#9 久々に思い出した。勉強って本来は楽しいものだって。【ゆる坂日記】
高校時代、あるおじいさんに勉強を教えてもらっていた。
元々は中学時代に私のクラスメイト数人が勉強を教わっていたのだが、卒業のタイミングで彼らは教わるのをやめた。
そして彼らと入れ替わりに、自分が勉強を教えてもらうことになったのだ。
「塾」ではない。
私と親友1人の2名がおじいさんの家に行き、そこで勉強を教えてもらうという、家庭教師に近いスタイルだった。
私たちが学んだのは数学と英語。
出される問題は難しくて、始めは2時間で2~3問解くのが精一杯だった。
というか解けていない。
おじいさんが苦笑いしながら答えを説明していた記憶がある。
しかし高校2年、3年と学年が上がるにつれ、私は少しずつ問題が解けるようになった。
学校で行われる模試の結果もどんどん良くなっていった。
偏差値は入学時点から15は上がっていた。
もう還暦も過ぎていたのに、現役高校生の数学と英語を理解し、涼しい顔して難問をサラッと解説する、凄いおじいさんだった。
しかし私は、本当に凄いと感じたことが別にある。
それは……
心の底から、「勉強を楽しんでいた」ことである。
本人が声高に「楽しい!」と言っていたわけではない。
でも接していれば感じるのだ。
私たちに問題を出すときも解説するとき、いつも何となく上機嫌だった。
特に英語。
学校や模試の問題のようなものも出していたが。
時にはおじいさんが持っている映画の音声をヒアリングさせたり、学校では出ないような文章(「窓ぎわのトットちゃん」ははっきり覚えている)の英語版を訳させたりしていた。
その時の解説の楽しそうなこと。
私はその姿を見て、生まれて初めてこう思った。
「勉強って、楽しいものなんだ」と。
そして高校を卒業し、無事第一志望の大学に合格した私は、おじいさんに別れを告げて新天地へと向かった。
それから大学では、自分の専攻する学問をとことん勉強した。
おじいさんから(勝手に)受け継いだ「勉強って楽しい」スピリットを胸に、やりたい放題やった。
結局入学から卒業論文の完成まで、私はずっと「楽しい」の中にいることができた。
しかし社会人になり、私は一気に「楽しい」を失った。
教員として、色々な勉強をしなければならない。
分かりやすい授業の作り方。
問題行動を起こした生徒への指導の仕方。
頼られる、しかし甘えられない距離感の保ち方。
最初は勉強「したい」という気持ちだっただろうか。
もう記憶にない。
それほどに、私は社会人デビューを果たしてすぐ、「楽しい」を忘れていったのだ。
結局うつ状態になり休職・退職し。
事務職員として再就職して。
また休職・退職するまでの間。
勉強は「しなければならない」、ただの義務と化していた。
それがようやく、十数年ぶりに「楽しい」を取り戻したのである。
取り戻させてくれたのは「ブログ運営」だった。
双極性障害を患い、事務職員を退職し、「調子のいい日だけでも何かできないか」と考えて始めた活動。
何の制約もない。
また貯金のお陰で経済的にも数年の余裕がある。
そして何より、「書くこと」が好き。
そんな好条件が重なり、私は「楽しい」を感じていた学生時代に戻れたのだ。
どうやってブログを立ち上げるのか。
どんなふうに書いたら、人の心を動かせるだろうか。
どんな構成にすれば、人々は商品やサービスを買ってくれるだろうか。
全ての問いの答えを探すのが、最高の快楽である。
そして私は、ブログを始めてから8ヶ月が経った現在まで、ずっとその快楽の中に居る。
おじいさん、いや先生には感謝してもしきれない。
鬼籍に入られたため、もう直接お礼を言うことはできないが、あなたの「勉強楽しいスピリット」、私が勝手に受け継ぎます。
「おじいさんの話ええやん」と思ってくれた方は、私の読書ブログを覗いてくださると嬉しいです。