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劣等感・コンプレックス【アドラー心理学とは何か"臨床心理学と自己啓発を整理する"#3】

 コンプレックスと聞くと、どんな印象を持ちますか。
 身体の部位、経歴、人により指すものは色々ですが、「気にしていること」「弱みと思っている所」くらいの意味で使われています。

 しかし、このカタカナ語「コンプレックス」は英語と意味が随分違います。complexは"複合の","複合体"、例えばa complex problem で"複雑な問題"、housing complex で"団地"です。
 日本語の辞書でどう説明しているか見てみましょう。

コンプレックス
[1] 〘語素〙 (主に社会学、文化人類学などで) 複合したもの。
[2] 〘名〙① 精神分析の用語。心の中のしこり。要求阻止が原因となって抑圧され、無意識のうちに形成され情緒的に強く色づけられた観念の複合。観念複合体。錯綜体。
② (「インフェリオリティー‐コンプレックス」の略) 劣等感。
<例>もて遊び草(1956)〈舟橋聖一〉「それに対してコンプレックスを感じたことは一度もなかった」

出典:『精選版 日本国語大辞典』2006

 inferiorityは「下位・劣等」を指す語で、[2]の②が一般に使うコンプレックスです。そして、このinferiority complexを重視したのがアドラーです。ではカタカナ語「コンプレックス」はアドラー由来…とも言い切れません。
 今回はコンプレックスの語を少し整理してから、アドラー心理学で重要な劣等感とコンプレックスの話をします。


1.用例がややこしいコンプレックス

 辞書[2] の①で示されたように、 コンプレックスは精神分析の言葉です。アドラーだけでなく、フロイトやユング(Carl Gustav Jung 1875-1961)も用いています。
 特にユングはコンプレックスを重視しました。何らかの情動により結合された心的内容(経験等)の集まりで、意識で統制が難しいもの(文献①)だそうですが、ユングの著作でも語の定義が曖昧な傾向にあり(文献②)これ以上触れません。
 戦前日本で文献に多く残るのは、フロイトのエディプス・コンプレックスです。内容は男児の去勢恐怖など疑問符も多いのでこちらも触れませんが、フロイトの影響は古くから日本にもありました。

此のエディプス・コンプレックスこそ総ての人にとつてその恋愛生活の最終形態に重大なる意義を齎(もたら)すものである。

出典:小沼(1927) p.63(文献③)

 ここから連想されたか、日本では「母親に対して強い執着を持ち続ける人」を指すマザーコンプレックスという語ができます(※1)。主に1970-90年代に使われた(文献④)俗語ですが、戦前から用例が残っています。

心理に於ても知能に於ても身体に於ても常人と異らないのに、この異性に対する感情だけ未発達で、何時までも異性に対して母性を求める心理を卒業しないのである。かういふ男子のかういふ心理をフロイドの精神分析学では、マザーコンプレツクスと呼んでゐる

出典:伊福部(1938) p.33(文献⑤)

 なお、由来と記されているフロイトの直接の言及は見つかりません。エディプス・コンプレックスからでしょう。
 そして、劣等感のインフェリオリティ・コンプレックス、こちらは1950年頃から用例が増えます。

数学は学生に教授する立場からすると、最も容易にインフェリオリティ・コンプレックス(劣等感)を与えやすい学問です。

出典:一般教育研究会編(1950) p.144(文献⑥)

 60年代には学歴コンプレックスの用例も増えます。以下、心理学を標榜するビジネス書での「コンプレックス克服法」の項目です。

また、学歴のない人が、その学歴コンプレックスから発奮して大実業家になり、世間から「学歴がないのに、あの人はすばらしい人だ」といった評価を受ける例も数えきれないほどある。これが劣等感の補償としての優越欲求の働きなのだ。

出典:守部昭夫『人間を変える : 部下を変え自己を革新する心理学』1968、p.149(文献⑦)

