内生的貨幣供給理論の2つのアプローチの対立と統合(ホリゾンタリズムとストラクチャリズム)

ポストケインズ経済学の根幹となっている理論の一つが「内生的貨幣供給理論」であり、それはいわゆるマネタリストの貨幣数量説に対する批判として登場した。

 だが、そのポストケインジアン同士でも内生的貨幣供給理論について2つのアプローチがあり、それが長い間論争になっていた。

一つは「アコモデーショナリズム」(同調論)、もう一つがストラクチャリズム(構造論)である。

結論から書くと、現在ではこの2つのアプローチは理論統合が図られ、対立ではなく、相互補完的なものとされている。以下、その経緯について簡単にみていくことにする。

 まず、「内生的貨幣供給理論」とは、現代経済における貨幣の創造の中で、銀行が民間主体が貯蓄するために設けた銀行預金を原資として貸出しを行っており、中央銀行がベースマネーの量を操作して経済における融資や預金の量を決定しているという見解は通俗的な誤解であると指摘している。銀行による貸出しは、借り手の預金口座への記帳によって行われるに過ぎず、銀行は何もないところから、預金通貨を作り出している。銀行は預金という貨幣を元手に貸出しを行うのではなく、その逆に、貸出しによって預金という貨幣を創造している。貨幣を負債の一種とみなす信用貨幣論を前提とし、需要に応じて銀行によって貨幣が供給されるとする理論は内生的貨幣供給論と呼ばれている

(ウィキペディアからの転載。わかりやすいからこれでいいよね。)

 で、これを体系化したのはカルドア(1970,1982)とされていて、
「信用貨幣経済において、貨幣供給は需要に対して受動的に調節される(アコモデーション:日本語で言う所の金融調節)。名目国民所得から貨幣供給の因果関係が存在し(ケインズの一般理論第17章における貨幣経済における失業の原因)、中央銀行は「最後の貸し手」の機能を果たさなければならない。中央銀行が制御するのは貨幣供給ではなく「利子率」である。その利子率において生じる貨幣需要によって貨幣ストックが決定されるのである。

現代的に解釈すればマネタリーベース操作によってインフレーションを制御しようというリフレ派的なスタンスは誤りとなる。これを現在の日銀が行っている金融調節を説明すると

日銀は金融調節の手段として、金融機関が日銀に保有している日銀当座預金の残高を調整することによって資金の需給に影響を与え、短期金融市場(
無担保コール市場:銀行間の資金のやり取りをする市場)の金利を目標としている「金利水準に誘導する」のである。国債というのはそのためのツールといってもいい。国債を売ったり買ったりすることで準備預金を供給している、もし日銀が十分な準備を供給しなければ短期金融市場では金利が上昇し、日銀の目標からは外れ、下手をすると資金が必要な銀行がその資金を得られないこともあり得る。

 実際に1997年には北海道拓殖銀行がコール市場で資金調達できず、結局破綻してしまった。このほか、日債銀、三洋証券、山一証券なども相次いで破綻し、日本は金融危機となってしまった。あるいは、リーマンショックのときは社債市場が冷えこんでしまって、日銀はドル資金の調達や社債、CP(コマーシャルペーパー)や銀行保有株式の購入などを行っている。

 ※リフレ派の言う「量的緩和」は「量」を供給し、金利の付かない日銀当座預金から企業への貸し出しに資金を向かわせようと言うのだが、日銀当座預金を下ろして企業に貸すわけではない。金利がゼロになった時点で「流動性の罠」と言われる状態である。内生的貨幣供給理論の説明を読んでいただければリフレ派の考えは破綻していることはご理解いただけよう。

 ということでここまで前置きして、2つのアプローチの説明に入る。

同調論はカルドアの見方を継承し、貨幣供給は「信用」によって誘発され、需要によって決定される。(つまり、貨幣供給を増やせば世の中にお金が増える、といったマネタリストの考えとは異なる)。銀行貸し出しと預金の増加に対して中央銀行は受動的に準備預金を供給する。
(これが資金需要に対応する、ということであり、企業が融資を実行したり、あるいは季節要因、納税や決算期、年末年始などでも資金需要は変動する。)

 この同調論は水平な貨幣供給曲線を想定していることから
「ホリゾンタリズム」とも言われている。主なPK学者にはカルドアの他、ムーア、ラヴォア、ローションがいる。

 一方、構造論(ストラクチャリズム)は商業銀行の準備供給に対して中央銀行が完全に同調するとは限らない(実際に金利誘導目標はある程度幅がある:コリドーと呼ばれている)構造論者は無限弾力的な貨幣供給関数には同意せず、中央銀行が完全同調的な準備の供給を拒んだとしてもCD(譲渡性預金)、ユーロダラー(ヨーロッパの銀行に預けられているドル預金)、金融債、などを担保に出して資金調達を行うことは可能である。金融技術が発達すれば部分的にでも資金需要に対応することはできる、とする立場だ。こちらには、ポーリン、ソーヤー、レイ(ランダル・レイ)らがいる。

 このホリゾンタリズムとストラクチャリズムの論争が長期にわたり、ポストケインズ経済学の立場からの政策提言などが遅れたことは否めない。

 ややこしいが、アコモデーション≒ホリゾンタリズムであり、どちらかというと中央銀行は基本的に資金需要に対して受動的に対応して準備預金を供給する、という部分はホリゾンタリズム、ストラクチャリズム双方が共通だが、ホリゾンタリズムの方が金融革新については保守的、ストラクチャリズムの方は実際の技術革新の進歩に合わせて柔軟に考えている、と見た方が正確かも知れない。

 というのもホリゾンタリズムは中央銀行の同調的な行動を貨幣の内生性の必要条件とはしておらず、貨幣は生産目的のために利用される銀行信用を通して「負債」として現れるのである、よって貨幣はいつでも内生的な現象である、としているので、そこで同調論とはやや異なるスタンスとなっている。これはサーキット・アプローチとも言われてるがややこしくなるので端折る。

 実際、ムーアが展開した、内生的貨幣供給理論に対する批判も利子率の決定理論などに集中しており、貨幣供給のプロセスそのものに対する批判はほとんどない。なのでアコモデーションというのは共有されているとみて差し支えない。(ざっくりでいい)

 次稿からはホリゾンタリズム、ストラクチャリズムの主張をもう少し掘り下げて、その後に双方の対立点と理論統合についてまとめてみたい。

 

https://www.jstage.jst.go.jp/article/keidaironshu/72/2/72_71/_pd

内生的貨幣供給説としての「日銀理論」:再論
斉 藤 美 彦

 量的緩和と内生的貨幣供給理論に関してはこちらを参照してください。

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