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なぜ怪しく思えるか【アドラー心理学とは何か"臨床心理学と自己啓発を整理する"#1】

 こちらの本を見て、どんな印象を抱きますか。

岸見一郎・古賀史健 (2013) ダイヤモンド社

 『嫌われる勇気』2013年出版、アドラー心理学ブームを起こした本です。
  印象良くない方もいるでしょう。確かに、副題”自己啓発の源流「アドラー」の教え”含めタイトルは強烈です。
 内容には有益な要素もあると思いますが、実際、胡散臭く見えるのは仕方ない面があります。


1.”心理学”自体が多様である

 まず、アドラー心理学は心理学なのか?学問、科学といえるのか?これが大変難しく、重要な問です。心理学とも違うとも言える、またカウンセリング等現場で用いられる臨床心理学とも違うとも言えます。
 そもそも、心理学と臨床心理学(臨床≒カウンセリングなど現場の)が一致しないというのが難しい話です。学派にもよりますが、明言できるのは人の心への見解やアプローチの仕方は統一されてないということです。
 例えば日本心理療法統合学会(2021)によると、世界には400種類の心理療法がある(文献①p.ⅳ)そうです。人の心に関して、唯一の理論や方法論は発見されてないのですね。
 とは言え全くのバラバラではなく、多くの療法に通ずる考え方の共通項もあります。そしてその共通項には、アドラー心理学の考え方と被る点もあります。

2.主流ではないアドラー心理学

 アドラーの名は心理学でも臨床心理学でもメインストリームには位置していません。
 『嫌われる勇気』には心理学の三大巨頭と書いています(文献②p.22)。しかし、心理学の教科書的記述では、フロイトの元弟子としてちょっと載るだけ、その後どう考えが影響していったかわからない感じです。

フロイトにはたくさんの弟子がいたものの、多くは離反していきました。初期の重要な弟子として劣等感に注目した個人心理学のアドラー(A.Adler:1870-1937)、分析心理学のユング(C.G. Jung:1875-1961)などがいます。ユングは人間の関心が主として外界に向くか、内界に向くかに注目し、外向型と内向型を分ける性格の類型論を提唱しました。

出典:『心理学・入門 心理学はこんなに面白い(改訂版)』pp.203-204(文献③)

 以下は半世紀以上前の本ですが、こんな具合で心理学の教科書的には言及はあるけど重要度は低い、という扱いです。

 精神分析学は、フロイトに始まり、アドラー、ユングによって三派に展開し、最近1940年頃から、ホルネー、フロム、サリヴァンなどによって、社会学的な方向に進んできた。(中略)
 アドラー(Alfred Adler, 1870-1937)はヴィーンの郊外に生まれ、医学を修め、精神科医となり、フロイトの高弟であったが、1911年にフロイトと分かれて’個人心理学'(Individual Psychology)という一派を立てた。それは、フロイトのリビドー説に反対して、人間行動の根源は’優越慾’であり、それが満たされぬところから生じる’劣等感’(inferiority complex)が根本動機であり、その’補償’(compensation)によってそれに打克とうとする、だから時に’過剰補償’(overcompensation)を起こすという。

出典:今田恵 『心理学史』1962年 pp.386-390(文献a)

 とはいえ、後世に再発見されたというわけでもありません。アメリカではアドラーが1935年始めた雑誌「The Journal of Individual Psychology」が現在も続いていますし、以下のように、明確な引用はされていない所でも多くの影響力を与えたという見解もあります。

It would not be easy to find another author from which so much has been borrowed on all sides without acknowledgement than Alfred Adler.
(アルフレッド・アドラーほど多く、無断であらゆる面を借用された著者を見つけるのは容易ではない:筆者訳)

出典:Ellenberger(1970) p.645(文献④)