 なお劣等感は言動力と、ちょっとアドラーっぽいこと言ってますが。著者曰くユング由来だそうです(参考文献は書いていませんでした)。

劣等感ということばは、ユンクによって使われるようになったものだ

出典:同 p.129

 こんな感じで割と長いことカタカナ語「コンプレックス」は使われてます。今回の話は日常の用例とは少し違う意味も含む点にご注意ください。

2.劣等感は自然なもの

 アドラーの著作を「inferiority complex=劣等感」と訳すと、表現がダブって微妙に上手くいきません。”Inferiority feelings”を劣等感と訳した方が適切です。

Inferiority feelings are in some degree common to all of us, since we all ourselves in positions which we wish to improve.
われわれは皆、ある程度は、劣等感を持っている。向上したいと思う状況にいるからである。

出典:Adler(1931) p.51(文献⑧)、訳は岸見(2010)p.66(文献⑨)

 アドラーは劣等感は誰しも持つもので、それ自体は悪いものではなく、行動の原動力と捉えました。「もっと上手に喋りたい」「もっと魅力的な文章が書きたい」と自分が足りないと思うからこそ、それに向けて努力できます。自分は完全無欠だと思ったら、努力はしません。
 しかし、そんな前向き人間ばっかりではありません。現実は人は劣等感を悪い方向へ向ける状態、劣等コンプレックス(inferiority complex)に陥いるものです。
 劣等コンプレックスの説明の前に、もう少し劣等感を掘り下げておきます。

3.劣等感は自分の中の話?

 劣等感は本質的には他者との比較ではない、と考えます。確かに漠然と比較対象なく「金がない」は比較っぽくない劣等感ですが、一方で「アイツは仕事できるなあ、自分は…」比較に思えます。
 しかし、同じ状況で全然気にしない人もいます。この場合、気にする人は自分が「仕事ができる人でありたい」と思うから他者を見て劣っていると感じるわけです。

 カタカナ語コンプレックスで挙げられる特徴も捉え方次第な所が多いです。背が低いことを気にする人も、逆に高いことを気にする人もいます。
 どれも気にしない人から見ると全て「気にすることないよ」「どれも個性」「それぞれ良い点あるよ」となります。もちろん、周囲の発言から気になるようになることも多いですが、影響されたことを含めて、劣等感は主観的な基準と言えます。

 現代の臨床心理学では、理想の自己(ideal self)と現実の自己(perceived self)の不一致が不適応状態を招くとするロジャース(1961:文献⑩)の理論が参照されることがあります(文献⑪p.11) 。
 劣等感で言うと、スポーツで負けて悔しいと思うのは「上手にプレーする理想の自分」と現実の自分にズレがあるからこそ、となります。逆に、そういう理想がなければ「相手すごいなあ」と思うことはあっても、悔しさは感じません。一般の方が将棋の名人に負けても「流石名人」となるように、競おうとも思わない相手は自分と切り離して称賛する、悔しいと思うのは戦えると思っているからです。

 劣等感への対応は行動の原動力にするが基本となります。しかし、身長など変えられない面はどうでしょうか。
 これは個人の見解ですが、自分の変えられない面を受け入れるためには、<1>事実を認識し直すことと、<2>理想を見直すこと、2つの手段があると思います。
 背が低いにせよ高いにせよ、劣等感の根本は身長そのものより、それでナメられたりバカにされたりすることです。でも、実際バカにされていると本人が思っているだけということも多いです。<1>事実を認識し直すこと、「本当に悪口言われた?」と見直すことで、その事実がなければ認識を修正します。
 もちろん、実際に言われたことある場合もあります。考えるべきは、身長でバカにしてくるような人は、身長以外でも人の色んな面をバカにしてくるということです。別にそんな人に媚びへつらって合わせて好かれても、また何か別の面を見つけてバカにしてくるだけだから意味なし、と言えます。
 あらゆる人に何も言われたくない、という<2>理想を見直すことが必要です。もちろん、人として悪口に傷つくのも仕方なく認識1つで急に平気にはなりませんが、「合わせる筋合いなし」と知っておくのと「合わせなきゃ、でも変えられない」では随分心持ちが変わってきます。

 なお、『嫌われる勇気』では「お前の顔を気にしているのはお前だけだよ」(文献⑫p.97)と強い言葉が出てきますが、これは言い過ぎです。実際に悪口を言われる人もいます。

