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ルーイシュアンの宝石〜1

~ジー(Dzi)の冒険~

プロローグ

深い暗闇の中を、必死に走る少年1人…
淡い銀色の髪が、白い横顔にかかるのも構わずにひたすら走り続ける。
胸に下げたペンダントが走る勢いで激しく踊っている。
蒼ざめた顔、薄い菫色の瞳が不安げに揺れている。
細い手足が痛々しいほど白い。ところどころ皮膚が破け血が流れた跡が見える。
少年は、時々怯えながら確かめる様に後ろを振り返るも、走り続けた。

突然闇の中から、更に深い闇が沸き上がり、やがてそれは人の形をとり、少年の行く手をふさいだ。
息をのみ立ち止まる少年。恐怖に震え絶望に満ちたまなざしを、立ちふさがる闇に向けた。

「やっと見つけたぞ…」
人型の闇は嬉しそうにつぶやきながら、そのリアルな姿を現した。
恐ろしく背の高い、がっしりとした体格の男だった。
足元まで覆い隠す、漆黒のマントを身に着けている。
萌黄色の髪を夜風になびかせている。秀でた額に高い鷲鼻、剣呑に輝く黄色い不吉な双眸。
その額にも大きな黄色い一つ目が輝いている。
男は薄気味の悪い笑みを浮かべると、少年との距離を歩みを進め、ゆっくり詰めてくる。
少年は凍り付いたようにその場に立ちすくみ、身を震わせていた。

その時、何かが爆発したような激しい輝きが、緊迫した二人の間に沸き起こった。辺り一面目も開けられないほどの眩しさ。
「うぉおおお」
男が苦し気に顔を歪ませ、うめき声をあげた。
「シャクティーア?まさか…」
男は忌々し気に舌打ちをすると、また夜の闇へとその体を溶け込ませ消えていった。

輝きが収まり、静けさを取り戻した森の中で、少年が一人気を失い倒れていた。
夜空から一羽の大きな梟が、少年の横に舞い降りた。
梟は首を傾げると、そっとその大きな足で少年の身体をつかみ、夜空へと舞い上がりどこかへと飛び去って行った。

1 記憶を失った少年

木漏れ日の輝く坂道を一匹の黒豹が、優雅に風のように走り抜ける。
大きくしなやかな、良く締まった身体は、上質なベルベットのような輝きを放つ漆黒の毛皮に覆われている。
胸元の毛は傍からもわかるように銀の毛が反時計回りに渦を巻いている。
背骨沿いに柔らかそうな黒い長めのたてがみが、さらさらと風に吹かれている。
長いしなやかな鞭のような尻尾が走る速度に合わせ、真っ直ぐ伸びている。
太いたくましい足が大地を捉え、力強く蹴り上げる。

坂道を上がりきると、小高い丘の上に出る。
黒豹は走りを止めると、眼下に広がる景色を眺めた。
金色に輝く瞳が、遥か下に広がる景色の中に小さな村を捉えた。
黒豹は笑みを浮かべたようだった。
そして、また風のように走り出した。

黒豹は、村を目指して走っていた。
途中、農具を抱えた男が向こうからやってきた。
「あっ…」
男は目を見張った。
黒豹は男をちらりと見ると、ウインクするかの様に片眼を閉じ、風のように走り去っていった。
「相変わらずだなあ…」
男は瞬く間に走り去っていく黒豹を見て微笑んだ。

小さな小川にかかる橋の上で、年配の女性が二人立ち話をしていた。
走り来る黒豹に驚きもせず、一人の女性が黒豹に声をかけた。
「ジー、久しぶりじゃない?」
黒豹は軽く頭を振ると、走るスピードを落としもせず、その小さな村、ポラッカ村へと消えていった。
「相変わらずだねえ。」
声をかけた女性が呆れたようにつぶやいた。
「あのままあの人は、聖獣様になってしまうのかねえ。」
もう一人の女性も、呆れながらも微笑みを浮かべた。
二人は何事もなかったかのように、おしゃべりの続きを始めた。