Many of his views were incorporated into the works of such later theorists as Maslow, Rogers, and Ellis and thus are no longer associated with Adler’s name.
(彼の見解の多くは、マズロー、ロジャーズ、エリスなどの後の理論家の著作に組み込まれたため、アドラーの名前とはもはや関連付けられていない:筆者訳)

出典:Jess Feist&Gregory J. Feist(2009)p.69(文献⑤)

 例えば、40年代カウンセリングの手法を確立し、82年アメリカ心理学会員へのアンケート(文献d)で最も影響力のある心理療法家に選ばれたカール・ロジャーズは、アドラーに出会い影響を大きく受けたといいます(文献⑥)。また、同アンケートで2位であり後の認知行動療法に繋がった論理療法を考案したアルバート・エリスも、アドラーに大きく影響を受けたと記しています。

I was shocked by Dr. Adler’s very direct and deceptively simple manner of immediately relating to the child and the parent. It took me some time to realize how much I had learned from him.

私はアドラー博士の、子どもと親にじかに関わる、非常に直接的でだまされたと思うほどシンプルなやり方にショックを受けた。私がアドラー博士からどれほど多くのことを学んだかを認識するまでにはしばらく時間がかかった。

出典:Hoffman(1994)p.204(文献⑦)、訳岸見 (2005)p.265(文献⑧)

Every time I reread Alfred Adler, I am amazed at the similarity between the main principles of Individual Psychology and my own theory and practice of Rational-Emotibe Psychotherapy.

アドラーを改めて読み返すたび、個人心理学の主要原則と論理療法の理論と実践の間にある共通点に驚嘆する。

出典:Ellis, Albert(1971)p. 50(文献b)、訳森本(2020)p.135(文献c)

3.信奉感出る名前「アドラー心理学」

 名前+心理学というのも、独自性感、「アドラー先生の教えが」というカリスマ信奉感がどうしても出てしまいます。
 しかし、アドラー本人は自身の考えをIndividual Psychology(個人心理学)と銘打ちました。アドラー心理学はあくまで後世の人が勝手に読んでいるだけです。さっき出てきた雑誌も”The Journal of Individual Psychology”でしたね。

 日本では一般にはアドラー心理学で定着しています。『嫌われる勇気』の影響も大きいですが、それ以前1984年から「日本アドラー心理学会」が存在します。

個人心理学(Individual Psychology)というのが正式名称ですが、個人心理学というと、個人を細かく分析したり個人のみに焦点を合わせるように誤解されやすいので、日本では、この名称はあまり使われません。

出典:日本アドラー心理学会HP(文献⑨)

 ただし、「アドラー心理学」という呼称は日本だけではないようです。先ほどの雑誌”The Journal of Individual Psychology”の現在の出版は"The North American Society of Adlerian Psychology"(北米アドラー心理学協会)が行っています。
 この辺りは考え方次第なんでしょうか。日本でも先ほどの学会と別に2019年に「日本個人心理学会」が設立されています。
 なお、google検索ヒット数(2023.6.1現在、検索言語:English)ではIndividual Psychology687,000,000件、Adlerian Psychology1,280,000件と桁違いであり、英語圏の主流は前者と思われます。

4.極端な自己啓発本版「アドラー心理学」

 疑念を持たれる大きな要因として、自己啓発本ではより極端な表現がされることが挙げられます。強く言い切れば、共感にせよ反発にせよ印象に残りやすいですし、自己啓発を求める人は「強い言葉で押してくれ~」という思いもありそうです。
 アドラー心理学での代表が「トラウマの否定」です。『嫌われる勇気』では「アドラー心理学では、トラウマを明確に否定します」(p.29)と太字で明言しています。批判も多い点ですが、実際はアドラー心理学=トラウマの否定とは言えません。
 まず、現代の個人心理学ではPTSD(心的外傷後ストレス障害 Post-Traumatic Stress Disorder)にアプローチする研究もいくつもあります(文献⑩)。そもそも個人心理学の普及に大きく寄与した娘のアレクサンドラ・アドラー(Alexandra Adler 1901-2001)は、1940年代にPTSD研究の萌芽となる論文を出しています(文献⑪)。

 ではどうして「トラウマの否定」と書かれたのでしょうか。『嫌われる勇気』を筆頭に、よく引用されるのが以下の文章です。

It is here that individual psychology breaks through the theory of determinism. No experience is a cause of success or failure. We do not suffer from the shock of our experiences — the so-called trauma — but we make out of them just what suits our purposes.

