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§12.5 売票は売国だ/ 尾崎行雄『民主政治読本』

売票は売国だ

 今日では,まさか自分の1票を,わずかばかりの目くされ金で売るような心得違いの者はあるまいと思うが,なお念のため,私はここで投票を売ることは身を売ることである.自分の身を売るだけなら自業自得ともいえるが,まかりまちがえばそれは国を売ることになる.売票漢は売国奴だという私の持論を強調しておきたい.
 敗戦前の日本では,外国の資金が選挙にばらまかれる心配はまずなかった.だから,たとえ投票を売っても,その害毒は国内の財閥政治に身売りをした程度に止まっていた.しかし,敗戦後の日本の選挙は,そう簡単には考えられない.この選挙を機会に,或る種の施行を宣伝せんとする,外国の資金がばらまかれる可能性が絶対にないとは誰にも断言はできないであろう.
 今日では党費を公開せねばならぬようになったから,その心配は無用だというかも知れぬ.私も多年党費公開を力説し,公党と私党の区別は,党費の公開をするかしないかによって見分けがつくとさえ説いて来た1人だ.党費公開は大いに結構であるが,今迄発表せられた各党の党費を,うそいつわりのない正直な計算であると信ずるものが,はたして幾人あるだろうか.たとえうそでも,党費を公表したことは,段々正直な発表をしなければならなくなる道程として,しないよりはましだが,あの発表しただけの金額で,各政党の選挙と,政治活動のお台所がまかなわれていようとは,誰も信用しないであろう.
 これは闇成金から出た買収費,これは外国の宣伝費という風に,いちいち札にごく印でもおしてあれば,まさか売国的結果になるような札に,手を出す人もないだろうが,その見分けがつかない以上,まず君子あやうきに近よらず.金使いのあらい候補者は,国家の金も乱暴に使う人間に違いないとかん定して,投票しない方が一番無難であろう.
 有権者がまず金銭などには目もくれぬという気持で,公明正大な運動費を使って,正しい選挙運動に終始する候補者に投票すれば,鏡と影の因果関係で信用のおける議員が当選するに相違ない.


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底本
尾崎行雄『民主政治讀本』(日本評論社、1947年)(国立国会図書館デジタルコレクション:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1438958, 2020年12月24日閲覧)

本文中には「おし」「つんぼ」「文盲」など、今日の人権意識に照らして不適切と思われる語句や表現がありますが、そのままの形で公開します。

2021年4月22日公開

誤植にお気づきの方は、ご連絡いただければ幸いです。

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