ポラッカ村外れの小さな家の中。
美味しそうな香りの漂う温かいスープを前にうつむく少年と、それを困ったように見守る老人がいた。
少年の髪は、ほとんど白に近い銀色。透き通るような白い肌。薄い菫色の大きな瞳。形の良い小さな唇を、きゅっと固く結んでいる。薄い清潔な服の上からも、その華奢な身体つきがわかる。
不思議な紋章が刻まれたペンダントを、少年は縋るように握りしめている。
白い綿毛のような髪の毛を後ろで一つに縛った、皺だらけだが血色の良い痩せた老人は、大きな青い瞳で困った様に少年を見つめている。老人は額に生えている渦巻き型の産毛を無意識のうちに指でつまんでいる。
「何か食べんと元気が出んぞ。」
老人は優しく声をかけた。
「僕、食べたくない。」
少年は小さな声で答える。
「もう三日も食べてないんだぞ。」
「僕食べなくても平気だよ。」
少年はちょっと微笑みながら答えた。
「そんなわけはない。お前は守護がないみたいだからな。」
老人は首を振りながら言った。
「守護って?」
少年は首を傾げた。
「わし等を生まれた時から守護し、力を与えてくださる大いなる獣のことだよ。」
老人は穏やかに微笑んだ。
「そうか、カーロさんは梟なんだよね。」
少年は尊敬した眼差しで、老人”カーロ”を見つめた。
「僕にはなんで守護がないんだろう?」
少年は寂しげに言うとため息をついた。
「さあのう。イシュ、お前は記憶をなくしているようだからな。変化も忘れているだけかもしれん。」
カーロはその少年”イシュ”に言った。
「さもなくば、このような剣呑な世界に、今まで生きていられるわけがない。」
「みんな守護している獣は違うの?」
イシュは興味深げに尋ねた。
「そうとも。一人ひとり違うまあ、家計的には同じ種の場合が多いがな。」
「獣には自由に変化できるの?」
「そうとも。好きな時に力を呼び出し、その獣そのものとなれるのだ。まあ、日ごろは人間の形をとっているがの。獣身のままの者もおる。おお、ほれ、あの男をごらん。」
カーロは窓の外を顎でしゃくった。
窓の外の向かい側の道を、痩せた俊敏そうな男が歩いていた。男は木の下で立ち止まると、一瞬で大きな猿の姿に変わった。イシュの目には、男の体内から猿の姿が出てきたというか、猿の姿の中に男の身体が吸い込まれてしまったかのように見えた。
猿になった男は、器用に木に登って行った。
「凄いや。」
イシュは目を見張った。
「あの人は、獣身の力を借りて猿になったんだね。」
「そうとも。おそらくミュラの実が食べたかったんだろう。」
カーロは笑いながら言った。
「獣になった人々と普通のケモノと見分けられるの?」
「もちろんだ。」
老人は笑った。
「それができなければ、獣身喰いの罪を犯してしまうことになる。変化すると、体のどこかに渦巻きの紋ができる。それを確認すればよい。大抵は胸か額に出るがな。家畜のケモノは人には変化できん。獣身になると人に変化できる。」
老人は言った。
「もちろん、人間のわし等も、獣身になったわし等も、普通に食事する。家畜などの肉も食べる。だがな、必ず敬意を示し、体は大地に返し、その力はわし等の中で昇華し、次には家畜というケモノではなく、獣身に生まれて来れるよう、祈りをささげるのだ。」
「そうか…」
イシュは、頷いた。
「だがな、獣身も修業を積み、経験を積んでいくと、聖獣に進化できるのだ。」
「聖獣?」
「そうとも。他の生き物を食べることはなくなる。大気に満ちる”ユラ”という気のみを食べて生きるのだ。そしてやがて、身体に光の翼が生え”本当の世界”へと旅立っていくのだそうだ。」
「ふうん、凄いなあ…」
「イシュ、お前にも必ず守護している獣があるはずだ。早く記憶を取り戻すことが大事だな。」
カーロは少年の小さな頭を優しくなでた。
「おや、やっと来たな…」
老人はしわだらけの顔をほころばせた。
開け放たれいた窓から、大きな黒いものが音もなく部屋へと飛び込んできた。
イシュは一瞬身体をこわばらせた。


