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サリ・アガスティン「私の召命と日本への派遣」【全文公開】

サリ・アガスティン——学校法人上智学院理事長
Sali Augustine(サリ・アガスティン)
カトリック司祭。2007年上智大学外国語学研究科修了。博士(地域研究・政治学)。上智大学学生総務担当副学長、総務担当理事等を経て2023年より現職。

 日本にキリスト教を伝えたイエズス会士フランシスコ・ザビエルは来日前、インドのゴアを中心に活動をしていた。スペイン人のザビエルはポルトガルからインドのゴアにやってきて、「人々の救いのための福音」を宣べ伝えた。ゴアからさらに東に目を向けたザビエルは港町マラッカでアンジェロ(弥次郎)という日本人に出会い一五四九年八月一五日に鹿児島に上陸した。ザビエルは日本で約二年間宣教活動を行うと共に、東西文化、社会をつなぐ役割も果たした。後の日本におけるキリスト教迫害、鎖国時代を経てのイエズス会の再到来は一九〇八年である。その五年後の一九一三年に上智大学が創設された。それからおよそ九〇年後の一九九七年八月にインドから一人のイエズス会員が日本に派遣された。それが当時インドのプーナという町でイエズス会員として養成中だった私である。このことは私を歴史上の人物であるザビエルと日本に繋げた人生の一つの転換点だったと思う。
 私の原点は、父が経営していたレストランで働きながら高校に通っていたことだと思う。私はインド・ケーララ州の敬虔なカトリック家庭に生まれ育った。当時の私は「勉強して大人になったら親を助けたい」という単純な目標しか持っていなかった。インドは多宗教・多文化の共生社会である。両親には厳しい環境でも「信仰」と「信頼」をもって、より良いものを目指すことを教えてもらったように思う。そのうちに親を経済的(物質的)に助ける必要はなくなり、人生は思わぬ方向へと向かった。しかし、その「信仰」と「信頼」が私を自立した大人として成長させてくれたことは確かだ。

