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東北縦断の旅 ⑩津軽(最終回)

あっという間に最終日。

最終日は、まず津軽半島方面に北上していきます。

弘前から車で移動すること1時間。十三湊(とさみなと)に到着しました。

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十三湊は鎌倉時代に安藤氏の下で急速に発展しました。安藤氏は鎌倉幕府の得宗北条氏の被官(御内人)で、鎌倉時代後半に登場します。安藤氏は鎌倉時代に「蝦夷管領」、室町時代以降は安東氏と改めて「奥州十三湊日之本将軍」と名乗り、東北地方において絶大な影響力を持ちました。
戦国時代に入ると秋田氏と改めますが、台頭してきた南部氏に敗れて衰退してしまいます。しかし、その後も何とか生き残り、江戸時代には先祖代々のこの地から常陸宍戸藩⇒磐城三春藩(福島県田村郡三春町)と転封し、明治時代まで残りました。

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十三湊は日本海とつながっている天然の良港で、本州各地との交易はもちろん、奥州藤原氏の支配下にあった11世紀頃からは北海道のアイヌや、室町時代には中国・朝鮮半島とも交易していたことがわかっています。周囲の遺跡群からしても往時の繁栄は素晴らしいものだったことでしょう。

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近くの小島に建てられている市浦村地域活性化センター。ここには十三湊の歴史を学べる資料が展示されています。

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十三湊から車で20分ほど南下すると、以前紹介した亀ヶ岡遺跡があります。

次にやってきたのは太宰治の斜陽館です。

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太宰の父津島源右衛門は地元の資産家で、衆議院議員にもなった人物です。この斜陽館は、太宰が幼少期を過ごした場所です。

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この斜陽館の中に入ると、その巨大さ、豪華さに驚かされ、大地主津島家の財力を知ることができます。太宰も恵まれた幼少期を過ごしたことでしょうが、残念ながら六男であったため、戦前の家制度ではこの財産を継ぐことはできません。芥川龍之介にあこがれ、中学生になると家を出て、小説家を目指すようになります。

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『斜陽』は太宰治の小説です。戦後、華族制度(戦前の日本では、江戸時代まで公家・大名であった上流階級や功績のあった人に爵位が与えられ、特権階級として君臨していました)の廃止により、没落していく華族(斜陽族)を描いた小説です。その着想は、自分の生家津島家がGHQの農地改革によって土地を失い、大地主から転落したというできごとにあり、文章の多くは当時の恋人であった太田静子の日記を流用して書かれています(太宰は盗作のために静子に近づいたとか、太宰の死後に著作権をめぐる争いがありました)。

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太宰の死後、この太宰の生家は売却され斜陽館という旅館となりましたが、その後経営が悪化し、平成になると現在の五所川原市が買い取って現在のような資料館となりました。

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青森市に戻り、八甲田山に到着しました。
明治35年、日露戦争を見据え、極寒地での軍事訓練を目的に、真冬の八甲田山で陸軍が訓練をしていたところ遭難し、訓練参加者210名中199名が死亡したという八甲田雪中行軍遭難事件があった場所です。高倉健・北大路欣也主演の映画『八甲田山』もこの事件を題材としています。

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ロープウェイで頂上へ。一面霧で覆われています。
外に出ると……。とにかく寒い! 真夏日ですが、半袖ではとてもではありませんが滞在できません。すごすごと建物の中に戻ります。登山客が多いようですが、皆さんしっかりとした装備です。
真夏でさえこんなに寒いのに、真冬の八甲田山での訓練なんて絶対にできませんね。

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青森空港に向かう前に少し時間があったので、市内の青森県立郷土館を訪れました。

豊富な考古資料が所蔵されており、学内で使っている日本史テキストに画像などを利用させていただいております。感謝です。

夕食として青森県の名物である桜肉(馬肉)を食べ、青森空港に向かい、今回の旅は終了となりました。
あっという間の4日間。強行スケジュールだったためいささか疲れましたが、有意義な体験ができました。東北地方は何度も訪れていますが、白神山地や恐山など、まだまだ残っています。今後も時間ができたら、再度旅に行きたいと思います。

高瀬 邦彦(たかせ くにひこ・地歴公民科)

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