反対側を知っておく大切さ

諺というのは教訓として使えるものが多いですが

たいてい諺には反対の諺も存在します。

「生兵法は大怪我のもと」←→「めくら、蛇に怖じず」


「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」←→「三十六計、逃げるに如かず」


「虎穴に入らずんば虎子を得ず」←→「君子危うきに近寄らず」


どっちの諺が正しいというのではなくて

「どっちもそれなりに正しい」ということでしょう。


状況によって「生兵法は大怪我のもと」が正しいこともあるし

状況が変われば「めくら、蛇に怖じず」が正しいこともある。「科学的な考え方」というのは、本来そういうものでしょう。


「文を読むときは反対側の意味があることを頭におきながら読みなさい」と高校時代に担任をしてくれた先生から指導を受けました。

たとえば

「とってのついたコップ」という文章を読むと、普通は常識的には外側にとってのついたコップをイメージします。


しかし「とってのついたコップ」という表現なら内側にとってのついたコップも当然あるわけです。


↑まあこんなもん使えませんけど、反対側のモノとしてはあり得るということです。


その担任の先生はバリバリの理系だったので

「科学というものは常に反証可能性を持っている。逆にいえば反証可能性の無い考え方は科学とはいえない」と説明してくれました。


「天動説」という考え方は現在ではトンデモ扱いされているけれども、これは「地動説」という反証が存在しているから天動説も科学といえるのだそうです。

逆にいえば、天動説「しか」信じられていなかった時代の「天動説」は科学ではなくて単なる迷信だということです。


私は高校時代に担任の先生から教わったこの「科学的な考え方」は現在も生きていると思っています。


例えばアメリカで銃の乱射事件が起きて日本でも盛んに報道され、「アメリカは怖い国だ。もっと銃を厳しく規制して安全な社会を作らなければならない」と日本の識者やコメンテーターは言います。

本音を言えば私もそう思うし、銃を無くせないアメリカ人は野蛮だとも思います。


ただ、そういう考え方を科学的に確立させるためには全米ライフル協会側の反論主張もある程度知っておかないと

「アメリカは怖い国だ。もっと銃を厳しく規制して安全な社会を作らなければならない」という考え方は科学ではなくて単なる迷信や個人の願望の域を抜け出せないとも感じます。


「それって、あなたの感想ですよね?」みたいなのと同じレベルwww


実際にネットなどで全米ライフル協会側の反論やその根拠となる統計データなどを見てみると、銃規制強化反対派の主張もそれなりに根拠はあり、「科学的な考え方」に基づいていると思いました。


もちろん、こういう考え方が科学的であるためには反対側の「アメリカは怖い国だ。もっと銃を厳しく規制して安全な社会を作らなければならない」という意見も存在しないといけないわけですが。


上で例に挙げたのは外国のアメリカのケースなので日本の事例で考えてみると

高齢者が自動車事故をおこすと「年よりの運転は危険だから、高齢者は自主的に免許返納すべきだ」と報道されたり識者がコメントします。

本音を言えば私もそう思うし、歳を重ねればそれだけ記憶力も低下して認知能力も悪くなるから、周りの高齢者の運転を見てもフラフラしていて危ないし、都内などでバスとか地下鉄など代替交通手段が普及している地域に居住している高齢者は自主的に免許返納した方が良いんじゃないかな?とは思ってます。

ただ、そういう考え方を科学的に確立させるためには高齢運転手擁護の反論主張もある程度知っておかないと

「年寄りは自主的に免許返納すべきだ」という考え方は科学ではなくて単なる迷信や個人の願望の域を抜け出せないとも感じます。


実際にネットなどで高齢運転手擁護の記事や統計探すと、そういう考え方にもそれなりに根拠はあることが分かります。

もちろん、こういう考え方が科学的であるためには反対側の「高齢者は自主的に免許返納すべきだ」という意見も存在しないといけないわけです。


どっちの意見が正しいか?は諺と同じく時代状況によって変わってくるでしょう。


ただ、どちらにしても片方の意見が完全に正しくてもう片方の反対意見は完全に論破されてるんだから、その意見は抹殺する!今後主張してはアカン!

みたいなコンセンサスはあってはならないと思いますし、そんなコンセンサスが確立された社会なんてもんは、概ねロクでもないもんだろうと私は思ってます。

想像ですが

北朝鮮とか榛名山の山岳ベースで総括虐殺を起こした連合赤軍のメンバーとかに一番欠けていたのは、「反対側の意見も抹殺せずに残しておかないと、自分の主張の科学的正当性も担保できない」という考え方や

ヴォルテール?だったかな?が言ったとされる「ワタシはあなたの主張には賛同しないけど、あなたがそういう主張をする言論の自由だけは守る」という考え方や

イーロン・マスクの「言論の自由というのは、あなたが嫌いな奴が、あなたにとって都合の悪いことを好き放題話している、その環境のことだ」という考え方ではないか?と思ってます。

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