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036. 『由布院モデル 地域特性を活かしたイノベーションによる観光戦略』 大澤健・米田誠司 著

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“ ―― 「変わらないためには変わり続けなければならない」という古くからの格言の通り、頑なに地域特性を守り続ける姿勢とは裏腹に、由布院温泉は絶えず変化し続けている “

由布院が観光地としての競争力を維持し続ける背景には、ブランドとイノベーションに裏づけられた「由布院モデル」があった。観光を手段としたまちづくりを通じて、「地域特性」と「ひとのつながり」をつくり、そこで生まれる持続的イノベーションが地域全体の市場競争力を強化する。地域活性化につながる新時代の観光戦略!


●はじめに――由布院のまちづくりの不思議


1.「観光まちづくり」の先駆者としての由布院

 1990年代以降、国内の観光振興の現場では「まちづくり」が最重要ワードの1つになっている。この時期、1980年代後半のいわゆるバブル経済が弾けて観光産業が閉塞状況に陥ったのとは対照的に、「まちづくり」を掲げる観光地が着実に人気を集めていった。観光を「まちづくり」と融合させる「観光まちづくり」の成功は、バブルの後遺症に苦しんでいる観光産業だけではなく、平成以降の長期的不況の中で活性化を模索する地方経済からも大きな注目を集めることになった。

 そうした「観光まちづくり」の成功例として常に筆頭にあげられるのが由布院温泉である。由布院は湯量の豊富な温泉に恵まれているが、観光客を大量に惹きつけるような目立った集客資源があるわけではない。むしろ、1970年代のマスツーリズムの成長期においても、その後に続いたバブル期のリゾートブームの中でも、押し寄せる観光開発の波に抵抗し続けることで、由布院盆地の豊かな自然と農村の静けさを守り続けてきた。こうした一貫した「まちづくり」の姿勢は、由布院温泉を九州だけではなく日本を代表する温泉観光地へと成長させていった。緑と温泉以外に「何もない」まちが多くの観光客を集める姿は、「まちづくり」がもつ大きな力を世に示すことになった。

 由布院温泉の成功物語は完璧なほどにストーリー化されている。

 日本の温泉観光地のトップランナーとして隆盛を誇ってきた別府の隣に位置する由布院温泉は、かつて「奥別府」と呼ばれる寂れた温泉街だった。閑古鳥が鳴き、仕入れ代金の支払いすらままならない中で、旅館の若手経営者たちは何とか現状を打破したいと決起する。彼らの導きの糸となったのは、かつて由布院を訪れた学者が示した「ドイツのバーデンを見習え」という言葉だった。そこで、3人の若手旅館経営者が借金をして決死のヨーロッパ視察を敢行する。遠い旅先で、「緑」と「静けさ」を何よりも大切にし、それを守ることに全力をあげるドイツの温泉保養地と出会う。温泉以外に何もないまちでのんびりと寛ぐことに最上の価値を見出す人たちを見て、自分たちのまちにこそ人を癒すために必要なものがすべてあることに若者たちは気づいた。そして、自分たちのまちが進むべき道は「クアオルト」=真の温泉保養地にあると確信して帰国する。

 帰国後に、彼らはリーダーとしてまちづくりを牽引していく。1975年の大分県中部地震の際には、「由布院温泉は健在です」ということを発信するために、まちに辻馬車を走らせ、牛喰い絶叫大会、音楽祭、映画祭というイベントの「つるべ撃ち」を繰り広げる。旅館の若手と住民主体の手づくりで始められた各種のイベントは由布院の知名度を全国区にするのに大きく貢献した。これらは40年以上経った現在でも続けられていて、「イベント上手」「宣伝上手」の由布院として知られるようになった。

 その一方で、このまちの緑と静けさを守ることに全力を傾け、巨大開発に抵抗し続ける。1970年代から全国の観光地が大型化していく中でも巨大な観光事業者が町内に入ることに異議を唱え、条例によって規制をかけた。こうした姿勢は1980年代後半に生じたバブル期の騒乱の中でも貫かれた。この時期、バブル経済の金余り状況を背景にして、政府までもが積極的に後押しするリゾートブームの中で、まちを飲み込むかのようなリゾートマンション開発計画が次々に沸き上がった。由布院温泉の旅館経営者たちは、湯布院町行政とタッグを組んで押し寄せるリゾート開発業者に徹底抗戦する。国の規制よりも厳しい制限を開発事業者に課すことは難しいと誰もが考える中で、1990年に「潤いのある町づくり条例」という先駆的な規制をつくることで開発業者を撃退して緑と静けさを守り通した。

