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049.『重森三玲 庭園の全貌』中田勝康 著/写真


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“ ―― 彼はほとんど全ての古典庭園の実測を行い、文献も調査した。古典庭園についての時代背景と個々の庭園の特徴を、ほぼ完全に把握していたと考えられる。重森は日本庭園について、過去のどの作庭家よりも多くの情報を持っていた “

二十世紀の大作庭家、重森三玲の庭は、どのように生まれたのか。二部構成の本書では、第一部で非公開の個人庭園を含む113庭を撮り下ろし写真にて俯瞰。半世紀以上に及ぶ作風の進化と深化をたどる。第二部では「テーマ→抽象→造形」という作庭のプロセスを、古典庭園との比較から詳解。重森枯山水のルーツと創造の奥義に迫る。

●はじめに

 重森三玲(明治29年~昭和50年、1896~1975)は作庭の革命児といえる。夢窓疎石、古岳宗亘、雪舟等楊、上田宗箇、小堀遠州などと比較しても全く遜色ない作庭家である。彼はほとんど全ての古典庭園の実測を行い、文献も調査した。古典庭園についての時代背景と個々の庭園の特徴を、ほぼ完全に把握していたと考えられる。重森は日本庭園について、過去のどの作庭家よりも多くの情報を持っていたのである。

 彼は昭和11年からの3年間に全国の約300庭を実測し、同14年『日本庭園史図鑑』にまとめたが、そのうち243庭を同著で扱っている。重森は詳細な平面図、立面図を作成し、写真を撮影し、沿革を調べ上げてこれらを整理した。この地道な、しかも、膨大な時間と労力を費やした仕事が彼を大作庭家に育て上げたのだ。どれほどの才人であっても、いきなり東福寺本坊の庭を作ることは不可能である。しかし、現実に重森は作ってしまった。
どうしてそんなことが可能だったのだろうか。

p003追加重森亭林泉1377

重森三玲筆「林泉」

p003晩年の重森三玲

晩年の重森三玲

1 ―「永遠のモダン」の意味

 重森のデザインは「永遠のモダン」だと評されることが多いが、実際には彼は古典庭園が持つモダンな部分に着目したのだ。ではそのモダンな部分とは何であろうか。重森は古典庭園が持つ抽象的表現こそが永遠のモダンであると解釈している。現代まで生き残った古典庭園は、自然界をそのまま写すだけではなく、何らかの形で自然界を抽象化しているからこそ生き残ったのである。

 重森は独学である。古典庭園が彼の師匠であった。彼は古典庭園を実測する過程で、日本庭園の魅力が抽象化された自然にあることを見つけ出したのである。彼は「ありのままの自然を測ったのではなく、抽象化された自然を測った」のだといえる。

2 ―庭園芸術の宿命

 庭園芸術の評価が難しい理由の1つは、素材が自然にある石、草木、砂、水であり、しかも、それらを使って造形されたものも、やはり何らかの意味で自然の風景であるという点にある。多少下手な造形であっても、山や川があり、自然らしく作られていれば、ある程度の満足を得ることができるだろう。いわゆる自然の縮小コピーである。しかし、自然らしさを楽しむのであれば、自然そのものを楽しめばよいのであり、自然そのものに勝るものはない。庭園が芸術であるためには、自然の素材を使いながらも自然を超えた形を創造すること、言いかえるなら、あるがままの自然ではなく、人が感じた自然、単なる自然を抜け出した、自然を超えたものを創造することが必要である。

 庭園と類似の芸術として生け花がある。素材は草木であって、神の作った自然そのものだ。この自然の素材で自然を超えた形を創作することは、一見簡単なようで非常に難しい。無造作に花を生けても、それなりに美しい情景を得ることができる。しかし、生け花が単なる自然ではなく芸術であるとすれば、花が自然から切り離され、改めて作者が作り上げた独自の自然が再構築されていなければならない。

 作庭や生け花のように造形物が自然に近い分野の創作活動は、自然の素材で自然を超えた造形をする必要がある。できあがった造形物に感動を覚える理由は、生の自然の美しさにあるのではなく、その造形物に創造性があるからである。

 明治時代になって日本庭園が急速に自然の風景を写すようになった理由は、日本人がそれまでの日本文化に対する自信を喪失したからである。伝統文化から離れることが進歩であると、人々は誤解したのだ。

 重森が作庭と生け花の双方に興味を持ったのは偶然ではなく、人間の自然を再構築することに興味があったからにほかならない。彼が、終生生け花から離れなかったのは、鮮やかな色彩を持った彼の敷石を見れば明らかである。