個人心理学が決定論から逸脱するのはここにおいてである。いかなる経験も、それ自体では成功の原因でも失敗の原因でもない。われわれは自分の経験によるショック――いわゆるトラウマ――に苦しむのではなく、経験の中から目的に適うものを見つけ出す。自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって、自らを決定するのである。

出典:Adler(1931)p.14(文献⑫)、訳岸見(2010)p.21(文献⑬)

 「いかなる経験も」以降が引用されがちですが、その手前を含めて見ることが大切です。もう少し前から引きましょう。

One man with unhappy experiences behind him will not dwell on them except as they show him something which can be remedied for the future. He will feel, “We must work to remove such unfortunate situations and make sure that our children are better placed.” Another man will feel, “Life is unfair. Other people always have the best of it. If the world treated me like that, why should I treat the world any better?”(中略)A third man will feel, “Everything should be forgiven me because of my unhappy childhood.”

例えば、ある人は、その不幸な経験にはもうこだわることはなく、今度は、回避できると考える。そして「このような不幸な状況を取り除くために努力し、われわれの子供たちが、よりよい状況にあるようにしなければならない」と考えるだろう。しかし、同じような経験をした人が、「人生は不公平である。他の人は常にうまくやっている。もしも世界が私をそんな風にあつかうのなら、なぜ私が世界をそれ以上によく扱わなければならないのか」と感じるかもしれない。(中略)第三の人は、こんなふうに思うかもしれない。「私は不幸な子ども時代を送ったのだから、何をしても許されるべきだ」と。

出典:Adler(1931)p.13(文献⑫)、訳岸見(2010)p.20(文献⑬)

 以上は決して、PTSDの生死に関わる体験が想起される再体験症状や過覚醒症状などを否定するとは言えません。むしろ、以下のような厚労省HPのPTSDの項目に載っている一般的な考え方と合致します。

「トラウマ記憶は過去のことであり、思い出しても今の自分が被害を受けるわけではない」と実感してもらうことが治療の要点です。

出典:厚生労働省HP e-ヘルスネット「PTSD」、金吉晴(2021)(文献⑭)

 症状自体を否定してはいない、でも過去で全ては決定されず認識は変えていけるというわけです。「過去は変えられませんから今も変えられません、残念」ではどんな療法も無意味となってしまいます。
 この考え方は、様々な臨床心理学における患者のレジリエンス(回復力)という視点を踏まえれば理解が深まります。アドラー心理学単体で取り出すより、様々な臨床心理学の流れを理解する、そのためには主流の心理学の流れも理解する必要があります。
 この作業は大変で面倒です。自己啓発本ではすっ飛ばすのも分かりますね。細かいこと抜きにして「過去を言い訳にウジウジすんな」も有効な人はいますが、極化・簡略化することで切り捨てられる、曲がってしまう部分は無視してはいけないと思います。
 誤解や極論を簡単にボンボン詰め込むより、ちゃんと俯瞰した方が結果的に有用だと思います。

5.アドラー心理学や様々な心理学を役立てるために

 本シリーズではこれから、アドラー心理学の内容はもちろん、それが主流の心理学や臨床心理学とどう関係しているか探求します。臨床心理、中でも自己啓発分野に大きな影響と与えているものとしてアドラー心理学だけでなく、認知行動療法、マインドフルネス、ACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー)に焦点を当てる予定です。共通項や違いを見る中でそれぞれの理解が深まればと思います。
 考え成立の経緯を含めて理解することで、心理学や心理学を標榜する怪しい教えを冷静に見れる、有効に使う手がかりを得られるのではないかと思います。
(次回へ続く)