 バブルの夢から覚めて、心の豊かさを求めるようになった人々はそんな由布院の魅力に改めて気づき、本当の豊かさと癒しをもとめて「何もない」温泉地へと多くの人たちが訪れるようになる。まちづくりの理念と思想を貫き通した由布院温泉は、こうして人気の観光地となっていった…。

 こうしたストーリーは、自分たちの地域の価値を自覚し、それを守り続けた由布院の「まちづくり」の姿勢をよく示している。由布院温泉のリーダーたちと町民が緑と静けさを守ることの重要性を認識した先見性と、そのために払った多大な努力は多くの称賛を集めてきた。理念と思想を持ったこのまちの姿勢は、貪欲な開発事業者とともにバブルに踊り、リゾートマンションが林立するまちへと姿を変えてしまった観光地とは鮮やかなコントラストを見せることで、平成不況の中でバブルへの深い反省の象徴的な存在になっただけではない。何もないまちが「まちづくり」を武器に全国有数の温泉観光地になった現実は、1990年代以降に長いトンネルへと突入していった国内の観光産業に進むべき新しいあり方を示すことになった。

2.由布院の「観光まちづくり」をめぐる疑問と課題

 しかし、こうした鮮やかなサクセスストーリーにもかかわらず、由布院温泉の「観光まちづくり」には、いくつかの根本的な疑問が存在している。

 1つ目の疑問は、リゾートブームの大波に抗して緑と静けさを守った理念と抵抗の姿勢は高く評価されるとしても、これだけが由布院温泉の「成功の理由」なのかという点にある。というのも、あえて抵抗しなくても、バブル経済の波さえ押し寄せることもなく「何もない」温泉観光地であり続けたところは全国に数多く存在する。バブルから取り残されて自然と静けさが保たれた温泉地が、同様に1990年代から多くの来訪者を獲得しているかと言えば、必ずしもそうではない。緑と静けさに満ちていれば人気の温泉観光地になれる、という簡単な話にはならないのである。

 こうした疑問は単なる揚げ足取りや屁理屈ではない。このまちが守ろうとした「由布院らしさ」について考える場合には、重要な意味を持っている。「緑」と「静けさ」は由布院温泉の「まちづくり」の中心的なテーマであり、その成功にとっての大きな要件だったことはその通りである。しかし、それが成功への必要条件であったとしても、それだけでこのまちの競争力の強さを十分に説明できるわけではない。由布院温泉の成功について語られる時には、しばしば必要条件と十分条件とが混同されている。このまちの競争力の源泉となっている「由布院らしさ」とは緑や静けさ以上のものであり、このことは他の鄙びた温泉観光地との対比から明らかである。

 そして、もう1つの疑問は、そもそも由布院は本当に田園風景と静けさを守ったのか、という点にある。由布院駅に降り立って、駅前通りから温泉地の象徴である金鱗湖に向かうメインストリート「湯の坪街道」は多くの飲食店や土産品店でにぎわっている。キャラクターショップや、地元産とは思えない雑多な土産を扱う店がならぶ様子は「九州の原宿」とも呼ばれ、ぞろぞろと歩く多くの観光客と、それをかき分けて進む自動車によって終日混沌とした賑わいを見せている。この様子は、田舎での静かな癒しを期待してきた観光客に大きな違和感を与えるとともに、少なからず失望させることも多い(図0・1)。

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図0・1 湯の坪街道の賑わい

 豊かな自然や田園風景とせめぎあう「原宿化」は、特に由布院のまちづくりの理念を高く評価する人にとって認めがたいものである。そのため、「由布院は先駆的な条例によって巨大な外部資本を追い払ったが、中小資本による小さな観光開発を止めることはできなかった。だから、まちづくりの理念を理解しない外部からの中小事業者によって虫食い的にまちが壊されている」と評される。

