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「僕はここにいていいんだ」

 この言葉は、1990年代に放映され、社会現象となるほどのブームを呼んだアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」のテレビ版の最終回における主人公「シンジ」のセリフである。(以下、テレビ版に即した内容なのでご注意を)

 主人公シンジは、幼い頃母を亡くし、父に捨てられ、知人の家で育てられるという過去を持ち、両親の愛情を受けて育つことがなかった14歳の少年である。それが突然「ネルフ」という特務機関(地球防衛のための研究所のようなもの)で働く父に呼び出され、「使徒」と呼ばれる謎の怪物と「エヴァンゲリオン(以下エヴァと略す)」というネルフの造った人造人間(ロボットのように見える)に乗って戦えと命じられる。エヴァに乗れるのはある条件を満たした人物で、それがシンジであったのだ。シンジは、今まで自分を捨てていたくせに必要となると呼び出す父親に嫌悪感を覚え、最初は拒否するが、自分と同い年で傷だらけになりながらも戦う少女「レイ」の姿を見て、エヴァに乗ることを決意する。
 次々と現れる使徒を倒すたびに父やネルフのみんなに褒められ、自分の価値をエヴァに乗って使徒を倒すことに見出し始めるシンジ。「僕が使徒を倒せば父さんが褒めてくれる。父さんは僕を見ていてくれるんだ。」そう信じるシンジ。しかしそれは逆に言えば、エヴァに乗ることにしか自分の価値を見出せないことを意味する。そしてひょんなことからネルフを除隊することになり、自分には何もないと思い詰めてしまうシンジ。
 しかし最終回でシンジはやっと気づく。自分は確かに弱い人間だ。でも弱いからこそ、人の悩みや苦しみがわかる。そう周りの人が気づかせてくれた。それを良いと思ってくれる人もたくさんいることを。そうか、自分は自分のままでいいんだ。だから僕はこの世に堂々と生きていていいんだ!その気持ちがシンジの最後の台詞「僕はここにいていいんだ」に込められている。

 ある心理学専攻の大学生が自分の研究論文のホームページに次のような文を書いている。「庵野秀明監督(エヴァの監督)は14歳のシンジ少年に『僕はここにいてもいいんだ』の一言を言わせるために、第3新東京市の地下にネルフの重厚な基地を作り、エヴァンゲリオンを3体完成させ、17もの使徒に地球を襲わせ、25回に渡ってエヴァと使徒との戦いを放映してきたのである。」(http://homepage3.nifty.com/mana/eva.htm:2020年8月現在リンク切れ)と。まったくその通りだと思う。

 人はみな人生の中で、必ずシンジのように思い悩み、自分の価値、生きる意味を見失うときが来るのではないだろうか。現に私自身も2度、3度あった。教員としての自信をなくしたのである。自分に人を教えることができなければ、自分には生きる価値もない。そう思った。しかし、このアニメの最終回を見て、はっと思った。自分は教員であるためのみに生きているのではない。自分には自分の良さがある。今の自分を受け入れてくれる人もいる、と。
 確かに人間、努力は必要だ。しかしどんなに努力しても結果が出ないことだってある。でも一つの結果がダメだからといって、自分を全否定しないで欲しい。君たちには君たちにしかない良さが他に必ずある。全部ができなくたっていいじゃないか。みんなに認められなくたっていいじゃないか。君たちを認めてくれる人が必ずどこかにいる。逆に一見ダメに見える人にだって必ずその人なりの良さがある。それが見えるようになれば、それこそうちの学園のモットーである「違いを認め合って思いやりの心を」が本当に理解できたことになるのではなかろうか。

 何かに挫折し、自分の価値を見出せなくなったときはこの台詞を思い出してほしい。「僕はここにいていいんだ」。君もここにいていいんだ!

(英語科教諭)

Photo by Everton Vila on Unsplash

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