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開田 智 「Still...そっとみまもること」

紙に墨を使ったアートワークだと「書道」「アート書道」というジャンルが思い浮かびますね。抽象的なものであれば「墨象画」とか。こうした作家さんの個展をGALLERY SPEAK FORで行ったことはありません。しかし、最近とても気になるのはこのジャンルです。開田智(かいださとる)さんの「Still...そっとみまもること」をきっかけに、その理由を少し書かせてください。

開田智さんについて

開田さんは書道家として活動したのち2016年に、より自由な活動を求めて書壇を離れ、富山県内のアトリエを拠点としてアーティスト活動を活発化させている女性です。会社員時代はインテリアコーディネーターとして働いていたそうで、バリバリの書道プロパーではない、ご自分が作られるものをきちんと買い手の目線でも位置づけられる方だと感じています。

個展やグループ展参加の他、現代アート書道のアートフェア「ART SHODO TOKYO」への出展など、現代美術ベースの表現活動をされています。

ボンド墨が作る豊かな階調

今回ご紹介する「Still...そっとみまもること」は、こちらです。アルミフレームによる額装品です。

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開田 智「Still...そっとみまもること」(2019)和紙にボンド墨
32×24.5cm。

これは字でもないし、象形文字でもなさそうで、絵でもない。雲と雨? とも違います。見て連想しようとする脳のおせっかいからスルリと逃げる不思議な形をしていますよね。筆の毛先一本ずつがどういう軌跡を描いたかまで追えるような線も見えます。イラストレーター、マッツ・グスタフソンがたよりない筆致の水彩でヌードを描き、そこにファッションの究極形が蒸留されていたように、この「枯れ方」は何かありそう、と伝わってきます。

墨や水彩絵具ではここまで階調豊かな、野性味あふれるストローク跡は作れないようで、こちらはカーボンブラック(煤)をボンドに混合させて作る「ボンド墨」を使っています。

コード化された「LOVE」

モチーフは「LOVE」という言葉です。LOVEをモールス信号で使う符号(短点[・]と長点[-]を組み合わせてアルファベットや数字などを表すコード。「LOVE」は「・-・・/- - -/・・・-/・」)に置き換えたうえで崩し、再配置をしてこの作品にしたというのです。彼女は完全な抽象よりも、決められた文字や言葉を書くほうが自分に向いているということで、この方法を選ぶことに。ちなみにシリーズ名の「Still...」は何もない無垢な状態のイメージで、「そっとみまもること」は、できた絵にたいして直感的な印象でつけたものだと言います。

モールス符号も、ただ書いているわけではなく、可読性は脇に追いやってタテヨコ任意の向きに変えています。本作については、モールス符号的には「LOVE」が上下逆さまなのだとか。どこが正面かは見る人に選んでいただければ良い、ということで、作家のサインにあたる落款印もありません(サインは画中に小さくあります)。「LOVE」は老幼問わず共有できる非常に広い概念ですが、個人にとっての「LOVE」にはそれぞれ様々な意味がある。そのことを連想させますね。なかなか噛みごたえのある作品です。

書の概念を超える自由

先ほど便宜上、「筆」で書いたものとしてご説明しましたが、なんと本作は実は筆ではなく、台所などで使われるネットスポンジを使って紙に書かれたもの。私は聞いてビックリしたのですが、アート書道の作家さんは他にも、刷毛(ハケ)は毛だからまだいいとして、スポンジやタオルなどを使っている方も多いのだとか。開田さんは筆で書く作品もありつつ、本作は「面」で書きたかったし、アミの部分によってラインが面白く出て、その中に強弱が現れるからとのこと。そう言われて本作に眼を寄せて見ますと、スポンジを置いたところと離したところが、筆ではあり得ない形になっていますね。

そっとみまもること_部分

しかし、スポンジとは。左手の弦側だけで弾くギタリストとか、叩いてウッドベースを演奏するベーシストとかの超人プレイヤーのようです。

つまり開田さんの作品を見るとき、見る側も非常に自由でいて良いということになるでしょう。ブラックカーボンを使った抽象画として見て飾ってもいいし、和様の美をもった飾りやすい書として買ってもいいことになります。何か「読める」字が書いてあれば、その場の雰囲気を定義しすぎてしまいますが、そうしたことは避けられますよね。

実際、画廊で開田さんの作品を喜んで買っていかれる方は外国人のお客様が多いそうです。墨のニュアンスが和の美を思わせつつ、コンテンポラリーなテンションもある、という評価なのでしょう。意味が、読む向き自由な「LOVE」だと知れば、さらに「FANTASTIC」と思っていただけるのではないでしょうか。

書家ならではの難易度

アート書道というと「何秒かで筆ですっと書いただけで高いお金をとるんでしょう?」との受け止めもあるでしょう。そこはどうでしょうか。多くの書家の方に、全くそれは当てはまらないようです。墨のストロークの美を出すため「時間をかけられない」ことはむしろ「制約」ですよね。開田さんは、一度に数十枚書いたのち日数をかけてそこから作品として残る可能性がある1枚を選びぬき、やっと世に出せるものとなるそうです。100枚書いても1枚も残せない場合も多いのだとか。作為の部分と無作為の偶発性がうまく混ざりあったかどうか、真剣に見極める沈思も必要です。

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写真家の苦悩に似ていると思いました。シャッターを押すのに時間をかければ名作になる、というわけではありません。「その前後の準備と生き方」、そして「繰り返し挑み」「選びぬいて世に出す」技術に質が依存するからです。

最後に

最後に作品価格はというと、アート書道のジャンル全般に言えることとして、質と価値に対し驚くほどリーズナブルです。価格は市場が決めること、とはいえ上記のように「書」をめぐる固定観念も根強いためなのか、一部のスターアーティストと一般の作家さんとの売値の開きがとても大きいのです。開田さんのお話を伺うにつれ、アート業界のダークホースなジャンルとして今後の盛り上がりに大きく期待できると感じています。

見る人間たちがどう捉えるか、それを無言のまま興味津々に覗き込んでいる鏡。「Still...そっとみまもること」はそんな、シンプルでいて深い作品です。

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