実社会でアートにできることはあるのか?「さよなら△またきて□」展レポート①
11月8日よりスタートした乳野の里芸術展「さよなら△またきて□」は、実社会で密接に関わるアートの可能性と新しい死生観を10組のアーティストと模索する展覧会です。コンセプトや見どころについて紹介します。
比叡山と琵琶湖に挟まれた滋賀県大津市千野は、「乳野」または「乳母」とも呼ばれ、およそ1000年にわたり母子信仰が息づいている土地です。母子信仰を支えたのが、比叡山・延暦寺の中興の祖・元三大師と、その母・月子姫です。おごと温泉駅から千野へ向かう道中、千野から比叡山に向かう道でも、元三大師の名が掘られた石碑が残り、土地に記憶されていることを感じます。
本展の展覧会会場は、平安初期に元三大師が月子姫のために建てた庵であり、また、月子姫を祀るお墓でもある安養院妙見堂の側に建つ古民家です。
広い玄関には虎の絵が待ち構え、10部屋以上ある間取りから、大家族が暮らしていたことが窺えます。また、かつては牛舎として使われていた部屋も残り当時の暮らしを想像することができます。
本展が始まるまでの間、実社会の方では国葬が大きな議論を生んだように定まらない死生観があらわになりました。現代アートで「死」は定番のお題ですが、本展では死を問うのではなく、滋賀の伝承として語り継がれてきた「死者」に着目します。展覧会のコンセプトとなる1人の人物を紹介します。 小説家の谷崎潤一郎が『乳野物語––––元三大師の母』の中で、母子信仰の中心人物である、月子姫には実はもう1人子がいたことを指摘しています。もう1人の子である「弥世丸(みよまる)」は、元三大師の兄にあたる人物だが、寺院に祀られることはなく、伝承にも登場しない人物です。弥世丸は伝承の登場人物に近い存在でありながらも、土地の信仰には残らなかった人物です。しかし、谷崎が弥世丸の名前を資料から発掘したように、千野の外からやってきたよそ者の前に、資料や記録を通して現れます。
会場の中心に展示される松岡湧紀・山崎裕貴 《 YAKI-ANTENNA 》は、弥世丸を題材にした作品です。
なぜアンテナなのか?作品に使用しているアンテナは、家の屋根に立っていた八木アンテナを使っています。八木アンテナは日本人の博士によって発明され、当時は「無線燈台」とも呼ばれていました。アンテナを燃やし火を灯すことで、元三大師と月子姫がお互いを確認したように、弥世丸の存在を確認することのできる作品になります。
中村 幹史・山崎 裕貴 《参詣曼荼羅 》は、千野を大津を歩き回って探って体験したことを表現している曼荼羅絵です。伝承に登場する舞台だけではなく、温泉施設のような従来の曼荼羅には描かれないモチーフが登場する点が特徴的です。
上の2点の作品は、キュレーターの山崎裕貴と参加作家の合作で、展覧会の軸となる作品のため先に紹介しました。生者が死者を審(つまびら)く時代に、死者が生者を導く展覧会になっています。
文|竹下 想(美術家/デザイナー 合同会社galleryMain代表)
▷レポート②
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?