2 さすらいの雌豹

大人が両手を広げたよりも遥かに大きい黒豹が静かに佇んでいた。
大きな金色の瞳は、鋭く輝いていた。なめらかな艶のある黒い毛は、美しい燐光を放っていた。背骨沿いには柔らかなたてがみが生えていた。
うっとりするような、不思議な甘い香りを纏っていた。
黒豹は、笑うように、威嚇するように、カーッと大きな口を開けた。
鋭く太い牙が、真っ赤な口の中に見えた。

「おお、ジー。久しぶりだの。」
カーロは親し気に、でもとても嬉しそうに微笑んだ。
「わしの知らせは無事に届いたようだね。」
「ええ。知らせ屋ピップは昨日来たわ。一昼夜全速力で走ってきたのよ。」
黒豹は、その獣の口から、凛とした女性の声で言葉を発した。
「ホッホッホ。紹介しよう。この黒豹は聖獣候補生のジーだ。お前を食べたりせんから安心しなさい。」
カーロは、真剣な眼差しで、黒豹を見つめているイシュに言った。
「ずいぶんなお言葉ね。私はそんなゲテモノ食いじゃないわよ。」
黒豹は不満そうに鼻を鳴らした。
イシュは黒豹の胸元に、銀色の毛が渦を巻いていることに気が付いた。

黒豹は、その内側に流れるように消えていき、その内側からは人間の女性の姿が現れ出てきた。一瞬の出来事だった。
「この子が、その少年ね…」
その女性はイシュを見つめながら、張りのある美しい声で言った。
すらりとした身体を、ぴったりとした黒い皮のワンピースで包んでいた。同じ黒い皮のブーツが締まった長い足を包んでいた。健康そうに陽に焼けた肌は、美しく輝いていた。張りのある豊かな胸元には渦巻き型の痣が浮き上がっていた。
黒い豊かな長い髪を、頭上高くポニーテールにしている。とび色の澄んだ大きな瞳は、美しいアーモンド形をしていた。ちょっと上を向いた鼻、形の良い血色の良い口元。
ただその動作、視線は隙がなく、身のこなしもしなやかだった。若くもなく老けてもなく、年齢はまったくわからなかった。
イシュは、心奪われたように目の前の生き生きとした女性を見ていた。
女性は艶やかに微笑んだ。
「私はジー。よろしく。」
「ぼ、僕はイシュです。よろしくお願いします。」
イシュはジーのとび色の瞳に見つめられ、顔を赤らめた。

「今回はどこを流離っていたんだね。」
カーロは穏やかに尋ねた。
「無事にシャクティーアには会えたかね?」
カーロの言葉に、イシュはハッとした表情を浮かべた。
「逃げ足が速いのよ、ったく。」
ジーが肩をすくめた。
「シャクティーア…」
イシュはそっとつぶやいた。
「シャクティーアとはのう、光のエネルギーなんだ。鳥の姿をとっているらしい。本当の世界の存在らしいのだが、なぜかこの世界にもやってくるらしい。一説では何かを探しているとか。”本当の世界”に連れていく者を探しているとも。現れては風の様に消えてしまう。ジーは結婚もせずにシャクティーアを追って、この世界中を流離っているのだよ。」
カーロは微笑みをジーに向けた。
「失礼ね、カーロ。」
ジーは呆れたようにため息をついた。
「私はシャクティーアを捕まえて、一日も早く聖獣になりたいだけよ。」
「聖獣になるのに修業はしないの?」
イシュが不思議そうに尋ねた。
「そんな面倒なことをしている暇は私にはないのよ。」
ジーはぴしゃりと答えた。
「シャクティーアが持つというマニの果実を食べると、一瞬で聖獣に変化して背中に光の翼が生えて”本当の世界”へ一気に駆け抜け…」
「本当?」
イシュは目を丸くした。
「らしいということよ。でも、試さない手はないわ。」

