ライブで感じた自由とは
ライブというものは自由だ。どんなにエキサイトしても周りにいる人はそれを受け入れてくれる。(時と場合による時もあるけど)
ライブハウスという場所は日常生活では体感できない音量と迫力で、大好きな音楽を楽しむことが出来る場所だ。
特に僕がよく行くラウド系のライブは、本当に自由だ。声を出すのも拳を上げるのも、何ならモッシュや、ダイブも許可している。
しかし、みんなが同じような楽しみ方をするわけではない。
人によっては思いっきり自分を解放して楽しむ人もいれば、微動だにせず、まるで映画館で映画を観ているような楽しみ方をする人もいる。
決してそこに優劣はない。楽しみ方は人それぞれというだけだ。
よくよく考えてみたら、上から人が降ってくるなんて普通ではない。不愉快になる人がいたって、不思議ではない。
常識の範囲をはみ出るかはみ出ないかのスレスレで、今まで数多のライブは行われてきた。
そこで思った。
「なんでこんなにも自由な楽しみ方が淘汰されることなく、今まで健在しているのだろう? 」と。
それは「ライブは思いやりをもって自由に楽しむ場だ」という認識がアーティスト、運営スタッフ、お客さん達の間にあるからだと思う。
僕の行くライブでは、ダイブやモッシュ、それ以外における怪我やトラブルの責任を、主催者は一切負わないと注意喚起している。
要するに「どう楽しむかは自由だけど、何が起こってもあなた達の責任だよ」ということ。
これは責任放棄なのだろうか?僕はそうは思わない。自由には責任が付きまとう。誰かが責任を取ってくれる上での自由は、本当の自由ではない。
どう楽しむかは自分で決める。それに伴う結果も自分で背負う。全て自分で完結させてこそ、本当の意味で縛りのない自由となる。
とはいえ、ライブに来るお客さんは、他人が倒れたりしても、無視したりはしない。寧ろみんな互いが互いを助け合って、一緒に楽しもうぜという精神を持っている。
たとえモッシュする人がいようと、ダイブする人がいようと、その人が危なそうだったらみんな手を差し出している。
僕もバンドが演奏中、靴紐がほどけたことがあった。靴紐を結ぼうとしゃがむと、周りにいた人がすぐさま自分の周りを囲ってくれた。僕が安全に靴紐を結ぶ為に。
ライブに行くようになってから、自分が楽しむのは大事だけど、それと同等に、助け合って、みんなで楽しむこともめちゃくちゃ大事なんだと気付かされた。
自分だけではなく、他人を思いやる精神。それをライブハウスではひしひしと感じたし、助けてくれた人も、自分と同じバンドが大好きな人間なんだと思うと、世の中捨てたもんじゃないと思える。
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