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広告代理店時代。東京での7年間。


過去の資料を整理していたら、ふと東京での広告代理店時代についてまとめたシートがあったので、この機会に少し備忘録的に書いてみる。

2016年からの遠野時代を知ってくださってる方は多いが、その土台は間違いなく、東京時代に作られている。

たまたま見つけたシートがこちら(詳細は伏せてます)

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過去は輝いて見えるし、無意識に肯定したくなる。

なので、筆を走らせる中で気持ちよくなって、「俺、いい感じにやってました」感が出てしまうかもしれない。しかし、現実は赤坂Bizタワー14Fの一番端、喫煙ルームの隣のオープンスペースで、冷や汗をかきながら上司に電話して、指示を仰いでいた自分を忘れないようにしたい。「富川、これはダメだよ」と、よく叱られ、助けてもらっていた。

なので、淡々と、なるべく簡潔に事実を書く。




2009年、新卒で「spicebox」という日本初のデジタルエージェンシーに就職。

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新卒では spicebox という会社に入った。

ろご

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博報堂グループのデジタル領域の総合広告代理店として、戦略からプロデュース・クリエイティブのディレクション・調査/分析まで一気通貫で行う会社であり、当時40名前後の成長期だったと思う。

大手代理店やサイバーエージェントなどデジタル領域から転職してきた30歳前後の野心的な人たちが多く、どこか海外のクリエイティブエージェンシーのような風合いがあった気がする。恵比寿ガーデンプレイスのオフィスには英語のラジオがずっと流れていて、フランクな雰囲気だった。

退職する頃には100人を超える企業になっていたので、その成長過程に入れたことはとてもラッキーだったと思う。

ちなみに、就職活動では、コピーライター職を募集していた企業が第一志望だったがうまくいかず、一方で、当時「バイラル広告」と呼ばれるYouTubeなどを使ってBuzzを狙うプロモーションがNIKEグローバルなど海外で流行り始めたタイミングだったこともあり、デジタル系も面白いかもと思い、エントリーさせてもらった。田舎の大学生を採用してもらい、今振り返っても感謝しかない。そして、結果的にはこちらの道を選べて本当によかった。

さて、1年目〜3年目は、とにかくプロデューサーとしての土台を作るような日々。先輩のアシスタントとして、社内会議の調整や資料づくりのサポートから始まり、やがて外部の制作会社さんとのやりとり、スケジュール、見積、プロマネ的な制作進行をした。20ぐらいあるサイト運用を担当していた頃は超大変だった記憶があるものの、他社も含めた先輩方に叱られ迷惑を大いにかけながら、土台を作ってもらった気がする。パソコンの中のファイル管理の方法などから教えてもらった。

ただ、実力不足により、自分が思い描いていた広告マンやクリエイターの仕事とは程遠い日々。『ブレーン』でクリエイターとして特集されることも、海外の広告賞を受賞することからも遥か遠く、沈んでいた。制作進行業務のほか、WEBサイトのアクセス解析、ECサイトの分析の仕事(超キツかった…)などを経て、心が折れかけていた3年目にプロモーション企画が初めて通り、そこから本当の仕事の楽しさを実感できるようになった。沈んだままだったら転職していたように思う。


と、
この先を書き始めたのだが、思い出がありすぎて本が書けそうだったので、違う機会とする。



博報堂 営業局常駐時代

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話は2012年へ。

博報堂営業局にデジタル系スタッフとして、先輩との入れ替わりで常駐することに。社会人4年目、25歳。spiceboxでは、プランナーやプロデューサーなど一線で活躍する色々な先輩方に鍛えられたが、ここではTHE・広告マン、営業としてのスキルを大いに鍛えられた。赤坂駅直結の赤坂Bizタワー14Fで働き始めた。

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そうそう。一般的に広告代理店は、総合的な課題解決を行うため、イベント、デジタル、メディアなど様々なグループ会社から専門職の人たちが出向して成り立っている。
※ちなみに、博報堂には就活では1次試験で落ちている。こうした形で博報堂の中で働くことができるとは、学生の頃は知らなかった。

当時、twitterが主流で、facebookがようやく浸透し始めた頃。mixiがちょっと落ち目だったかな。SNSを用いた施策が増えてきたタイミングでもあったので、なにかウェブ/デジタル施策の案件があればすぐ呼ばれ、様々な業務を担当させてもらった。