 造形芸術は、人間が加工してこそ芸術になるのである。

 作庭家の宿命は、施主の要望に応える必要があり、作者の自由になりにくいことである。絵画や彫刻などの芸術作品は、自分の作りたい内容の作品を自由に作ることができる。しかし、庭園の場合は、あらかじめ施主の要望に従って、地形や庭園様式や費用などが決められている。与えられた条件を変更する余地は多少はあるが、絵画のように全く自由になるわけではない。この点で、庭園芸術はアトリエ芸術と違っている。

3 ―重森を評価するために

 重森は仏教、神道、道教といった宗教の研究も重ねている。それ故、彼の庭は「自然の風景を写しとる」のではなく、宗教的なテーマに従って創造されていることが多い。宗教的テーマなくしては成り立たないともいえる。写景的な庭から脱却して宗教的なテーマを掲げ、それを抽象的な手法で表現したところに彼の芸術の神髄がある。

 重森の芸術を総合的に評価することは難しいが、幸いにも彼は多くの著作と約200に及ぶ庭を残した。この現物の庭こそが、彼を評価する最も有力な手がかりとなる。

 そこで、筆者は公開社寺の庭はもちろんのこと、非公開社寺や個人庭園の調査にも力を注いだ。個人所有の庭の拝見は大変な苦労が伴う。しかし、重森の庭を評価するためには、半数以上を占める個人庭園を抜きにはできない。今回、多くの所有者の理解を得られたことに、著者として心から感謝したい。個人庭園は時代の変遷に左右され、維持管理にも膨大な費用がかかる。個人庭園の半数近くの庭が、既に消滅または荒廃の危機に瀕している。今のうちに彼の作風を記録しておかなければ、彼の業績が後世に正しく伝わらない。

4 ―八位一体の重森三玲

 筆者は重森三玲を尊敬している。彼は現代日本庭園の真の変革者だからだ。彼は明治29年岡山県に生まれ、少年時代から生け花、茶を始め、19歳で茶室も作った。

 東福寺の伝統的かつ革新的な庭は、昭和14年、彼が43歳の時の作品である。日本を代表する芸術である庭園は江戸時代になると、形式や手法をそのまま踏襲するのみで、創作がほとんど見られなくなった。古い庭のコピーである。重森は日本庭園を中心としたいわば「日本的芸術」の復興を目指したといえる。重森は、その人物像を一言で言い表すことができない巨人である。思いつくままに列記すると以下のようになる。

①作庭家:その生涯において作庭、改修した庭は約200庭。
②庭園研究家:庭園の地割や歴史に関する膨大な知識。昭和7年「京都林泉協会」創設。亡くなるまで会長であった。
③教育家:最も重要なことは、重森を慕うすべての人が心から弟子になったこと。
④実測家:昭和11年全国の庭園の第1回実測調査開始。『日本庭園史図鑑』(全26巻)上梓、昭和14年完結。
⑤写真家:上記『日本庭園史図鑑』の写真(銀板写真)は自ら撮影。
⑥著述家:昭和46年に不朽の名著『日本庭園史大系』(全35巻)上梓。
⑦生け花研究家:昭和5年、勅使河原蒼風氏らとともに『新興いけばな協会』創設。
⑧茶道家:自由な創作茶を好み茶室を設計した。独特の初釜を開催。

5 ―本書の構成

 本書は、「第一部 重森庭園の軌跡」、「第二部 古典庭園と重森枯山水」からなっている。

 構成内容については目次に詳しいが、重森庭園については、その分布図と詳細インデックスを目次の次に掲載した。

 第一部では、重森が生涯作庭した約200庭の中から、筆者が取材・研究した「現状で掲載可能な」113庭を、初出の個人庭園を含め作庭順に紹介している。昨今、重森の少数の有名庭園が紹介される機会は多くなったが、大多数を占める個人庭園についてはほとんど紹介されていない。個人庭園には、既に解体されてしまったもの、所在不明のものもあるが、取材が可能であった庭については、持ち主の方々に本書で紹介することの意義を認めていただき掲載が可能となった。

 第二部では、重森が綿密に実測調査した古典庭園が持つ特徴を紹介し、それを重森がどう捉えたかを考察し、作庭にどのような影響を与えたかを示した。詳しく読んでいただくと、「重森枯山水」が生み出される「奥義」が読み取れると確信している。


