見出し画像

047.『建築家 浦辺鎮太郎の仕事 倉敷から世界へ、工芸からまちづくりへ』浦辺鎮太郎建築展実行委員会 監修

松隈 洋・笠原一人・西村清是 編著

画像1

“ ―― 地域に根ざし、伝統や風土と対話しながら、身の丈にあう近代建築のあり方を求め続けた浦辺鎮太郎の仕事は、これからの建築とまちづくりに大きな手がかりを与えてくれる “

大原美術館分館や倉敷国際ホテルなど、実業家・大原總一郎と共に倉敷の伝統・風土と対話し、地域主義を実践した初期。そして晩年、横浜での仕事に代表されるポスト・モダン時代の自在な造形まで。約300点に及ぶ実作から主要37作品を厳選し、初公開図面やスケッチ132点も収録。身の丈にあう建築を求め続けた建築家の全軌跡。英訳も全文収録。

倉敷展(終了) 2019年10月26日(土)〜12月22日(土)

横浜展(予定) 2020年11月14日(土)〜12月12日(土)

倉敷展のレポートもあります👇

●まえがきーごあいさつ

この度、「建築家 浦辺鎮太郎の仕事 ―倉敷から世界へ、工芸からまちづくりへ」展を開催する運びとなりました。

浦辺鎮太郎(1909~1991 年)は、岡山県児島郡粒江村(現・倉敷市粒江)に生まれ、岡山県第一岡山中学校、旧制第六高等学校を経て、1930 年、京都帝国大学工学部建築学科に入学します。1929 年の世界大恐慌が日本へ波及した昭和恐慌の只中で、満州事変から日中戦争、太平洋戦争へと突き進む苛酷な時代でした。それでも、当時の建築学科では、関西建築界の重鎮だった武田五一(1872~1938年)を中心に、藤井厚二(1888~1938 年)や森田慶一(1895~1983 年)、坂静雄(1896~1989 年)ら錚々たる教員が揃い、自由闊達な雰囲気が守られていました。浦辺は、建築雑誌を通して、遠くヨーロッパで始まっていた最前線の近代建築運動に憧れを抱き、ドイツのペーター・ベーレンス(1868~1940 年)や、造形学校バウハウスを創設したW. グロピウス(1883~1969 年)に共感し、フランスのル・コルビュジエ(1887~1965 年)にも傾倒していきます。しかし、同級生の西山夘三(1911~1994 年)らとマルクス主義の影響を受けた共産党シンパの活動で捕まり、半年間の停学処分を受けてしまうのです。そこで浦辺は、上京し、F. L.ライト(1867~1959 年)の高弟で、甲子園ホテル(現・武庫川女子大学/ 1930年)を完成させた遠藤新(1889~1951 年)に学ぶ機会を得ます。そして、彼の下で、ライトの作風をオランダの小都市ヒルヴェルスム(Hilversum)で風土化し、まちづくりを生涯の仕事とした建築技師のW. M. デュドック(Dudok /1884~1974 年)の生き方に強く惹かれ、自らの進むべき道を見つけるのです。

1934 年に大学を卒業した浦辺は、「倉敷のデュドック」となるべく、倉敷絹織(現・クラレ)に入社し、営繕技師として働き始めます。そこには、中学と六高の同窓で、創業者の父・大原孫三郎(1880~1943 年)の跡継ぎとして同年に正社員となった大原總一郎(1909~1968 年)との運命的な出会いがありました。また、上司には、孫三郎の依頼で陸軍省から倉敷絹織に転じ、大原美術館(1930 年)を手がけた薬師寺主かずえ計(1884~1965 年)という優れた先人の建築家もいたのです。こうして、浦辺は、大原とともに、倉敷をドイツの古都ローテンブルクのような歴史を大切に守り育てる都市にするべく、設計活動を始めていきます。1962 年には、大原の指示もあり、営繕部の仕事を引き継ぎつつ、さらに広く一般の設計とプレファブ住宅の研究開発を行う組織として倉敷建築研究所を設立、1964 年には、倉敷建築事務所を開設して独立し、建築家として歩み始めるのです。その半世紀に及ぶ設計活動で手がけた建築は、戦後の主要なものに限っても、約300点に上ります。そのうち倉敷に建つ建築は2 割近くを占めており、浦辺が大原とともに倉敷の風土と伝統に根ざすことを通して、自らの方法を練り上げていったことがわかります。