4.劣等コンプレックス ~塞ぎ込み、自慢、不幸自慢、攻撃~

 劣等感は力にもなり得ますが、悪い方向にも使えます。劣等感は現状と理想が違う状況で生まれますが、現状と理想の違いに人が直面した時、誰もが「現状を理想に近づけようと行動する」とは限りません。行動するのは大変です。
 劣等感を抱いた際、様々な理由付けをして現状を理想に近づけようと行動をしない心情を劣等コンプレックス(Inferiority complex)と言います。
 劣等コンプレックスに陥った際の悪い行動は主に3つ(※2)。<1>劣等に溺れる(塞ぎ込む)、<2>劣等から目を背けようとする(自慢・不幸自慢)、<3>他人を下げる(攻撃)です。
 これらは劣等感を和らげようとする手段ですが、「現状を理想に近づけてない」ので、結局理想の差は変わらず根本的には劣等感が解消しない。辛い所です。

<1>劣等に溺れる(塞ぎ込む)。仕事できない、見た目よくない、話下手、どうせ私なんか、などと劣等感を理由に塞ぎ込んでしまいます。劣等感を理由に行動しないことを正当化する、原因論的な思考ですね。

<2>劣等から目を背けようとする。これは大きく2種類あります。
 1つは自慢、「私はこんなに収入がある」「すごい学歴がある」などと偉ぶるのは、自分を権威付けしないと不安だからです。これをアドラーは優越コンプレックス (superiority complex) と呼びました。
 自分に価値があるとわざわざ示すことで、劣等感から目を背けます。特に過去の自慢話だと、露骨にすがっている感が出ますね…。
 もう1つが不幸自慢。「私こんなダメで」「ホント失敗続きで」と自分への卑下を示します。他者に伝えれば「そんなことないよ」と否定してもらえたり、「大変なのに頑張ってるね」と自分を肯定してもらえる期待ができます。
 不幸自慢の弊害は、結局現状と理想の差が変わらないだけではありません。相手の持つ印象が悪くなります。かわいそうよりうっとおしいが勝つ場合もありますが、根本的に人は理由のない不幸話を聞きたくないとされます。なぜなら、悪い出来事が理由なく自分に降ってきてほしくないからです。
 「努力したものは報われ,悪事を行った者は罰される世界だ」という考えを公正世界信念(belief in a just world)と言います(文献⑬)。理由なく不幸ばかり起こる人は認めたくないから、それ相応のダメな理由がある人だと思われちゃうのですね(本当は理由なく起こる不幸なんて多々あるんですが)。公正世界仮説の提唱者ラーナーの実験(1966)が有名です。電気ショックを受けている人(実際はサクラ)を見せて印象を尋ねた時、報酬をもらって電気ショックを受けている人よりも、理由なく受けている人の方が軽蔑された、というものです(文献⑭)。

<3>他人を下げる。「あいつ成功しているけど、裏ではこんな悪いことしている」などと攻撃し、相手の価値を崩そうとします。自分が他人より下なら、他人を攻撃して下げればいいじゃないか、という悪質な発想です。
 厄介なのは「他人を下げる」ことは、実際に他者に攻撃しなくても成立するところです。先ほどの「あいつ成功しているけど、裏ではこんな悪いことしている」は、心の中で思うだけでも、自分との差はなくなったように思えます。あくまで「自分がイメージした他者」と比べて考えているわけです。
 口に出す労力もリスクもなく、自分も行動せず、とっても楽。残念ながら、この思考パターンが癖になってしまうことはよくあります。しかし、結局状況は変わっていないので、「他人を見て、自分の現状と理想のギャップを思い知らされる」は繰り返します。仲には実際に相手の価値を下げなければ気が済まなくなり、実際に攻撃するようになる場合もあります。もちろん、思うことに法的責任はありません。重要なのは「他人を下げようとする」思考自体が、結局自己も苦しめるということです。