第二版の発刊によせて

 初版から9年、思いがけなく重版の運びとなった。

 第2版1刷作成のチャンスを得て、以下の内容を変更した。

1) 新たに撮影できた2庭の差し替えを行った。
・p.78の田茂井家Ⅰを村上家(島根県吉賀町)に差し替えした。村上家庭園は斬新な鶴島と「永遠のモダン」の特徴が顕著に表れている襖が多数ある。
・p.120の光清寺庭園を横山家庭園(三重県菰野町)に差し替えした。横山家庭園は広大な抽象枯山水庭園である。石組み主体の庭と幾何学的な抽象造形が特徴である。

2) また、初版よりさらに庭園の特徴を示す写真が撮影できたものについては、一部写真の差し替えを行った。

3) 初版出版後の情勢変化に対応して、国指定の名勝や登録記念物に指定されたものは、付記した。一方、庭園の消滅、所有者の変更、移設して復元等については、状況に合わせて情報を更新した。

 初版を上梓したあとも筆者の師・重森三玲への旅は続いている。この間改めて理解が深まったことは、重森の「永遠のモダン」についてである。

 抽象化度の高い造形は、古今東西を問わず「人類の普遍的価値に適合することである」。庭園においても古代庭園が劣っていて、現代庭園が勝っているわけでもなく、日本人の庭が優れていて、外国人の庭が劣っているとは限らない。要は抽象度の高い造形は万国共通の芸術的価値がある。蛇足ながら付け加えると重森は琳派に深い興味があったので、その影響を受けたヨーロッパ抽象主義思想を受入れたのであろう。

 とくに重森の抽象度の高い造景として、枯山水においても池泉庭園においても、護岸の扱いについて、独自の改革や工夫が感じらとられたので、そのことに注視して一部キャプションも書き換えた。

 加えて、重森の襖絵や庭園の独創的な造形の原点は、自身で創設した大学での講義録「現代美術思潮講義録」(大正12年重森27歳)にあったことがわかった。その中にマティスを「表現の単純化は形に於いてのみでなく、又色彩に於いてもそうであった」、カンデンスキーを「或る線条と色彩とを用いて自己の感情象徴したものでなくてはならない」と評している。その影響を重森は庭園では約20~50年後に反映し、襖絵は約30~50年後に自ら描いた。