浦辺の仕事が特筆されるのは、初期の代表作である大原美術館分館(1961 年)や倉敷国際ホテル(1963 年)に象徴されるように、倉敷の伝統的な街並みと調和する近代建築の在り方を追求するなかで、ほかの建築家が成し得なかったクラフト(手仕事)とインダストリー(工業化)を融合させる新しい境地を切り拓いた点にあります。また、続く倉敷アイビースクエア(1974 年)では、赤煉瓦造の紡績工場の宿泊施設への転用という先駆的な試みを成し遂げ、行き詰っていた近代建築の潮流に、歴史との対話の大切さを自覚させます。さらに、倉敷市民会館(1972 年)や倉敷中央病院(1975~1981 年)、倉敷市庁舎(1980 年)などでは、近代建築が切り捨ててきた装飾や屋根、素材の色や質感などを統合して、華やかさと豊饒さをあわせもつ建築をつくり上げるのです。そして、横浜で手がけた大佛次郎記念館(1978 年)や横浜開港資料館(1981 年)、神奈川近代文学館(1984年)では、より自在なデザインによって、同時代のポスト・モダニズムとは一線を画した独自の建築世界を切り拓きました。その仕事に対しては、2 度にわたる日本建築学会作品賞を始めとして、「地域に根ざしたまちづくりと優秀な建築の創造活動による建築界への貢献」によって日本建築学会大賞、建築年鑑賞、毎日芸術賞など数多くの賞が授与され、その功績が称えられています。

生誕110 周年を記念し、没後初となる本展では、浦辺が倉敷絹織の営繕技師として活動を始めた初期から晩年に至るまでの全軌跡を紹介します。おりしも、明治維新から150 年を迎え、広く日本の近代とは何だったのかが問われ始めています。また、人口縮小社会という未知の時代の入口に立つ現在だからこそ、地域に根ざし、伝統や風土と対話しながら、身の丈にあう近代建築のあり方を求め続けた浦辺鎮太郎の仕事は、これからの建築とまちづくりに大きな手がかりを与えてくれるでしょう。この展覧会が、より良き生活環境を育んでいくための一つの起点となれば幸いです。

最後になりましたが、本展を開催するにあたり、ご協力いただいた関係各位と諸機関に心より感謝申し上げます。

主催者


●書籍目次

ごあいさつ

浦辺鎮太郎と倉敷と大原總一郎/大原謙一郎

知られざる浦辺鎮太郎の建築/藤森照信

市民のための建築を求めて/松葉一清

クラフトとインダストリーをつないで/松隈 洋

■ 序章 営繕技師としての出発 1934-1950 年

営繕技師を志すまで―京都大学の師弟交友関係から/松隈 洋

デュドックへの思い/笠原一人

薬師寺主計との出会い/上田恭嗣

1953 年ノート/西村清是

■ 第 1 章 倉敷に根ざした地域主義の実践 1951-1963 年

<論考>

二代続けた倉敷のまちづくり/上田恭嗣

浦辺鎮太郎と工業化/花田佳明

異なるモノをつなぐ対話的感性/竹原義二

<作品>

01 日本基督教団西条栄光教会(礼拝堂・牧師館・西条栄光幼稚園)(1951 年)

column 01 西条栄光教会の調査から見えてくるもの/和田耕一

02 倉敷考古館増築(1957 年)

column 02 倉敷考古館にみる「調和と区別」のデザイン/笠原一人

03 旅館くらしき(改修/ 1957 年)・珈琲館(1971 年)

topic 01 倉敷美観地区のまちなみ/辻野純徳

04 プレファブ住宅・PH-1(1963 年/現存せず)

column 04 プレファブ住宅・PH-1 の詳細について/花田佳明

05 倉敷レイヨン岡山第2 工場(1960 年)

column 05 工場建築から読み解く浦辺流/西村清是

06 倉敷レイヨン高槻アパート(RC-60 型)・独身寮(1964 年/現存せず)

column 06 RC-60 型―浦辺鎮太郎の社員寮建築/柳沢 究

07 日本工芸館(1960 年/現存せず)

column 07-1 クラシキモデュール(KM)について/西村清是
column 07-2 民芸運動と壁庇/笠原一人

08 石井記念愛染園女子単身者住宅(1961年/現存せず)・保育所(1962年/現存せず)

