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大学生が「リエゾン」を読んで感じること



リエゾンーこどものこころ診療所ー


新刊が発売されるとすぐに購入する漫画の一つだ。


しかし、読むまでに時間がかかる。
じっくり読んでいかなければと感じる。
思わず目を背けたくなる内容に落ち込み、気分が塞ぎ、夢にでてくることもある。

それでも私は読まずにいられない。

日本で発達障害と診断されている人はおよそ48万人。そして、子どもの10人に1人は、何らかの障害を抱えているとされる現代。

リエゾンーこどものこころ診療所ー第1巻より

子どもの10人に1人。30人のクラスだとクラスの3人が障害を抱えている。


この言葉を見て思った。


これまで障害を抱えている子どもとは接してきたはず。だけど、理解せず接していたのでは? 


私は小学生の時、同級生に発達障害の子がいた。


当時、その子はほとんどの時間を特別支援学級で過ごしており、一緒に授業を受けるのは道徳と生活の時間のみ。週によっては特別支援学級の課外授業を受けていたため、限られた時間でも出会わない、なんてことがざらにあった。


修学旅行や遠足、運動会も先生がついていて、同級生との会話は無し。


その子が少しでも過ごしやすい環境を整える。


今なら、当時の先生の対応がよくわかる。ましてや小学生。大人でも困難な場面があるのに、子どもが障害に対する十分な知識を持ち合わせ、その対応ができるとは言い難い。


また、慣れない環境に、障害を抱える子どもがパニックを起こしてしまうこともある。そんな場面に出会った周りの子どもは、今後、障害児に対して偏った考えを抱いてしまうかもしれない。

お互いに少し距離を保つ。
今はそれでいい。
でもその後は、、?


今の私は、少なくとも「自分で考えていく」ことが必要だと感じる。

自分で考えたことの中で大きな変化があったのは、障害の捉え方についてである。

今は「障害」ではなく、「障がい」という表記を用いる自治体が増えている。

障がいのある人のほとんどは、「障害」が本人の意志でない生来のもの、病気・事故などに起因するものであることから、その人を表すときに少しでも不快感を与えないよう、また人権尊重の観点からも好ましくないという理由からひらがなが用いられている。


しかし、法律などの、国が定めている正式な文章の中では「障害」と漢字で表記する。


以前私は、ひらがな表記を用いていた。
それは、障害という表現で不快感を抱く人がいることを考えた上でだった。

鏡のついていないエレベーター、音の無い信号機、漢字ばかりで読みにくい教科書

車椅子は3cm程度の段差で上がれなくなる。

これらは全て、社会にある障害だ。
障害の害は、社会にある。


だからこそ、今の私は「障がい」ではなく、「障害」表記を使いたい。

障害を与えているのが、「社会」であると示すために


障害は社会が与えているとの考えは以前からあった。しかし、考えれば考えるほど、「障がい」という表記を使うことで、障害が本人に由来するものだと受け取ってしまう。


この話に正解があるとは感じないが、私なりに考え、その中での答えを持つことはできた。


この答えは、今後変わりうるもので、様々な考えを肯定的に受け入れていきたいと思う。


リエゾンを読むことで、私の狭い世界が少しだけ広くなったように感じる。


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