1ヶ月限定の不便な日々が始まった
来月中旬に決まった新居への引っ越しにあたり、着々と準備が整っている。
日々、今の住まいの状態が殺風景になってく。飾っていた写真や絵は剥がされ、不必要になったものは日に日に処分、生活に困らないものはドンドンと段ボールに梱包され、各部屋には積み上がった段ボールとゴミ袋の山。
私の部屋も例外ではなく、なんとも居心地の悪い環境になっている。まあ、引っ越し日までのあと1ヶ月程度かと思えばなんてことはないのだが、不便さに不慣れなため、探し物をしては「ああ、捨ててしまったのか」「段ボールに詰めてしまったか」とモヤモヤとすることが多くなってきた。
ここまでくるとほとんど諦めの境地、不必要なことはしないにかぎる、とシンプル極まりない生活を送っている。
しかしながら習慣の就寝前の読書用としてストックしておいた本をもう少し残しておけばよかった。このままのペースでいけば来週中にはどれも読み終えてしまう。だからといって物を整理している最中に新しい本を購入するのも気が引ける、来週以降はどうやって就寝前の時間を過ごそうか。
そして、もうひとつの習慣である早朝の第二領域の時間に使用する本や資料も段ボールに詰めてしまった。よって、今朝も習慣から早起きをするのだが、新聞を読み終えた後に手持ち無沙汰になり、必要以上にはやく出勤する事態となった。
それはそれで悪くはないのだが、せっかく限定的に与えられた不便な環境。どうせなら今しかできない時間の使い方をしてみようと、思案するのである。
この際、仕事や商売にかかわることを一旦切り離してしまって存分にプライベートに意識をむけるというのもいいかもしれないと思った。あらためて考えた欲しいものリストはなぜだか乏しい。
元々あまり物欲がないのもあるが、この度の新居で買いそろえた物でほとんどその欲求を消化してしまったようだ。そして今回あらためて思い知らされたのだが、私は家で過ごすことが好きだということ。社交的ではないし、活動的ではない私にとって、一番落ち着き、一番高揚している時間が好きなものに囲まれた家の中でゆっくり過ごすということなのだ。
そのわりに新居の打ち合わせの際、こだわりをほとんど発揮せず、建設会社の担当者を驚かせたのだが、それでも自分なりに整えた環境で過ごす時間を新居に求めたのは確かだ。
今の家に引っ越した際には自分の時間というより、子供たちの成長を軸に検討した記憶しかないが、今回はその当時よりいくらかは自分の時間や過ごし方が反映されている。
1ヶ月後から始まる新生活はどんなものになるか楽しみではあるが、とりあえずこの不便な環境で何ができるかもう少し考えてみたいと思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?