09 石井記念愛染園愛染橋病院(1965 年/現存せず)

column 08・09 一連の愛染園の施設/笠原一人

10 京都航空ビル(1961 年/現存せず)

11 大原美術館分館(1961 年)

column 11 大原美術館分館の八つの計画をめぐって/松隈 洋

12 倉敷国際ホテル(1963 年)

column 12 倉敷国際ホテルに結実する大原と浦辺のホテル構想/松隈 洋

13 倉敷ユースホステル(1965 年)

14 浜幸ビル(1966 年 )

15 両備バス西大寺ターミナル(1966 年)

■ 第 2 章 倉敷モデルの展開から転換へ 1964-1974 年

<論考>

モダニズムと「日本」─浦辺鎮太郎建築の葛藤と位置/重村 力

倉敷のまちが浦辺から受け継ぐもの/楢村 徹

残された浦辺精神の現在/西村清是

<作品>

16 東京造形大学(第Ⅰ期:1966 年/現存せず)

17 西条市立郷土博物館東予民芸館(現・愛媛民芸館)(1967 年)

18 東京女子大学研究本館1・2 号館(2 号館:1967 年、1 号館:1968 年)

19 倉敷レイヨン中央研究所(現・クラレくらしき研究センター)(1968 年)

column 19 大原總一郎への思い/西村清是

20 倉敷文化センター(現・倉敷公民館)(1969 年)

21 西鉄グランドホテル(1969 年)

column 21 浦辺鎮太郎のホテル建築/西村清是

22 倉敷商工会館(1971 年)

23 倉敷市水道局庁舎(現・倉敷市立自然史博物館)(1971 年)

24 倉敷市民会館(1972 年)

column 24 大原總一郎の夢/西村清是

25 倉敷アイビースクエア(1974 年)

column 25-1 コンバージョンの手法から読み解く/福濱嘉宏
column 25-2 「黒と白」から「白と赤」への作風の転機/西村清是
topic 02 一丁シャンゼリゼ計画と大原構想/西村清是

■ 第 3 章 ポスト・モダン時代の自在な造形 1970-1984 年

<論考>

浦辺さんとポスト・モダニズム/松葉一清

庁舎建築から見る浦辺鎮太郎/笠原一人

都市デザインの横浜と浦辺の関わり/曽我部昌史

<作品>

26 千里阪急ホテル(第Ⅰ期:1970 年、第Ⅱ期:1976 年)

27 紀伊風土記の丘松下記念資料館(1971 年)

column 27 遺跡へのリスペクトとその現代的「再演」/平田隆行

28 黒住教新霊地神道山大教殿(1974 年)

column 28 近代における宗教建築としての黒住教・太陽の神殿/朽木順綱

29 倉敷市庁舎(1980 年)

column 29 倉敷市庁舎への思い/笠原一人
topic 03 幻の市庁舎計画案/笠原一人

30 倉敷中央病院(第Ⅰ期:1975 年、第Ⅱ期:1980 年、第Ⅲ期:1981 年)

column 30 創立の志を受け継ぐ病院/辻野純徳

31 倉敷駅前再開発東ビル・西ビル(1980 年)

32 三州足助屋敷(1980 年)

33 六高記念館(1980 年)

34 日本女子大学成瀬記念館(1984 年)

35 大佛次郎記念館(1978 年)

column 35 撮影を通して見る浦辺建築/奥村浩司

36 横浜開港資料館(1981 年)

column 36 浦辺鎮太郎の建築類型学/中井邦夫

37 神奈川近代文学館(1984 年)・霧笛橋(1986 年)

浦辺鎮太郎の言葉/編・松隈 洋

掲載作品地図
年表
文献目録
作品リスト
出典
English Texts


☟本書の詳細はこちら

『建築家 浦辺鎮太郎の仕事 倉敷から世界へ、工芸からまちづくりへ』浦辺鎮太郎建築展実行委員会 監修/松隈 洋・笠原一人・西村清是 編著

B5変判・320頁・本体3600円+税
ISBN 978-4-7615-3252-9
発行 2019/10/20
装丁 木村幸央

いただいたサポートは、当社の出版活動のために大切に使わせていただきます。