【参考文献】

①日本心理療法統合学会監修、杉原保史・福島哲夫編『心理療法統合ハンドブック』誠信書房、2021年
②岸見一郎・古賀史健『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』ダイヤモンド社、2013年
③サトウタツヤ・渡邊芳之『心理学・入門 ―心理学はこんなに面白い 改訂版』有斐閣、2019年
④Ellenberger, Henri F. "The Discovery of the Unconscious: The History and Evolution of Dynamic Psychiatry." Basic Books,1970
⑤Jess Feist, Gregory J. Feist"Theories of Personality (7th Edition)"McGraw Hill,2009
⑥金原俊輔「カール・ロジャーズの生涯」『長崎ウエスレヤン大学地域総合研究所研究紀要』11(1)、pp. 21–51、2013年
⑦E. Hoffman "The Drive For Self: Alfred Adler And The Founding Of Individual Psychology"Da Capo Press, 1994
⑧岸見一郎訳『アドラーの生涯』金子書房、2005年(原著:E. Hoffman "The Drive For Self: Alfred Adler And The Founding Of Individual Psychology"Da Capo Press, 1994)
⑨日本アドラー心理学会HP「アドラー心理学とは」:http://adler.cside.ne.jp/about_adler/(参照 2023年12月18日).
⑩Kern, R.M & Curlette, W.L "Trauma from an Individual Psychology Perspective" The Journal of Individual Psychology 72(3), pp.159-160, 2016
⑪A. Adler "Neuropsychiatric complications in victims of Boston’s Cocoanut Grove disaster" Journal of the American Medical Association 123(17), pp. 1098–1101, 1943
⑫Adler, A."What Life Should Mean to You" Little Brown,1931
⑬岸見一郎訳(『人生の意味の心理学(上)』アルテ、2010年(原著:Adler, A."What Life Should Mean to You" Little Brown,1931)
⑭金吉晴「PTSD」厚生労働省HP e-ヘルスネット:https://www.e-healthnet.mhlw.go.jp/information/heart/k-06-001.html(参照 2023年12月18日).
a)今田恵 『心理学史』岩波書店、1962年
b)Ellis, Albert "Reason and Emotion in the Individual Psychology of Adler" Journal of Individual Psychology 27(1), pp. 50-64, 1971
c)森本康太郎「論理療法と個人心理学」『国際研究論叢:大阪国際大学紀要』33(1)、pp.129-136、2019年
d)Smith, D.“Trends in counseling and psychotherapy”American Psychologist 37(7), pp.802–809, 1982

★アドラー心理学とは何か"臨床心理学と自己啓発を整理する" 一覧はこちら

記事一覧

#2 目的論・問題行動の目的
 https://note.com/gakumarui/n/n139ff9275b42
#3 劣等感・コンプレックス
 https://note.com/gakumarui/n/nc0049a487067
#4 「性格」の呪縛・ライフスタイル
 https://note.com/gakumarui/n/n5467ef6963de
#5「課題の分離」責任・主体は誰か
 https://note.com/gakumarui/n/ncbcf693f2a96
#6「ほめてはいけない」よりも見下さない
 https://note.com/gakumarui/n/n066f18b9fea7
#7 共同体感覚:他者貢献と感謝の循環
 https://note.com/gakumarui/n/n738695db8c69

#8 認知行動療法 ~行動・考え方の癖に気づく~
 https://note.com/gakumarui/n/n89e55aaeeed7
#9 マインドフルネス:今ここを生きる
 https://note.com/gakumarui/n/n9218f998c3f3
#10 ACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー)
 https://note.com/gakumarui/n/nff5de4e271e3

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