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答え合わせは最後の最後で

ある画像を捜すために、USBメモリーを保管している箱をひっくり返していたら、懐かしいものを見つけた。白地の本体へ赤字で直に「2016.8.6.おつかれさま会」とある。

  USBメモリーを保管しているのは 箱根寄木細工の箱
そこから出てきたのがコレ


それは8年前私が定年を迎えた時、後輩たちが催してくれた慰労会 (みたいな集まり) の記録だった。中身を確認してみると‥‥
画像が14枚。会場は日本料理店の個室(座敷)で、前方にビデオモニターが設置されている。メンバーは私を含め13人だったようだ。
動画が5本。参加者ひとりひとりからの私へのコメントと、私から参加者各位へお礼を述べる様子が収められていた。
海外4拠点の駐在員からのビデオレターも、ここに保存されていた。

そして、このUSBメモリーに収められていたもうひとつのもの。
それはこの会で私が披露した、私のサラリーマン人生をまとめた「I'm a Player / 答え合わせは最後の最後で」と題したスライドショー。入社から定年まで三十有余年の、公私にわたる画像48枚にキャプションを付けた5分20秒の作品。バックには斉藤和義の「Player」という曲が流れている。スライドショーのタイトルにも、歌詞冒頭部分をそのまま頂戴した。

「Player」という曲は斉藤和義が夏木マリに依頼されて書いた曲。夏木マリ目線の歌詞なので女性言葉が使われているが、初老男子の私にもいろいろ響くものがあった。 
YouTubeを添付しました。是非聞いてみて下さい(⇩)。

 I'm a Player 答え合わせは 最後の最後で
 I'm a Player 思い出よりも 新しい今がいいの
 泣き出しそうなエンジェル 忙しそうなサタン
 涙の後ろで儲ける奴らに気なんか使って
 I'm looking for Beautiful この頼りない世界の中で
 私だけの宝もの 歩いて手に入れたもの
 I’m lookig for Beautiful マイスピードで
 答えなど無い  そこには無い  机の上には

スライドショーの画像はこんな感じ

 
  ~  ♪  I'm a Player  答え合わせは最後の最後で ♪ 
斉藤和義がつぶやくように歌うこのフレーズに、私は奥底に隠していた後悔や無念を投影した。それは「負け惜しみ」を「答え合わせは最後の最後で」などと言い換えて、遠吠えしたに過ぎなかったのだが。

定年より遡ること15年程前、ある讒言をキッカケとした誤解が膨らみ、私と上司との関係が悪化した。言い訳もせず打開策も講じず「さもあらばあれ」を続けるうちに、抜き差しならない状態になってしまった。半ば所払いのようなタイ転勤もあった。二度退職を申し出るも、その都度分かりにくい理屈で残らされた。

歯車は噛み合わないまま時間は過ぎた。定年の一年前に組織の大変革が起こり、私は肩書き無し/部下無しの身の上になった。そしてそのまま定年を迎えた。超然を気取ってはいたが、内心は「情けないな」「恥ずかしいな」「悔しいな」と思っていた。

そんな "無位無冠" でちょっと僻(ひが)みモードの私に、かつての部下や後輩たちは、「おつかれさま会」を開いてくれた。私は照れ隠しと強がりで「答え合わせは最後の最後、まだまだなんだよ」の風情で受けとめた。

それから2年勤務を続けた後、私は引退した。引退後に中国現地法人からの誘いに応じ中国に渡ったのは、「消化不良解消」と「答え合わせ」がしたかったからに他ならない。それもコロナ蔓延によって頓挫してしまったのだが。

***

今回このUSBメモリーを開いてみて、私ははっきり分かった。
私のために後輩たちがこの "おつかれさま会" を開いてくれたこと、
これこそが私のサラリーマン人生の「答え合わせ」だったのだと。
当時は当たり前のように思っていたが、それは大きな間違いだった。
8年越しに私は感動して少し泣いた。

この記事を読んでくれている後輩たちよ、本当に有難う。
読んでいない人たちには、私の感謝の気持ちを伝えて欲しい。
「突然何?」と思われるだろうが。

*****

そして次に来る「答え合わせ」‥‥ 
これからの老後をどう生きるかは、私たち夫婦にとって大きな課題だ。
「生老病死」と真摯に向き合い、そして折り合いを付けねばならない。
善良に謙虚に楽しく生き、普通に老い、病に向き合い、そして最後は潔く。
言葉にすればそういうこと。でもとても難しい。どうなることやら。     

~ 答え合わせは最後の最後で

< 了 >



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