 こうした評価は一定の説得力を持つものの、公平なものとは言えない。というのも、外部からの多様な、そして時に雑多な要素を取り入れてきたことが、由布院のまちづくりのもう1つの特徴だからである。田園地帯を走る名物の辻馬車はもともとこの地域に存在したものではないし、日本の田舎の風物でもない。そもそもドイツの温泉地に範をとった「クアオルト」構想自体もまちづくりのリーダーたちが外部から持ち込んだものである。由布院の名を有名にした音楽祭や映画祭にしても、このまちにそうした文化的な素地があったわけではない。もともとあったものだけではなく、むしろ外部から多様な要素を取り入れて変化し続けてきたことが、この地のまちづくりのもう1つの顔である。湯の坪街道の喧騒も、こうした「伝統」の延長線上にあると言えなくもない。

 このように、由布院温泉の成功の理由が「まちづくり」にあることは疑いないが、その実相はどのようなものかとなると、実は明確な姿が見えそうで見えてこない。由布院の「まちづくり」は、外部資本による巨大開発に対して頑なに「由布院らしさ」を守り続けてきた顔と、外部からのさまざまな要素を取り入れながら変わり続ける顔という一見したところ矛盾する両面を併せ持っている。この2つの側面は、どのようにしたら整合的に理解できるのだろうか。

 そして、より大きな問題として、こうした相反する顔をもつ「まちづくり」がなぜ観光地としての成功につながったのだろうか。この温泉地には今なお年間400万人近い来訪者があり、ここ40年間「行きたい」観光地としての人気を維持し続けている(図0・2)。こうした持続的な市場競争力は、緑や静けさだけでも、「イベント上手」だけでも、一部の高級旅館がつくり出す洗練された田舎のイメージだけでも、十分に説明されない。由布院温泉は「まちづくり」によって、なぜ強くて持続的な市場競争力を獲得できたのか。本書の中心的な関心はこの点にある。

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図0・2 由布院の観光客数の推移(1970年から2005年までは湯布院町としてのデータ、2010年および2015年は由布市としてのデータ。出典:『由布市観光動態調査』より作成)

 こうした本書の問題意識をもう少し一般化すると、由布院温泉が先鞭をつけたとされる「観光まちづくり」において、「まちづくり」とはそもそも何を「つくる」ことなのか、そしてそれがなぜ観光の振興につながるのか、と言い換えることができる。由布院を先例として観光を振興しようとする地域からすれば、なぜ観光を振興するために「まちづくり」が必要とされるのか、あるいはさらに、どのような「まちづくり」を行えば観光を振興することができるのか、という問題を意味している。本書の目的は、「観光まちづくり」におけるこうした普遍的な問題を、由布院という先駆的な一事例から考察することにある。

 由布院のまちづくりについてはすでに多くの先行研究が存在していて、何かを改めて考察しようとすることには「今さら」感がある。しかし、こうした数多の研究にも関わらず、なぜ「まちづくり」が観光地としての成功をもたらしたのかという点は、不思議なほど明らかにされていない。本書は、従来の研究が必ずしも明らかにしてこなかった「まちづくり」と観光振興(観光地の競争力)の関係を考察することを主眼としている。

3.観光まちづくりの3つのフェーズ

 こうした問題を解き明かすために、本書は由布院の「観光まちづくり」を次の3つの「つくる」によって考察する。この3つの局面(フェーズ)が相互に関係しあう不可欠の要素となって、由布院のまちづくりは構成されている。

①地域特性(「由布院らしさ」)をつくる。
②ひとのつながりをつくる。
③市場競争力をつくる。

 由布院のまちづくりから何かを学ぼうとする場合、われわれは③だけに注目しがちである。このまちを有名にした多くのイベントをはじめ、旅館のありようや地産地消の推進など、観光客を惹きつけるための数多くの取り組みによって由布院は著名な観光地となった。このまちの成功に惹きつけられるように全国から訪れた多くの視察者たちは、成功要因となった取り組みについての情報を聞き出して地元に持ち帰っていった。それによって、由布院温泉で行われてきたさまざまなイベントや企画は各地で模倣され、全国に広がった。地域の名前を冠した音楽祭や映画祭は全国で行われるようになり、「牛喰い絶叫大会」を模倣した大声大会を開催したところも多い。馬車が走る観光地も珍しくなくなった。しかし、こうした地域が由布院ほどの成功を収めることはなかったし、イベントや企画が名物として定着しているところもほとんどない。

 その理由は、由布院温泉におけるまちづくりの要諦は①と②にあり、これらのフェーズと結びつくことによって③の市場競争力が実現していることにある。それゆえ、①と②なしに③だけを模倣しても観光の振興にはならないのである。

