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「限界科学」(2021年度弁論大会中学3位)

 「人類に限界はない」「人間の可能性は無限大だ」……そういう意見をよく聞きます。たしかに素晴らしい考え方です。が、しょうじき綺麗事だと思えてしまいます。そこで、科学的な考え方でもって、少し「人間の可能性」について考えてみることにしました。まずはその時に浮かび上がってきた「科学的な人間の限界」について、2つの例をお話しします。

 まずは皆さんも知っている「限界」……「スポーツ」、その中でも100m走についての例です。100m走は数あるスポーツの中でもとりわけ人気で、現在の世界記録を知っている人も少なくないでしょう。その記録は、ウサイン・ボルト氏が叩き出した9秒58。驚異的な記録です。そんな100m走ですが、実は今までの世界記録からある程度、タイムの限界がわかってしまうのです。それは人間の身体にあまり変化がないから。「陸上の限界曲線」と呼ばれる算出方法で、それによると今までの100m走記録はほとんどがこのように緩やかな曲線の近くを通ります。そしてその曲線のたどり着く最低点は、9秒27。ここが、人間の脚力の限界です。

 次に、私たちにも身近で切実な「限界」をひとつ。……「寿命」の話です。

 世界の平均寿命は、ここ50年で47歳から73歳、実に二十五年余りも伸びています。ですがこのまま伸び続けるのかといえば、残念ながらそうではありません。寿命は150歳前後で頭打ちになってしまうというのです。それはなぜか?実は人間の寿命には2つの要素があり、1つは生物学上の年齢、もう一つは回復力で、150歳前後になると二つ目の回復力が完全に失われてしまいます。回復力とは細胞が元に戻ろうとする力のこと。生き物は細胞の循環なので、その循環がなくなってしまえば何をしようとも無駄というわけなのです。

 以上は、人間の限界のほんの一例です。これらの例からわかるように人間には、できないこと・どうにもならないことがたくさんあります。人間には、限界はあるのです。

 ……というように「人間の限界」について断定してしまうのは、今の段階では少し早すぎます。科学的な考え方というものを用いた以上、このような結論では実は不完全なのです。

 何故でしょう?

 その答えを説明するには、まずは科学というもの自体を理解していただく必要があります。

 科学と言われて少しとっつきにくさを感じてしまったかもしれませんが、本質は単純です。科学とは、できないこと・問題を「なぜ出来ないのか」考えて原因を突き止める。そして原因を踏まえ、「どうしたらできるようになるのか」考える。その繰り返しのサイクルを通じて発展してきたものです。

 真に「科学的に考える」というなら、このサイクルも加味すべきなのです。

 より具体的にいうと、私の論は「現在の人間の限界」だけしか考えておらず、今まで科学的な積み重ねがあったから成り立つものだという考えが足りていません。

 たとえば、私は100m走の話をしましたが、100m走の記録が年々下がっていったのはここ数十年で走法や使う道具にさまざまな革新が起きたからです。しかも先程は述べていませんでしたが、ウサイン・ボルトさんの記録は「陸上の限界曲線」を今までにないレベルで下回っているのです。つまり、今後なんらかの革新がおき、この曲線が改められる可能性も大いに有り得ます。

 寿命の話も、そもそも医療技術の革新があったから今ここまで詳しいことがわかるようになりました。今後更なる医療技術の進歩によって、限界だと考えられるポイントが大きく更新されることも十分考えられるのです。

 これら数々の科学的な革新・サイクルを省みた場合、やはり私の論には不十分なところがあると言えます。

 それは時間への期待。過去、現代と続いてきた科学的な問題解決のサイクルが未来にも続いていた場合、今限界だと考えられている制約もなくなるかもしれません。そしてその未来のサイクルを作り上げていくのは、現在を生きる私たちの行動一つ一つなのです。

 たしかに現在、人類には限界があると言えるでしょう。しかし過去、今よりも人類には限界があったのです。ですがその限界は、過去の人々によって取り払われてきました。今の科学の限界は、人類の限界は、私たちで突破してやろうではありませんか。

(中学3年)

Photo by Braden Collum on Unsplash

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