具体的には、WEBサイト制作、イベント、キャンペーン、SNSアカウントの企画/運用、映像、WEBメディアとのタイアップ企画、LINEスタンプなど、とにかく横断的に企画からプロデュースに関わらせてもらった。デジタル領域はCMなどに比べて予算がそこまで多くないので、とにかく色々自分でやらないといけない感じだったように思う。

メジャーブランドのプロモーションは、こういう流れで決まり、こういう形で動いていくのだなと体験できたことはとても勉強になった。ちなみに、この時は、本当に朝から朝まで仕事をしていた。午前3時の富士そば赤坂店のかき揚げそばの味は忘れない。


後半では、第一線のクリエイティブディレクター・博報堂/HAKUHODO THE DAY(現在は「僕とYOU」)の瀧澤 慎一さんが書く企画書なども見せてもらったりした。自分の中で博報堂のCDといえば瀧澤さんというぐらい、強く印象に残っている。カッコ良かった。あの佐藤可士和さんと瀧澤さんとの打ち合わせなどは、すごくスリリングだった。すみっこで見てるぐらいしかなかったが。

また、営業局には、やはり営業のプロたちがいた。仕切りがうまく、ゴルフもうまい。局面での身体の張り方、言葉づかい、スタンス、仕切り、コミュニケーション。それはプロデューサーとは少し異なる役割で、学びが多くあった。

クライアントの皆さんも素晴らしい方が多かった。今もSNSで繋がっている。お互い真剣勝負だったので大変な日々ではあったが、その分とても仲良くなった方もいる。今でも、iphoneケースは2014年にクライアントからいただいたものだ。


と、やや思い出に耽ってしまったが、こうしたTHE・クラシカルな広告代理業を経験できたことはとても大きかったと思う。


spiceboxに戻り、新規開拓チームのマネージャーに。

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2015年からは、博報堂からspiceboxに戻り、新規開拓チームのマネージャーを担った。初めて部下を5人持ち、数字管理をし、新規アポ先に行って、自主プレゼンもたくさんした。当時28歳。

プレーヤーとしても未熟な中でチームを管理するのは難しかったし、結果はそんなに出なかったと思うが、新卒社員やメンバーに助けられながらマネージメントや新規開拓にチャレンジしていたように思う。

とても貴重な役割を与えてもらったし、spicebox社としても、これからマネージメントとして会社の中核をになってほしいタイミングだったと思うが、30歳を前に、もう一度プレーヤーとして成長したい、地方の仕事がやりたいという想いが募り、2016年に遠野市に移住してNext Commons Labを共同創業。2017年にはフリーランス、2019年には株式会社富川屋を設立した。そのあとは今に至る。


こうして振り返ると、現在のオールラウンダー型のローカルプロデューサーとして自分を形成してもらったバックグラウンドには

(1)当時成長期であったデジタル領域に身を置くことができ
(2)さらに総合対応を求められる役割であったこと
(3)さらに、デジタルに軸足を置いていたので、若くても大きなクライアントを担当させてもらえたこと
(4)さらに転職組&30代前後の多様な先輩方がいたことで、様々なスキルを学ぶことができたこと
(5)さらに営業局で営業のプロに囲まれたこと
(6)目指すべきクリエイティブディレクターの仕事の様子を見れたこと


などが挙げられるだろう。そのスキルセットをひいひい言いながらもインストールできた7年間は、やはり貴重な日々であった。



ちなみに、退職する少し前、地方案件を会社でできないかなと思っていて、こんな社内企画を考えていた。地方の博物館をアップデートするような企画。東京にいながらはやっぱり難しかったろうなと思うけれど、6年後、少々クレイジーで斜め上にいってるが実現していた。

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以上、駆け足になったし、すべて網羅できてる訳でないが、ざざっと勢いで振り返ってみた。色々な顔やシーンが浮かぶ。もっと書きたいことはたくさんあるが、別の機会にとっておく。




こんな感じの7年間があり、現在がある。


今、まわりには20代が多くいる。よく彼ら・彼女らに話すのは、20代は色々チャレンジして、良い思いも痛い思いもすること。そして、誰かに的確に指導され、またディレクションされること。そしたら土台ができて、30代から活躍できると。その言葉の裏側には、今回書いてみたようなことがベースにある。


気づけば、今年で遠野に移住して7年目。いつの間にか、東京時代とおなじ年月が経った。あの頃を胸に、引き続きプロデューサーとしてのスキルを磨いていきたい。

もうすぐ東北に春が来る。



2022.03.26
株式会社富川屋 
代表 富川岳

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事務所の風景

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