 まず、①については、この地のまちづくりが頑なに守ろうとした地域の独自性=「由布院らしさ」に関するフェーズである。この「らしさ」がまちづくりの核として、②と③のフェーズの基底となっている。由布院温泉の「らしさ」とはこの地に固有のライフスタイルに裏づけられたものであり、まちづくりの実践を通じてそれを守るだけではなく、新たに「つくる」営みを続けてきた。現在われわれがイメージする「由布院らしさ」とは、ここ数十年のまちづくりを通じて新たに創り出されてきたものである。

 そして、①の「地域特性をつくる」作業は、②の「つながりをつくる」というフェーズによって実践されている。由布院のまちづくりの特徴として、観光事業者を中心とする「民間主導」で行われてきたことがこれまでも指摘されてきた。多くのまちづくりが行政主導で行われていることとは、この点で対照的である。ただし、重要な点は単に民間主導か行政主導かということではなく、民間主導でまちづくりが実践されたからこそ形づくられた人々の「つながり」方、いわば人と人とが組織される形態にある。由布院の「つながり」の特徴は、「分野・組織横断的」でフラット(対等、水平)なネットワークが何らかの「実践」を通じてつくられていることにある。本書はこのようなつながりを「動的ネットワーク」と呼んでいる。まちづくりの実践におけるひとのつながり方に由布院温泉のもう1つの独自性がある。

 ①と②の「つくる」はそれぞれ、①は「何のために」観光まちづくりを行うのか、そして②は「誰が、どのようにして」まちづくりを行うか、というフェーズを表している。別の言葉で言えば、①は観光まちづくりにおける「目的」、そして②は「主体と方法」と言うことができる。それにたいして、③の「つくる」は「何を行うのか」という具体的な企画や実践のフェーズを指している。

 由布院の観光まちづくりの大きな特徴は、「何を行うのか」だけではなく、「何のために」「誰が、どのようにして」行うのかというフェーズを組み込むことで、観光地としての持続的な競争力が形づくられているところにある。まちづくりの中心に「目的」が据えられ、それを実現するために観光に独自の役割が与えられている①のフェーズと、さらにそれを実践する際に採られる②の「つながり」の独自性によって、③が十分な効果を発揮している。

 由布院のまちづくりについてのこれまでの研究でも、①と②の特徴は断片的に指摘されてきた。しかし、①や②のフェーズが、なぜ③の市場競争力につながるのかという最も重要な点は必ずしも明確にされていない。つまり、由布院温泉の成功の要因を探る中で①や②の特徴を見出すことはできても、①や②から逆に③を説明する試みはほとんど行われてこなかった。

 本書は、①と②のフェーズを③の市場競争力へと転化させる媒介項になっているのが、「ブランド」と「イノベーション」だと考えている。一般的に地域ブランドをつくることは、観光地やその産物をPRして知名度を上げることだと理解される場合が多い。確かに、由布院の場合にも、イベントを通じた情報発信の巧みさや洗練された旅館のイメージによって、高い知名度と高級感を得ている。しかし、「ブランド」の本質はそこにあるのではない。ブランド化とは「包括的な差別化」によって競争優位を獲得する戦略を意味している。こうした差別化戦略の核であるブランド・アイデンティティになっているのが、①の地域特性=「らしさ」である。他所とは明確に違った「由布院独自のライフスタイル」をブランド・アイデンティティに持つことで、観光地としての包括的な差別化が可能になっている。

 そして、「ブランド化」を核にした戦略は市場の変化に対応するイノベーションによって実現されている。「変わらないためには変わり続けなければならない」という古くからの格言の通り、頑なに地域特性を守り続ける姿勢とは裏腹に、由布院温泉は絶えず変化し続けている。こうしたダイナミックなイノベーションを生み出しているのは、まちづくりの過程でつくられた分野・組織横断的な「つながり」である。さまざまな実践を通じて重層的に形づくられたダイナミックな動的ネットワークが、地域内外の多様な人々の知識が混ざりあう場となることで不断のイノベーションの源泉になっている。地域の内部に豊かに張りめぐらされた「つながり」によって、さまざまな要素を取り入れながら絶えざる変化を繰り返すことで、地域特性を強化しながら市場に適応してきたことが由布院温泉の競争力を支えるもう1つの要因になっている。

