳴してくれるのだと信じています。

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