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使役動詞・知覚動詞の受動態で to不定詞が用いられる理由

質問

今回は、使役動詞“make”と知覚動詞“see”の構文についてご教授願います。

使役動詞 “make”と知覚動詞 “see“は、能動文では【動詞+目的語+原形不定詞】の形をとりますが、受動文では原形不定詞ではなく“to 不定詞”が用いられるという規則は分かるのですが、なぜ原形不定詞ではなく、to不定詞が用いられるのかというのが今回させていただきたい質問です。
前々回の質問の際に頂いた回答から、これらの構文では、目的語の行為が成立しているという含意関係が成り立っていることは理解できたのですが…
受動文ではこの含意関係が成立しなくなるということなのか?あるいは、「~【させられた】」「~するのを【見られた】」と、被害意識が強調されるが故、能動文では表現される含意関係が薄くなるということなのか?
それとも、【see+目的語+現在分詞】の受動文では、現在分詞がそのまま残ることを考えると、文の構造面で、3文型、つまりS+V+Oの受動文が成立したとみなされ、後続する動詞の部分を修飾部として扱われるというような、文法上で、何かしら調整されているのか?
手持ちの資料では、その理由までは記載されていないため、根拠に欠ける推測をするばかりで、納得のいく説明が得られません。
お力添えの程、よろしくお願いいたしますm(__)m

ガリレオ流・回答①:使役動詞

使役動詞から考えて行った方が納得しやすいかと思います。

質問内で言及してくださっている通り、make(および let, have)の使役構文では、(1)の含意関係が成立しており、それは Johnの働きかけ動作と Maryの動作の間に時間的なギャップがほぼ存在しないと認識されていることが反映されています:

(1) John made Mary do the dishes.
→ Mary did the dishes.

すなわち、(1)では、行為連鎖(行為/働きかけ→変化→結果状態)の一連の流れが、切れ目のない1つの出来事のカタマリとして表現されているイメージです。

※「行為連鎖」と文構造の関係については、以下の動画も参考にしてください↓

これに対し、受動態の文では、働きかけを受ける側の立場に視点が移ります。

(2) Mary was made to do the dishes (by John).

仮に (1)と(2)が、客観的には全く同じ出来事を描写しているとしても、Maryの立場を中心に出来事を考えると、

① Johnからの働きかけ行為を受けた
② ‘do the dishes’という行為に向かった

という2つの出来事は、【切れ目のない1つのカタマリ】と認識できるものではなく、むしろ①→②という因果関係および時間的な前後関係が強く意識されるものです。

この①→②:働きかけ行為①を受けて、②の行為に向かうという感覚を表すのが、元々「目的地」を示す前置詞から派生した toであり、

(2)' {① Mary was made} to→ {②do the dishes}

…といったようなイメージで、2つの出来事を「行為に向かう」という関係で結び付けていると理解すると良いでしょう。

ですので、受動態の Mary was made to do the dishes. でも ‘Mary did the dishes.’という含意関係が「成立しなくなる」とか「含意関係が」薄くなるというわけではないのですが、能動文では「Sが働きかけて『Oが doする』という状況を作り出す」として1つのカタマリのように表せるものが、受動文では「〜される:働きかけを受ける」という部分のウェイトが重くなることで、カタマリがバラける感じになり、それを取り持つのが toの役目、と考えることができるでしょう。

ガリレオ流・回答②:知覚動詞

上を踏まえると、知覚動詞も同じような発想で考えることができます。

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