 実際には劣等感を抱く観点は1つとは限りません。しかし、いくつもあっても、何か行動していれば「今はこれに取り組んでいる」「これは保留している」と割り切りやすくなります。ある劣等感に向き合えるようになれば、いつの間にか別の劣等感も小さく/無くなっていることもあるでしょう。
 劣等コンプレックスという考え方で、諦めや攻撃で自分を苦しめてしまう思考の癖に気づいて、修正していけるといいですね。「気にしなけりゃいい」が出来たら苦労しませんが、みんな劣等感はあって拗らせてしまうことも珍しくない、向き合い方があると知るだけでも、現状打破のヒントになるかもしれません。

(次回へ続く)

【注釈】

※1 70年代には以下の通り明言している著書もある。

辞書や心理学の本を開いてみても、残念ながらむだである。どこにもマザーコンプレックスという項目はない。というのは、マザーコンプレックスが正当な学術用語ではないからだ。(中略)精神分析学・心理学では、エディプスコンプレックスと呼ばれるコンプレックスの一部がマザーコンプレックスである。

斎藤(1979) 文庫版 pp.11-12(文献⑮)

 なお、ユングの著書(文献⑯)にmother complex という語句は出てくるが、母に対する意識全般を記しており、男子にも女子にもあるもので、執着に限ってもいない。

※2 著書により分類は様々だが、『嫌われる勇気』ほか幾つかの文献を(文献⑰⑱⑲)参考に、筆者が3点に整理した。

【参考文献】

①渡辺学「ユングにおける心と体験世界:自我と非我との相互関係をめぐって」『倫理学』2、pp. 87–96、1984年
②広瀬隆「『連想実験』 とコンプレックス理論:いわゆるユングの 『言語連想検査』 の臨床的意義と手続き試案」『人間科学部研究年報』14、pp. 9–30、2012年
③小沼十寸穂『ヒステリーの心理生成に就て』精神衛生協会、1927年
④原田曜平『ママっ子男子とバブルママ:新しい親子関係が経済の起爆剤となる』PHP研究所、2016年
⑤伊福部隆彦『完全なる夫婦道喧嘩四十八手』大文字書院、1938年
⑥一般教育研究会編『大学 : その理念と実際』国元書房、1950年
⑦守部昭夫 『人間を変える : 部下を変え自己を革新する心理学』日本実業出版社、1968
⑧Adler, A. "What Life Should Mean to You" Little Brown,1931
⑨岸見一郎訳(『人生の意味の心理学(上)』アルテ、2010年(原著:Adler, A. "What Life Should Mean to You" Little Brown,1931)
⑩Rogers, C. R. "On Becoming a Person: A Therapist’s View of Psychotherapy" Houghton Mifflin,1961
⑪長尾博『やさしく学ぶカウンセリング26のレッスン』金子書房、2008年
⑫岸見一郎・古賀史健『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』ダイヤモンド社、2013年
⑬今野裕之「公正世界信念からみた大学生の社会観」『青年心理学研究』292、pp. 123–127、2018年
⑭Lerner, M. J. & Simmons, C. H. "Observer's reaction to the "innocent victim": Compassion or rejection?" Journal of Personality and Social Psychology, 4(2), pp.203–210,1966
⑮斎藤茂太『母子関係:マザーコンプレックスからの解放』光文社、1979年(文庫版1987年)
⑯C. G. Jung "Psychological Aspects of the Mother Archetype" Volume 9/1 Collected Works of C. G. Jung Volume 9 (Part 1) pp. 75-110, Princeton University Press, 1969
⑰Jess Feist, Gregory J. Feist"Theories of Personality (7th Edition)"McGraw Hill,2009
⑱ゆうきゆう・ソウ『マンガで分かる心療内科 アドラー心理学編』少年画報社、2014年
⑲富田隆『あの人だけはなぜ許せないのか』主婦の友社、2015年

★アドラー心理学とは何か"臨床心理学と自己啓発を整理する" 一覧はこちら

<前回>#2 目的論・問題行動の目的
 https://note.com/gakumarui/n/n139ff9275b42
<次回>#4 「性格」の呪縛・ライフスタイル
 https://note.com/gakumarui/n/n5467ef6963de

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