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【ぼやき】双極性障害と納得

双極性障害でかかっているメンタルクリニックの先生にもうずっと前からフルタイムの就労許可をお願いしては却下され続けている。単発で少し入れているバイトも週20時間以内でと言われている。今までは却下されるたびに自分の状態がそんなに重いとは全く思えないんだが…と毎回謎だった。
だが最近ふと「これが原因…?」というものに行き当たり、もしそれなら今後就労許可が下りることはないなとうなだれている。

子供の頃のいろいろなアレコレで「認めてもらえる」ということにやや強すぎる喜びを持っている。それは戦力として一定の評価をもらえると更に役に立ちたいとがんばりすぎてしまう傾向として表れている。
「がんばりすぎる」は自覚としては持っていなかったが先生に指摘されてそうなのかと認識した。しかしこのことは仕事先からよい評価をもらうたびに喜びのあまり忘れ去ってしまう。振り返るとやっちまったと気が付くが、またよい評価をもらうと忘れ去る。我が事ながら頭悪いと思っている。

がんばりすぎるとどうなるか。
ASD持ちは自分の状態を把握することが難しいとはよく言われる。体力も精神力も自分の限界がわからない。これは振り返ると自覚があって、エンジニア時代は信じられないほど忙しく身体もメンタルも限界を超えた生活だったが「みんなができるんだから自分もできるだろう、できないはずがない」と思ってがんばっていた。体力精神力の基準を自分自身でなく他人の状況に合わせていたのだ。
今まで見てきた限り、終電徹夜も休日出勤続きでも乗り越えられる人々は正直体力お化けで鋼鉄のメンタルの持ち主ばかりだ。誉め言葉だ。職業人として重要なことだ。それはしかしそういう強い人々の基準であって、決して自分自身の体力や精神力の基準ではない。しかも自分の基準は彼ら彼女らより相当低い位置にある。これは認めたくなかったがどうやらそういうことらしい。
誤った基準で働き続けた結果双極性障害を拗らせて鬱状態がひどくなり、フルタイム会社員どころではなくなってしまった。誤った基準での働き続けは20年近くになる。そしてそのまま生活保護受給に至ってしまった。Still now.

先生曰く「頼られるとすぐ何でも引き受けてしまうよね」とのことで、そこは何となく自覚があるので気をつけようとはしているが前述の通りすぐ忘れる。親に認められたことが一切なかったトラウマ持ちなのできっとその反動だろう。ちなみに認められなかった時は親の虐待を思い出してPTSD発症というアホ程めんどくさいメンタルなので我ながら持て余している。
振り返れば新卒で就職して以来この調子で、五十路になってもこれが直らない。かっこよく表現すると特に仕事に関しては喜びと恐怖に支配されている。親に認められなかった分を世間に求めているようだ。
これが就労への希望の主たる要因なのでは?というのが前述の「これが原因…?」の中身である。

双極性障害は服薬と同時に自身のコントロールが必要である。しかし仕事に関してはそのコントロールが簡単に崩れる。そりゃ先生も迂闊に就労許可など下ろせないだろう。
やたらと仕事にこだわっているのはASD持ちな自分の原体験ではないかと思っている。まあいろいろありすぎてあまり思い出したくはない。そしてその原体験も評価と相俟って仕事へと駆り立てる要因と今は考えている。
こんなことをコネコネと考え続けて、がんばる方向が間違っているのでは?という自覚ができた。今は仕事しようとがんばってはいけない、双極性障害の治療を第一にがんばるべき。その上でいずれ双極性障害が寛解したとしても就労したら一発で再発するであろうことも予測できて、就労許可をもらうのはほぼ不可能だろうな…と思い至ったのである。
生活保護もとっとと抜け出したいんだがそれについても難しいのかな。

ここまで自覚してようやく双極性障害の寛解を最優先にすべきと納得した。頭でわかっていても納得できていなかったのだ。納得するということは結構難しいのかもしれない。