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蒲田健の収録後記:多和田葉子さん

言葉がわかる≠心が通じる

多和田葉子さんの最新刊「地球にちりばめられて」

自分の国が消えてなくなってしまう!日本に暮らす身としては

一見絵空事のようにも思えるが、ドイツを拠点に活動している多和田さんに

とっては決して突飛で荒唐無稽な話ではなく、特に東日本大震災以降、

ラジオをつけてトップニュースが「日本」という言葉で始まると思わず

身構えてしまう心境になるという。

もちろんそんなことは起こってほしくはない。

だがもしそうなったとしたら、という思考実験をすることで、普段は自明の

ものとして意識することのない、アイデンティティのよりどころとしての

”言語“の存在が浮かび上がってくる。


人間はコミュニケーションを円滑に進めるために、言語という技術を

開発してきた。同じルールで話される言語を使うものたちが集まり、

やがて国というまとまりにまで行き着く。

言語が違えば相手の言うことがわからない。そこでは諍いのリスクが高まる。

それを回避するためには、相手の言葉を一つ一つ洗い出し、翻訳をし、

理解を促進するという作業が必要になる。さて、では同じ言語を使う者同士では

その作業は不要なのだろうか?答えは否であろう。むしろわかっているという

前提で吹っ飛ばされているものによって、より大きな誤解が生じることが

往々にしてある。

千差万別の者同士が理解しあうためには、都度都度個別対応の手間が本来的には

必要である。それを省力化するために作られたものが言語であるという考え方も

できるだろう。だがそれに依拠しすぎると誤解のリスクは大きくなる。

理解しようという思いが先に来なければならない。

言語はあくまでもそのために駆使すべき道具である。

「忙しさに追われ決まりきったことしか言わないネイティブと、翻訳の苦労を

重ねる中で常に新しい言葉を探す非ネイティブとでは、どちらが語彙が広いと

いえるのだろう」という趣旨の記述が本作の中にある。

まさに、である。

「自らの 意思を伝える そのために

       手間はかかれど 一つ一つ」

P.S.話がどんどん白熱して、ご自身の脳内がより主張をはっきりとさせる

ドイツ語モードで活性化していたと収録後におっしゃっていた多和田さん。

エキサイティングでした。



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