対立を差異へ:エニアグラムという人間学

ニューヨークのある病院での出来事──。
一人の幼い女の子、ナンシーが病院に両親に連れてこられる。
彼女は3歳だったが、生後1歳の体重・身長しかなかった。医師が診察をしても、どこにも異常は見当たらないのだが、それから3か月たってもあまり成長しない。

不審に思った医師が看護士に聞いてみると、入院以来、両親が一度も会いに来ていないという。医師が両親に尋ねたところ、若い夫婦は二人とも大学の研究生で、ある有名大学の博士論文の執筆に取り組んでおり、子供に会いに行く時間がないのだという。激烈な競争社会のアメリカでは、博士論文が通るか否かは二人の将来を決する重大なことだった。

医師はナンシーを、病院内で最も人通りの多い廊下にベッドを置き、そこに寝かせる。
そして次のような貼り紙をした。

「私はナンシーです。そばを通る人で時間のある人は私を抱きしめ、頬ずりをしてください。そして〈ナンシー〉と呼んでください。時間の足りない人はせめて立ち止まって、〈ナンシー〉と呼び掛けてください。本当に時間がなくて急いでいる人は、走りながら微笑を投げかけてください」

通りがかりの医師、看護師、職員、そして外来の人たちがこれに協力する。
それから3か月後、ナンシーは標準の体重・身長を取り戻した──。

周囲の人間から配慮され、愛情を注がれないと赤ん坊は成長しない。
赤ん坊は、その一人ひとりが、このナンシーなのだ。

赤ん坊は、世話をしてくれる人を目で追い、あるいは精一杯泣くことで人を求める。それでも誰も来てくれないと泣き疲れて静かになる。そうすると、心配になって誰かが来てくれる場合もある。
赤ん坊はこうして「目で追う」「泣く」「静かにする」「ニッコリ笑う」ことなどで、周囲の人間の愛情を引く。おそらくは本能的に、さまざまな求愛の方法を学習する。
この経験が、その後の根本的な性格の〈タイプ〉の形成に関与する。ニッコリ笑うタイプ。ひたすら泣くタイプ。静かにするタイプ。

このエピソードは、『自分探しの本──エニアグラムによる性格分析』(鈴木秀子監修/日本エニアグラム学会編、春秋社、1990年)で紹介されているものだ。
アフガニスタンに発し、2000年に及ぶ歴史を持つ「エニアグラム」は20世紀初頭、コーカサス地方出身の神秘家グルジェフによって体系化され、西欧社会にもたらされた性格分類であり、人間学である。
9つのタイプとその多様なバリエーションで人間を理解するエニアグラムはそれぞれのタイプの美質と影を明らかにするとともに、各タイプの人間としての成長の方向性を示している。

なぜあの人には懐かしさと言いたいような親近感を覚え、なぜあの人には苦手意識を感じるのか。
人はみな、異なる。
「対立・齟齬」を、互いの「差異」の認識へ──。
エニアグラムは人間個々の成長を支え、人間の社会に和解の可能性をうみだす知恵のレンズのようだ。

(文責:いつ(まで)も哲学している K さん)

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