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學鐙 夏号(Vol. 121 No.2)

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學鐙 春号(Vol. 121 No.2)の掲載記事をまとめました。 特集「私の原点、転換点」(2024年6月5日刊行)
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#転換点

荒俣 宏「亡びゆく昭和の趣味家(すきもの)とカミの「恩寵」」

 我が家はカミ屑に埋まっている。中には大切な書類や取材メモもあるはずだが、本物のゴミと交じりあって区別がつかない。たまに断捨離でもしたい気分になり、捨てようと拾い上げた紙束をよく見ると、年来さがしまわっていた重要資料だったりするので、捨てるのもこわい。最近もっと始末に悪くなったのが、パソコン内に散らかしたデータファイルの山だ。更新しつづけるうちにどれが最新か分からなくなっていくばかりだ。  だが、このような“カミ地獄”に堕ちたそもそもの原因には、思い当たるふしがないわけではな

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内田 樹「私の原点」【全文公開】

 私が人生の転換点に立ったのは一九七五年の十二月末のある日のことである(正確な日付は残念ながら覚えていない)。その少し前に私は合気道自由が丘道場に入門していたのだけれど、その日に多田宏先生の弟子になった。この人を生涯の師としようと決めたのである。それが私の原点である。  その年の三月に私は大学を卒業した。在学中就活というものをしていなかったし、受験勉強をしないで臨んだ大学院入試にも落ちたので、卒業と同時にルンペンになった。  さいわい、七〇年代なかば日本社会は高度成長期のただ

サリ・アガスティン「私の召命と日本への派遣」【全文公開】

 日本にキリスト教を伝えたイエズス会士フランシスコ・ザビエルは来日前、インドのゴアを中心に活動をしていた。スペイン人のザビエルはポルトガルからインドのゴアにやってきて、「人々の救いのための福音」を宣べ伝えた。ゴアからさらに東に目を向けたザビエルは港町マラッカでアンジェロ(弥次郎)という日本人に出会い一五四九年八月一五日に鹿児島に上陸した。ザビエルは日本で約二年間宣教活動を行うと共に、東西文化、社会をつなぐ役割も果たした。後の日本におけるキリスト教迫害、鎖国時代を経てのイエズス

神田 さやこ「異国・インドに出会う」

 私は南アジア経済史を研究している。主な研究対象地域は、ベンガル地方(現在のインド・西ベンガル州とバングラデシュを含む地域)である。学部は経済学部で、日本経済史のゼミに所属したので、経済史を専攻するのは不思議ではないだろう。では、なぜ南アジアなのか。それは大学生の時にインドに出会ってしまったからにほかならない。大学二年生の時、一週間程度インドを旅行した。それはイラクがクウェートに侵攻した一九九〇年八月のことである。訪れたのはカルカッタ(現コルカタ)。このカルカッタ旅行での経験

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米田 優峻「楽しんで学ぶために」

 今から九年前のことです。私は部活の先輩から日本情報オリンピックという大会を教えていただきました。当時中学一年生だった私は、これが人生にどう影響を及ぼすか全く予想していませんでした。しかし今振り返ると、これがなければ東京大学の情報科学科に進学することもなく、本を出版することも無く、もしかしたらただ堕落した生活を送っていたのかもしれないと言い切れるほど、人生の決定的な転換点になりました。そこで本稿では、日本情報オリンピックがどう私を変えたか、そして楽しんで学んでいく上で大切なこ

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安部 芳絵「研究と子育ちのままならない道のり」

 大学の教員として国連子どもの権利条約を研究している。とくに、災害時の子ども支援について、全国の児童館・放課後児童クラブ(学童保育)を事例として調査している。家族は、夫が一人と大学二年、高校三年、中学三年の男子三人。お米が一ヶ月に三〇キロなくなる。これは、ある研究者の研究と子育ち(親育ち)のままならない道のりの話である。 ママ、いかないで  子どもは三人とも、〇才の頃から保育園に通った。次男が二歳児さんクラスの頃、研究をやめた方がいいのではないか、と思い悩んだことが一度だ

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小林 龍二「救世主オオグソクムシ」

 幼少の頃から水中生物が好きで、これまでの人生において身の回りに常に水槽があり、そこに入る生き物がいる生活を送ってきました。将来は仕事で一日中これらを扱い、しかも給料までもらってしまう楽園のような職業=水族館の飼育員になろうと、自宅で水槽を眺めては一人で不気味に笑っておりました。  しかしながら時代は就職氷河期であり、もともとの自分の学力もしれていたこともあり、有名な人気水族館には就職できず偶然欠員募集の出た地元の小さな竹島水族館へ、まぁ一応水族館だし家からも近いしいいかとい

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能町 みね子「快適からさらなる快適を求める二拠点生活」

 この原稿を依頼されるにあたり、提示されたテーマは「過去の選択と、今の私」でした。つまり現状に至るまでに起こった、人生における大きな選択、転機となる分岐点についてひとつお願いします、というわけです。  中高年が自分の人生を決定づけた選択について語り出すとなると、だいたいその人が「何者か」になる前の話をすることになります。  何者か分からない状態の自分が、何者かへの糸口を掴み始めた瞬間。  不安定→安定へのドラスティックな変化。  そういったものが、この手の話としてはもっともポ

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