ジーは部屋の隅の衣装箱の上に腰を下ろした。
「カーロ爺、最初から説明して頂戴。」
ジーはじれったそうに言った。
「ピップから”シャクティーアが現れた。秘密のカギを握る少年を保護している”と聞いたときは、そりゃあもう全身の毛が逆立ったものよ。さ、早く。」
「相変わらずせっかちなところは直ってないのう…」
カーロは苦笑を浮かべた。
「三日前のことだ。夜更け突如ものすごい霊気を感じて目を覚ますと、窓の向こうに眩しい光が西の方へ飛んでいくのが見えた。”コイ”という声なき声を受けたわしは、鷲に変化し光の後を追ったラシャルの森までやって来たとき、そこにこの少年が気を失って倒れているのを発見したのだ。不思議に思ったが、何かを感じ、わしは少年を保護することに決めたのだよ。」
カーロは優しい眼差しをイシュに向け、菫色の瞳を覗き込んだ。
「この少年は、イシュという名前と”裂け目”という言葉以外、一切の記憶を失っていた。気が付いたときは既に、ただ何かに怯え、逃げ回っていたのだという。闇の中からその恐れの正体が現れ捕らわれそうになった時、突如眩しい輝きがおき、その恐ろしい捕獲者が”シャクティーア”というのを聞きながら気を失ったそうらしいが。わしが行ったときは、もうその者も輝きも何もなかった。」
「するとなにかい…この少年を助けさせるためにシャクティーアはカーロ爺を起こしたのね。しかもそいつから自身で守ったのか…」
「そうらしいのう。」
「不思議な話だわ。シャクティーアが個人を助けるなんて有り得ないわ。」
「驚くのはまだ早いぞ。イシュを捉えようとしたその者は、萌黄色の髪に、黄色の目を持つ大男だったそうだ。しかも目は三つ…」
「なんですって⁉」
ジーは大声を出した。
とび色の瞳が熱を帯びて爛々と燃えてきた。
「それは間違いなくモルバブジ!」
「そうだ。邪の最高闇祭司モルバブジだ。間違いないだろう。しかし奴がなぜイシュを狙うのかわしには分らん。ただ…」
カーロはイシュの白い顔をちらっと見やった。
「イシュには何か深い秘密がありそうだ。」

「イシュの胸に下げているペンダントを見ろ。」
ジーは訝しげにイシュの胸に顔を近づけた。
円形の半透明な石だった。その表面にとても繊細な細工が施され、中央に三つの渦巻きが彫られていた。渦巻きの中央にさらに小さな透明な石が埋め込まれている。その石は、角度によって鮮やかな青や紫の閃光を放った。
「あっ、この模様は…それにこの石なんだか神秘的ね。」
「そうだ。世界の裂け目を封印している”スギライ・ローの神殿の紋章だ。それに中央の小さいけれどとても美しい石は“ルーイシュアンの宝石”の欠片ではないだろうかと。」
「ええっ⁉」
ジーは驚きの叫び声をあげた。
「ルーイシュアンの宝石といったら、そのスギライ・ローの神殿の奥深くに奉じてあるという石でしょう?その石の輝きを浴びながら石を手にすると望が叶うと言われている…」
「噂ではな。石は世界の裂け目を封印するためにそこに祭られておるのだ。宝石は淡く輝きを放つ透明な石だが、角度によって時折ギラリとした青や紫の光を放つと聞いたことがある。
よく分らんが、イシュはその神殿に何か関係があるのではないだろうか?でなければ、闇にうごめくモルバブジが御自ら出てくるわけが分からん。イシュがわしの家で意識が戻った時、裂け目が…と呟いていたから間違いないだろう。イシュが記憶を取り戻せば、もっとはっきり分かるだろうが…」
「ふーん…」
ジーは鋭くも深い瞳で不安そうに俯いている儚げな少年を見た。


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