4.本書の構成

 本書は、①、②、③のフェーズを順番に説明する形で展開される。

 第1章では、①のフェーズである「由布院らしさ」=地域特性の意味を明らかにするとともに、それをつくるための「手段」として観光事業者たちが担った独自の役割について説明する。これらは、まちづくりのリーダーである旅館の経営者たちの「理念」や「思想」であるとともに、由布院が温泉観光地として生き残っていくための戦略でもあった。こうした理念と戦略は、まちづくりの初期段階である1970年代に「明日の由布院を考える会」の活動を通じて形作られていく。その間のまちづくりの記録や、現地における関係者へのインタビューなどをもとに、「まちづくり」の基盤を明らかにしていく。

 第2章では、②のフェーズである「つながり」=「動的ネットワーク」の特徴とともに、その機能を考察する。本書は動的ネットワークを「参加者の主体的なコミットメントによる分野・組織横断的な水平な(対等で、平等な)人々のつながり」と定義する。由布院を有名にした名物イベントや、リーダーたちの旅館は、「動的ネットワーク」として重要な役割を担っている。これらを通じて「由布院らしさ」とは何かという理念が共有されるとともに、市場適応をもたらす新しい挑戦=イノベーションが生み出されている。動的ネットワークがなぜ持続的なイノベーションの母体になるのかについての考察は、イノベーションの発生を「知識」の動態的な交流によって説明する「組織的知識創造理論」の一連の研究成果の力を借りている。由布院のまちづくりの経験は、地域内外にある多様な「知識」をマネジメントする方法について大きな示唆を与えてくれる。

 第3章では③のフェーズ、由布院温泉が実際に観光まちづくりとして「何を行ってきたのか」について、①と②を組み合わせて考察する。これによって、①と②のフェーズが、ブランド力とイノベーションという媒介項を通じて③の市場競争力を生み出していることをいくつかの実践例から実証する。とりあげるのは、「小さな宿」とその経営方法の広がり、地域の農業と料理の関係(「食と農」)、アートイベントや景観形成を含む「文化のまち」づくりである。これらは由布院ブランドを構成する中心的な要素である。地域特性の核になっているこれらの領域で、持続的にイノベーションが繰り返されることによってこの温泉地の市場適応力が育まれてきたことを考察する。ただし、①と②が③を強化するという一方向の関係にあるのではなく、逆に由布院温泉の競争力によって①と②のフェーズが強化されていることも例証する。

 これらの考察を受けて、第4章では①と②がブランドとイノベーションという2つの媒介項によって③へとつながり、逆に③が①と②を強化するという観光まちづくりの「由布院モデル」を最終的に提起する。①、②、③の3つの「つくる」は、お互いが不可欠の構成要素となっていて、双方が原因であり、結果であるような相互循環的な関係になっている。由布院温泉の観光地としての成功は、時代に背を向けて頑なに地域の固有性を守ることによってもたらされたのではないし、逆に時代の流行に合わせて観光地のあり方を変えてきたことによるものでもない。地域の独自性を強化しながら、それを基盤とした持続的な変化によって積極的な市場適応を行ってきた結果である。このモデルによって、市場競争力を持続的に発展させていくために必要な基本的な戦略と、その戦略を「まち」という単位にまで広げて実践していくための仕組みを明らかにしたい。そして、「由布院モデル」を実際に適用した観光振興の実践例として、和歌山県田辺市の事例を考察する。

 なお、本書の前半部分である第1章と第2章は理論的な要素が多く、そうした議論が煩雑に思われるかもしれない。由布院を先行例とした観光まちづくりの実践的な活用を考える場合、第4章から読んでモデルの全体像を把握したうえで、その例証として第3章を読み進めるだけでも十分だと思われる。興味に応じて第1章と第2章でその理論的背景を理解していただきたい。本書はそうした逆向きの読み方もできるように意識して書かれている。

5.21世紀の地域振興モデルとしての「由布院モデル」

 この「由布院モデル」は、50年近くにわたる由布院温泉の「観光まちづくり」の過程を、地域特性を基盤としたイノベーションモデルという21世紀的な文脈の中で再評価する試みである。モデル自体は由布院の経験から抽出したものであるが、他の地域の「観光まちづくり」にも、さらには観光に限らず農業や地場産業による地域経済活性化にも応用できる21世紀型の地域振興モデルになると筆者は考えている。