 今回そのような庭園や襖絵の写真や、キャプションも増やしている。「単純化した直線と色彩」や「 単純化した曲線と色彩」の襖絵、庭についても注目していただきたい。

2018年8月 中田勝康


●書籍目次

はじめに

重森庭園分布図
重森庭園インデックス
記載方針と記述内容について

第一部 重森庭園の軌跡

001 重森生家〔天籟庵〕
002 西谷家〔旭楽庭〕
003 春日大社Ⅰ〔三方正面七五三磐境の庭〕
004 四方家〔海印山荘〕
005 正伝寺
006 春日大社Ⅱ〔稲妻形遣水の庭〕
007 東福寺本坊〔八相の庭〕
008 光明院Ⅰ〔波心庭〕
009 芬陀院Ⅰ
010 芬陀院Ⅱ
011 普門院
012 西山家〔青龍庭〕
013 斧原家〔曲水庭〕
014 井上家〔巨石壺庭〕
015 村上家〔曲泉山荘〕
016 小倉家〔曲嶌庭〕
017 西禅院Ⅰ
018 安田家〔白水庵〕
019 西南院
020 桜池院
021 正智院
022 石清水八幡宮Ⅰ
023 光臺院Ⅰ
024 西禅院Ⅱ
025 本覚院
026 岸和田城〔八陣の庭〕
027 少林寺
028 笹井家
029 河田家
030 前垣家〔寿延庭〕
031 瑞応院〔楽紫の庭〕
032 龍蔵寺
033 増井家〔雲門庵〕
034 岡本家〔仙海庭〕
035 越智家〔旭水庭〕
036 越智家〔牡丹庵〕
037 織田家〔島仙庭〕
038 旧片山家(渡辺家)〔和春居の庭〕
039 光明禅寺〔一滴海の庭・仏光の庭〕
040 医光寺
041 田茂井家Ⅰ
042 桑田家〔宗玄庵〕
043 小河家Ⅰ〔廓然庵〕
044 栄光寺〔龍門庵〕
045 臼杵家〔露結庵〕
046 都竹家
047 香里団地公園〔以楽苑〕
048 瑞峯院〔独座庭・閑眠庭〕
049 真如院
050 林昌寺〔法林の庭〕
051 山口家
052 志度寺〔曲水庭・無染庭〕
053 桑村家
054 光明院Ⅱ〔雲嶺庭〕
055 衣斐家
056 四天王寺学園
057 興禅寺〔看雲庭〕
058 光臺院Ⅱ
059 小河家Ⅱ〔古今亭〕
060 有吉家〔吉泉庭・有心庭〕
061 小林家〔林泉庵〕
062 龍吟庵〔西庭・東庭〕
063 清原家
064 安国寺
065 北野美術館
066 貴船神社〔天津磐境の庭〕
067 岡本家
068 西川家〔犀庵〕
069 石清水八幡宮Ⅱ〔鳩峯寮庭園〕
070 住吉神社〔住之江の庭〕
071 浅野家
072 光清寺〔心字庭〕
073 宗隣寺
074 常栄寺〔南溟庭〕
075 旧友琳会館〔友琳の庭〕
076 中田家
077 漢陽寺Ⅰ〔曲水の庭〕
078 漢陽寺Ⅱ〔蓬莱の庭〕
079 漢陽寺Ⅲ〔地蔵遊戯の庭〕
080 漢陽寺Ⅳ〔九山八海の庭〕
081 旧畑家(篠山観光ホテル)〔逢春庭〕
082 天籟庵
083 久保家
084 霊雲院Ⅰ〔九山八海の庭〕
085 正覚寺〔竜珠の庭〕
086 田茂井家Ⅱ〔蓬仙壽〕
087 深森家
088 竹中家
089 屋島寺〔鑑雲亭・坐忘庵〕
090 正眼寺〔観音像前庭〕
091 霊雲院Ⅱ〔臥雲の庭〕
092 旧重森家(重森三玲庭園美術館)〔無字庵庭園〕
093 芦田家
094 半べえ〔聚花園〕
095 小林家
096 信田家〔泉岩庭〕
097 石像寺〔四神相応の庭〕
098 善能寺〔仙遊苑〕
099 豊國神社〔秀石庭〕
100 志方家
101 岸本家
102 泉涌寺妙応殿〔仙山庭〕
103 漢陽寺Ⅴ〔瀟湘八景庭〕
104 漢陽寺Ⅵ〔曹源一滴の庭〕
105 福智院Ⅰ〔蓬莱遊仙庭〕
106 福智院Ⅱ〔登仙庭〕
107 東口家
108 千葉家〔千波庭〕
109 八木家
110 福智院Ⅲ〔愛染庭〕
111 松尾大社Ⅰ〔上古の庭〕
112 松尾大社Ⅱ〔曲水の庭〕
113 松尾大社Ⅲ〔蓬莱の庭〕
一休庭談 敷石を鮮やかに甦らせる

第二部 古典庭園と重森枯山水

- 第一章 古典から学ぶ

1 ―― 古典庭園の立体造形の手法
1・1 ―― 池泉庭園
1・2 ―― 枯山水庭園
2 ―― 古典庭園の技法に学ぶ
2・1 ―― テーマ
2・2 ―― 形
2・3 ―― 色彩
2・4 ―― 石組様式
2・5 ―― 素材

- 第二章 重森の枯山水はなぜ刺激的か

1 ―― テーマの必要性
2 ―― 抽象の難しさ
2・1 ―― 自然とは異なる人間の自然を抽象すべき
2・2 ―― 抽象による創作庭園について
2・3 ―― 枯山水の原点―土塀に囲まれた平庭の空間に小宇宙を作る
2・4 ―― 枯山水庭園の抽象度
3 ―― 立体造形と平面造形
3・1 ―― 立体造形の手法
3・2 ―― 平面造形の手法
一休庭談 杉苔の美を保つ

- 第三章 重森をより深く理解する

1 ―― 石組の奥義・秘伝
1・1 ―― 作庭記に基づく
1・2 ―― インスピレーション
1・3 ―― 有機的な石の繋がり
2 ―― 三要素を重森庭園にみる
2・1 ―― すぐれたテーマ
2・2 ―― 地理的条件を活かす
2・3 ―― 動きを表現する
2・4 ―― 龍安寺への挑戦
一休庭談 白川砂の輝きを取り戻す

- 第四章 芸術家・重森三玲

1 ―― 重森の意匠
1・1 ―― 斬新なデザインの庭
1・2 ―― 重森の池泉庭園
1・3 ―― 重森の露地と蹲踞
2 ―― 各種のデザイン
3 ―― 復元・修復の庭

おわりに

謝辞

本書掲載の古典庭園
参考文献


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『重森三玲 庭園の全貌』中田勝康 著/写真

体 裁 A5・288頁・定価 本体4000円+税
ISBN 978-4-7615-4089-0
発行日 2009/09/20
装 丁 上野 かおる

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