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學鐙 秋号(Vol. 120 No.3)

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學鐙 秋号(Vol. 120 No.3)の掲載記事をまとめました。特集「共に在る、共に生きる」(2023年9月5日刊行)
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記事一覧

山極 壽一「ヒトの共感力――野生の記憶と可能性」

サルの餌付け  これまで長い間、言葉を持たないサルやゴリラと付き合ってきた。そこで学んだのは、「ともにいる」、「ともにある」という気持ちは時間とともに芽生えるということだ。私はまだ人に馴れていない野生のニホンザルやゴリラと友達になろうと努力してきた。彼らの自然の暮らしを内側からのぞくためには、どうしても彼らの群れの中に入って一緒に暮らせるようにならなければいけない。野生の動物は人間に敵意を抱いているから、まずその警戒心を解かねばならない。それには途方もない時間がかかる。  

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池上 英子「「ある」と「いる」の間で—―ニューロダイバーシティ時代を生きる」

 日本語の「ある」と「いる」の区別は学習上の難所らしい。「机の上にペンが“ある”」だが、「猫」なら「机の上に猫が“いる”」。英語では、be動詞で事足りて「ある」と「いる」の使い分けなどない。日本語教育では、チューリップや建物のような動きのないものを指すなら「ある」、と教えるらしい。その通りだが例外もある。  言語学者の山本雅子さんは、その例外をこんな風に指摘している。  ハローキティのぬいぐるみについて話す場合、「あっ、キティちゃんがいる!」と言う子どもがいる一方、「よしこち

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石黒 浩「アバターと多様性」

 インターネットやAIやロボットの技術の進歩に伴い、我々人間は日常生活や仕事において、様々なメディアを利用するようになってきた。特に人とのコミュニケーションを支援するメディアの進歩はめざましい。ラジオから始まり、電話やテレビ、そしてインターネットと、メディアによって我々の生活や社会は大きく変化してきた。  人間がこれほどメディアに魅了されるのは、人間の生きる目的が人とのコミュニケーションにあるからに他ならない。人間は他者と関わりながら自分を理解するとともに、他者と共に社会を発

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井庭 崇「実践の言葉、パターン・ランゲージの世界」

 「共に在る、共に生きる」というときに大切なことは、それぞれが考えていることを伝えるとともに、「実践」を共にすることであると、僕は思う。  人はそれぞれ考える存在であり、それぞれに好みや思想を持っている。それらは人によって違うので、自分の好みや思想がみんなにも当たり前だという前提に立つことはできない。だから、人々はいつも、語り合い、確かめ合うことが必要となる。実際、私たちは、日々誰かとコミュニケーションを交わし、関わり合い、協力しあって何かに取り組んだり、話し合ったりしている

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ウスビ・サコ「ニッポンの空気と空間利用」

 私はマリ共和国の首都バマコで生まれ、幼少期を主にバマコまたはセグというバマコから三〇〇キロほど離れた都市で過ごしました。高校卒業後、国の奨学生として中国に渡り、北京市の北京語言大学で一年間、南京市の東南大学で五年間ほど留学生として過ごしました。その後、日本に留学し、卒業後も研究者として三十年以上生活してきました。中国や日本の滞在中に、五十以上の国や地域を渡り歩き、様々な文化を体験する機会に恵まれました。  どの地域や社会にも、共同体の構成員が共有する一定の決められたルール、

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松田 法子「人と大地の相互益(シンビオシス)—―生環境構築史の立場から」

◉太古の火山に住む  先日、初めて島根県の隠岐諸島に行った。中ノ島の海士町で、生環境構築史をテーマにしたフォーラムをひらいていただいたからである(「生環境構築史」が何かは後で紹介する)。  中ノ島は、西ノ島・知夫里島と三島一体で、島前という島を形作る。この三島は、火山が陥没してできたカルデラの外輪山。海上に頭を出している部分の山の直径は、東西約十八キロメートル。京都で言うと、東の比叡山と西の愛宕山の間の距離とほぼ同じ。京都のまちが、すっぽり内側に収まる大きさだ。  北条義時

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