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「しし」 になった二日間


今年から、正確にいうと火曜から「しし踊り」を始め、週末の遠野まつりに参加した。

休憩時間を含めると21時間「しし」として行動し、ひたすら踊った。4キロ痩せ、ももがパンパンになり、休足時間という足爽快シートを片足だけで5枚貼って寝た。

しし踊りは、鹿の供養と五穀豊穣の意味があるとされる東北の郷土芸能だ。夜になると鹿と遭遇するのが普通な遠野だが、そんな「動物との対立と調和」を表している踊りだという(学芸員の前川さんより)。もののけ姫みたい。

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まず、しし踊りを始めた経緯だが、もともと今回参加した附馬牛の「張山(はりやま)しし踊り」に仲間が参加していて、それがきっかけでお盆の行事を撮影しに行きはじめた。

そこで現地の方々と知り合い、その流れで遠野まつりも撮影しようかなと思っていた。なんだか最初から「岳ちゃん」と呼んでくれフレンドリーでなまりの強いおじさんたちなのだが、「岳ちゃんは遠野まつりから踊ろうか」なんて言われても、「いやいや〜」とかなんとか言っていた気がする。

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ちなみに、この「張山しし踊り」は『遠野物語』の序文に登場する団体であり、柳田國男が約110年前に遠野を訪れた際に初めて見たしし踊りだとされる。

" 天神の山には祭ありて獅子踊あり。ここにのみは軽く塵たち紅き物いささかひらめきて一村の緑に映じたり。獅子踊というは鹿の舞なり。鹿の角をつけたる面を被り童子五六人剣を抜きてこれとともに舞うなり。笛の調子高く歌は低くして側にあれども聞きがたし。" (『遠野物語』序文より抜粋)

ひとり"平地人"として遠野を訪れた柳田は、天神の山(菅原神社)にて勇壮に舞うししと、子どもたちの舞、笛や歌の拍子を聞いて旅愁を感じたわけである。

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柳田は序文の中で

"これを語りて平地人を戦慄せしめよ"

と象徴的なメッセージを残しているが、彼は平地人と対になる遠野の「山人」たちの暮らしや芸能に感銘を受けたに違いない。世は明治維新と言っているが、形だけ西洋化してるんじゃないのか。ここに在るものが、我々日本人が大切にするべきものであり、これから生きていく中で拠り所になるものがあるんじゃないか、そんな想いが読み取れる。(この気持ちは同じくソトモノとして遠野の地を訪れて、ここの文化に触れている自分もめちゃくちゃ共感できる)

この「序文」はそんな柳田の鼻息荒めの強い意志と、色鮮やかな色彩感覚で夏の遠野を切り取っていて、とても好きな文章である。おもしろTONO学でも序文をテーマにした取り組みもしてきた。



そういうわけで、遠野物語を中心として遠野の文化を学んでいる自分にとって、この「張山しし踊り」は間違いなく特別な団体のひとつであった。なので、今年、遠野まつりをテーマに撮影しようと思ったとき、全体を幕の内弁当的に撮影するのも良いが、張山に絞って撮影していこうとも考えていた。当初は。


あれよあれよと遠野まつりの週となり、カメラ充電しておこうかなと思っていた矢先、急遽「人数が足りないから出てほしい、踊れるようにすっから」と連絡をいただいた。
なんだかこれは、もうそういうことなんだな、と思った。打席が回ってきたなと。即決し、張山のししとなることにした。

練習では「長さん」という63歳のレジェンドの後ろにぴったりと付き、ひたすら踊って覚える。合唱コンクールのような、個別パートの練習→全体で合わせるというのではなく、全体で踊る中に最初から投入され、見よう見まねで覚える。楽譜もなければ踊りの解説図もない。

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後に知るのだが、この全体で踊るというのがとても大事で、踊り手は太鼓や笛の拍子を聞いてステップを踏み、次の踊りへと移っていく。逆に太鼓も、"2回叩いたら次" とかではなく、踊り手の準備が整ったら次に移るといった具合に、相互に連携して行われているからだ。

これにはかなり驚いた。それを象徴するやり取りがあって、「このパートの二番目の動きってどうでしたっけ?」と自分が聞くと、太鼓が鳴らねぇとわからねぇなぁといった具合の答えが返ってくる。!!!。そういうものなのかー!
回数ではなく、音を聞いて踊っていたのだ。調和だし、ジャムセッションだと思った。そこからは、できるだけ太鼓や笛の音を聞くようにして踊ってみた。
どうでもいいが、かつてピアノを習っていた頃、楽譜が読めなかったのですべて指の動きで暗記していたのを思い出した。暗記では限界がある。

長さんの他にも、とにかく周りにいる先輩方に助けられた。本番が最大の練習!というのは本当にその通りで、二日間、先輩ししと踊りまくって最後の最後に「なんとなく踊れている」という感覚になった。

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とはいえ所詮は数日の"赤ちゃんしし"であり、テンパった時は狭い視界の中で隣のししを見たりしていた。ただ、ししは頭(かしら)を大きく動かすことで動物感が出てくるため、次は隣を見ずに頭を振り乱して踊れるようになりたい。きっと気持ちいいだろうな。


まぁ課題は言い出したらきりはないけど、まずは二日間やりきることができ、終わった後の充実感は半端なかった。ああ、超楽しかった!と。
二日間の締めの遠野郷八幡宮の馬場(約220mの直線)は最大の見せ場。
観客がいるので120%休みなく踊らなくてはいけないのだが、なかなか前が詰まって進まず、心が折れそうにもなった笑。けど、最高に楽しかった。


打ち上げで多少酒のまわった長さんとも色々アツい話をすることができ、これからも続けていこうと思っている。何よりあの序文の世界の一員になれたことは自分にとって感慨深すぎる。本当に。

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いつか遠野物語に登場する表現をもとに「富川は、山人に憧れている平地人だよね」と例えて頂いたことがあったが、いつの間にか山人側に足を踏み入れてしまった。
自分の本業はプロデュース業であり、どちらかというと俯瞰したメタな視点で物事を整理するのが得意だが、こうして内側に入り込むと、その視点でしか見れない景色や考えが見えてきて面白い。

プロデュース業と「没頭すること」は相反するものかもしれないが、時に当事者としてしし頭を振り乱し、太鼓に合わせて踊り狂うのも面白い。その現場でしか得られない視点をさらに俯瞰して位置づけし、編集して外に伝えていけたらいい。

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遠野物語を大橋先生から教えてもらっているのも同じことだけど、伝承の現場に身を置き、この地域でできることをしていきたい。そんでもって、次におもしろがって後に続いてくれる人が増えればいいなぁと思っている。

まつりの翌日、ゆっくり休めばいいのに妙に早く目が覚めてしまい、そんなことを考えていた。




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今回、張山しし踊り保存会の方々にやさしく楽しく受け入れてもらい、こういう機会をもらえたことに感謝しています。改めて遠野はおもしろい場所です。それではまた来年?お会いしましょう。

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※アシスタントの阿部は冷害の年・1993年生まれということで、張山では「れいちゃん」と呼ばれています。遠野在住3ヶ月でこの顔。男前になってきた阿部も頑張りました。

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