 原点はほとんどの場合、「与えられるもの」であり、それはありのまま受け入れざるを得ない。どのように転換点につなげていくかは自分次第である。親も兄弟も生まれた場所も時間も自分が選んだものではないから。しかし転換点は自分が「はい」(応えること)を通して迎えるものだ。つまり、人生という旅路では原点から始まり多くの転換点がつながって道をなしていく。私の人生のいくつかの転換点について分かち合いたい。
 高校卒業後、レストランの手伝いを続けながら私は将来弁護士の道に進むことを念頭において、大学で政治学を専攻した。勉強、仕事、遊び等の中、将来への目標を見失っていたある晩、星のまたたく空をみつめながら友人と会話するうちに、「カトリック司祭の道」が話題にのぼった。そして、この時の会話が二〇歳の私にとって大きな転換点になったのである。数ある修道会の中で私が門を叩いたのは「イエズス会」だった。こうして、私は一九八九年にイエズス会に入会した。イエズス会においてイグナチオ・デ・ロヨラやフランシスコ・ザビエル等の精神に出会った。
 ある意味、一九八九年は現代世界における大転換点の年である。冷戦の終結に向けた動きが始まり、十一月には東西冷戦と民族分断の象徴だったドイツ・ベルリンの壁が、市民によって平和裏に打ち倒され、東西ドイツ統一への足がかりになった。長年にわたる国際関係上のイデオロギー的二分化(米ソ冷戦)は、当時のアメリカのブッシュ大統領と旧ソ連のゴルバチョフ大統領らのマルタ会談(十二月)をもって終結へと向かった。ベルリンの壁崩壊や天安門事件(六月)、チェコスロバキアでビロード革命(十一月)、ルーマニア革命(十二月)等「民衆主義」を叫ぶ象徴的な出来事が多かった。
 日本では、昭和天皇の崩御、明仁天皇の即位にともない、時代は「昭和」から「平成」へと変わる。現憲法下での最初の改元だった。そして、消費税がスタート、日経平均株価が史上最高値(十二月)を記録して、日本のバブル経済は崩壊へと向かう。
 また、この時期には世界中で紛争や争いが頻発していた。インティファーダといわれる中東戦争、スリランカの民族紛争の激化、インドのカシミール紛争の激化、旧ソ連の崩壊に伴う民族紛争の増加、一九七〇年代後半から増加していた中米紛争は激化し、これらの紛争は私の人生にも多くの課題を与えた。私がイエズス会に入会して数か月後、中米のエルサルバドルで六人のイエズス会司祭と協働者が政府軍の兵士によって暗殺されたことは強烈な印象として心に残っている。
 一八世紀中頃に始まった植民地支配からの政治的独立を達成したインドは、基本的に維持してきた社会主義による政治経済政策を転換し、一九九一年に経済の自由化に向けて舵を切った。しかし、長年の宗教や文化伝統による階級制度、植民地支配による他国統治などの抑圧の結果や宗教・民族・言語等による多様性の中でインド社会には、「本当の自由と経済的余裕」がなく、経済的格差や社会的対立が多くの人を苦しめていた。兄弟喧嘩の様相を呈していたヒンドゥー教対イスラム教の紛争は、分離独立によって平和へと向かうものと思われていた。しかし、カシミール地方を含む新たな紛争へと発展してしまった。
 これらの社会問題は学生だった私をおおいに刺激し、社会問題に対する私の関心はこのころから始まった。私の属するイエズス会では「司祭養成」は一三年以上にも及ぶ長い道のりであり、さまざまな経験もさせられる。私はイエズス会が立ち上げたインカレサークル、アイカフ(AICUF=All India Catholic University/カトリック大学生連盟)のケーララ州コジコード地域支部責任者を任され、同級生と共に「なぜインド社会は貧しいのか」というテーマの分析に必死だった。まさに私たちにとって重要なテーマだった。プーナで哲学を学んでいる時には、プーナ駅のストリートチルドレンを集めて彼らを大人からの虐待から守る保護活動を行っていた。
 そんなある日、イエズス会ケーララ管区の責任者より日本への派遣の話を聞かされた。まったく新しい世界への派遣に対する戸惑いを伝えたが、結局新しい転換点への「はい」につながった。
 インドと同様に活動をしたいと思っていた私は日本という新しい社会文化環境と日本語の壁を前に、深い孤独と無力感にさいなまれた。インドで身に着けた多くの能力は日本では何の役にもたたず、自分が赤ん坊に戻ったかのように感じられた。しかし時がたつうちに素晴らしい仲間との出会いを経て、私は「日本」への適応の歩みを進められたと思う。無力感と異文化の人々との関わりの中で孤独感に襲われることもあったが、新しい環境に適応しようという努力は怠らなかった。日本語を学ぶことは「日本文化・社会、日本人を知る」ことだった。日本の精神、価値観、方法論を理解しようと奮闘してきたが、最終的に日本に残ることを決めた。
 上智大学での学び(神学、地域研究・エスニック政治学)の中で大切な師との出会いがあった。大学生時代から始まった社会問題への関心を具体的に研究することにし、指導を村井吉敬教授に仰いだ。村井先生はインドネシアの研究者であったが、不思議なことに「インド国内紛争」を研究テーマにした私の指導を引き受けて下さった。先生との出会いは私の研究と社会問題へのアプローチだけではなく、教員としての学生との関わりにおいても支えになった。教育においても、研究においてもアカデミックディシプリンを極める以上に、大切なことがある。社会、宗教、政治、人権の分野にも広がる究極的関心は「人間」と「人間社会」であるべきだということである。
 さて、世界的にも教育現場が挑戦にさらされている現代、少子化の課題に直面する日本において、中学校から大学までを抱える学校法人上智学院の経営に携わることになった。新たな「はい」はその新たな責任を意味する。
 自分の人生には多くの転換点があるが、私はもう一つの原点を見つけた。それは一九八九年のイエズス会入会後に養成によって身についた精神性(Spirituality)である。イエズス会は最近「ライフミッション」という言葉を使う。ライフとミッション(Life and Mission)という二つの言葉を合わせたものである。生きることをミッションとして理解し、そのミッションによって自分の人生の目的(Purpose)が達成するという意味である。
 イエズス会のもう一つのキーワードは“magis(マジス)”というラテン語の言葉だ。英語で「ベター」、日本語で「より良いもの」という意味である。私たちはより良いものを目指し、その積み重ねが完全性へと導くものだということである。つまり、私たちが目指すべきは実現可能な変化(X=トランスフォーメーション)だと思う。マジスはそのようなものだ。イエズス会の創設者のイグナチオ・デ・ロヨラは私たちに「すべてにおいてマジスを目指しなさい」という。つまり、個人の改心も目的も完璧ではない。常に「より良い」ものをめざすことが必要であること、さらに多くの人が自分にとってだけではなく他の人にとっても「より良いものを目指す」ことによって私たちの社会はより人間的になる。完全な正義が私たちにとっての最終的な目的であっても、現実的に「どうすれば現在の不正を少しでも減らしていけるか」を考え実行に移すことは必要だろう。それぞれの人生において、個人の人生を形作る転換点が多くあるとしても、自分の原点から力をもらって、そこからいかに人生の意味を見出すかが重要ではないだろうか。

―『學鐙』2024年夏号 特集「私の原点、転換点」より―

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