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当たり前の危うさ

 新型コロナウイルスに変化を強いられたことによって、さまざまな新しい文化が形成されてきている。ということについて、「創作の源泉」で書いた。

 現代文の授業で丸山眞男著「日本の思想」「『である』ことと『する』こと」という文章を扱った。
 その中に「不断の民主化によって辛うじて民主主義でありうる」という一文がある。この文は、民主主義を何もせずに享受できるものとして捉えず、行動することによって、その制度を保っていかなければいけないという意味を持っている。
 
 当たり前だと思っていることは、実はさまざまな努力によって成り立っていて、それに安住しているといつかその当たり前は消え去ってしまう。というのが僕なりの解釈だ。
 まさに、新型コロナウイルスの影響である。我々はマスクをすることや、ソーシャルディスタンスを保つことが新たな当たり前となり、従来の当たり前は無くなってしまった。
 
 日常生活でもそれは言える。学内で行われた進学研修会というイベントで、OBの方のお話を聞く機会があったのだが、ある方が
「日本で私立の学校に通っている学生の割合は7%程度で、東京都でも25%程度しかいない。これを世帯年収になおすと、上位7%の世帯は1100万円程度稼いでいる。これは凄いことだ。」
とおっしゃっていた。

 僕は今の生活が当たり前だと思っていた。

 しかしそれは違った。恵まれた家庭にいることに気づいた。
 さまざまな「つながり」によって生かされていることに気づいた。

 その当たり前を保つ為の当たり前の行動。
 勉強や部活、学校行事をしっかりとすること。
 それが当たり前を保ち、更に豊かな生活を営む為に必要なことだと知った。

藍出 青人(論説委員・高校1年)

Photo by rawkkim on Unsplash

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