鼻ったれ美徳へ詩人を問うー篠崎フクシ『緋のうつわ』の窓外に立って
こういう言い方で失礼すれば、まず詩を読む場合、ざっと「詩人」と「日曜詩人」とに分けてしまうことが身に沁みてしまったために「日曜詩人」という一群は熟読の範囲にはいらなくなってしまった。これはわたしの読書の放棄であり、「日曜詩人」の意味合いについてはよくかんがえてこなかったことによる逃げた姿勢だからよく反省しなくてはならない。ある一定の理念に取り巻かれた詩人群がもたれあって評価し合う日曜日の世界へ別段なにかいちゃもんをつける必要などだれにもありはしないからだ。しかしわたしの元へ