 由布院のまちづくりはしばしば「反開発・反大資本」あるいは「アンチ・マスツーリズム」という20世紀的な文脈の中で理解されてきた。このまちの経験は、安易な外来型・外発型の経済発展に頼るのではなく、地域の固有性を基盤とした経済発展を志向してきたことから、「内発的発展」の成功例とする考察もなされてきた。これは間違っていないが、こうした文脈でとらえられると、まちづくりの理念の先駆性と抵抗の姿勢の気高さといった「アンチ」や「反」の部分が強調されがちになり、なぜ「まちづくり」が観光地としての成功につながったのかという肝心な点には十分な関心が払われてこなかった。これは「内発的発展」の理論自体が必ずしも十分に発展しなかったことにも大きな理由があるかもしれない。「内発的発展」という考え方は理念として非常に魅力的なのだが、それによって「経済発展」を実現する具体的な方法の解明はほとんど進まなかった。それだけ地域資源や地域固有の価値を活かした経済活性化は難しい課題だったともいえる。

 しかし、21世紀に入って、地域特性を活かした「内発的」な地域振興策の必要性が日本経済全体にとって、とりわけ国内の「地方」にとって増している。他所からの企業誘致や成功事例の安易な模倣といった外来型・外発型の経済振興がますます難しくなっているからである。これは、経済的にトップランナーになったからこそ、誘致や模倣すべき先行事例を追い求めることが難しくなっている先進国に共通する苦悩であり、すでに成熟期に入っている日本の観光も状況は同じである。それゆえ、今必要なのは、地域特性を活かした地域振興の具体的な方法を示す事例として由布院温泉の観光まちづくりを再評価することである。

 こうした視点からこのまちの経験を解明するための理論的な道具も21世紀的な経済環境の中で整えられてきている。「ブランド」と「イノベーション」は21世紀の企業、とりわけ先進国の企業にとって競争優位を獲得するための不可欠な戦略である。これは、「地域」という単位での競争力を説明する際にも同様の有効性を持っている。由布院温泉のまちづくりは、むしろこうした現代的な戦略を先取りする形で進められてきたが、この点が20世紀の文脈では十分に評価されてこなかった。由布院の観光まちづくりの経験を再評価することが、21世紀型の地域活性化の方法を考える上でも有益なヒントになると筆者は確信している。



●書籍目次

はじめに ──由布院のまちづくりの不思議

第1章「由布院らしさ」=地域特性をつくる

1.「まちづくりのための観光」という基本姿勢

2.「持続可能な地域」をつくる

3.観光が持つまちづくりの力

4.地域特性と観光の競争力

第2章「動的ネットワーク」=ひとのつながりをつくる

1.まちづくりの実践における「動的ネットワーク」の形成

2.「動的ネットワーク」とイノベーション

3.由布院のまちづくりと知識創造のプロセス

4.イノベーションと観光の競争力

第3章「市場競争力」=観光地としての成功をつくる

観光まちづくりの実践例1
由布院らしい「小さな宿」の拡がりと集積の過程

1.由布院らしさをつくる「小さな宿」戦略

2.由布院における旅館の形成過程

3.「小さな宿」戦略の拡がりと由布院温泉の競争力

観光まちづくりの実践例2
食と農のイノベーション

1.旅館からのスピンオフによる新規開業

2.由布院料理の発展過程

3.「由布院らしい」料理の発展過程と知識創造のプロセス

観光まちづくりの実践例3
由布院におけるアート・ムーブメントと景観形成

1.由布院のアート・ムーブメント

2.由布院の景観とデザイン

第4章 観光まちづくりにおける「由布院モデル」

0.「由布院モデル」と観光まちづくり

1.フェーズ① 「由布院らしさ」=地域特性をつくる

2.フェーズ② 「動的ネットワーク」=ひとのつながりをつくる

3.フェーズ③ 「市場競争力」=観光地の成功をつくる

4.「由布院モデル」の課題

5. 21世紀の観光地戦略としての「由布院モデル」

観光まちづくりの実践例4
由布院モデルの展開―田辺市熊野ツーリズムビューロー

1.「由布院モデル」を適用した観光プランニング

2.観光プランニングの過程

3.田辺市熊野ツーリズムビューローの活躍とイノベーション

4.田辺市での実践と「由布院モデル」

あとがき
引用・参考文献


☟本書の詳細はこちら

『由布院モデル 地域特性を活かしたイノベーションによる観光戦略』 大澤健・米田誠司 著

体 裁 A5・208頁・定価 本体2700円+税
ISBN 978-4-7615-2697-9
発行日 2019/02/28
装 丁 KOTO DESIGN Inc. 山本剛史

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