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§8.6 おそのかノラか/ 尾崎行雄『民主政治読本』

おそのかノラか

 男女全く同権の新憲法はできたが,わが国現在の家庭には,まだ何等の変化も起っていない.旧態依然たる弱肉強食の封建思想が支配している家庭である.こういう家庭に寝起し,飲食している者が選挙にのぞみ候補者となり,議員となって国会に出たとき,そこだけで立憲的動作をなし得るはずがない.国政を民主的に料理しようとするならば,先ず家庭を民主的に改造しなければならぬ.しかして,この家庭の民主化こそ参政権をもった婦人が,愛情と勇気をもって成しとげねばならぬ大事業であると思う.
 今までの婦人がどうあせっても,家庭の専制君主である男の力,男の我ままを押えることはできなかったが,参政権を握った以上,婦人がやる気になりさえすれば,現在の男本位の法律制度を根本的に改めて,家庭の民主化を実現することは必ずできる.
 現代の婦人に望まほしきは,例の有名な義太夫『三勝半七酒屋の段』でおなじみの[#「おなじみの」は底本では「おなごみの」],おそのの従順よりも,むしろ『人形の家』のノラの決断である.(註)

(註) おそのは,夫半七の不身持ちを恨まず,去年の秋のわずらいに自分が死んでしまっていたら,夫と情婦三勝との関係も,もっとうまく行ったであろうとなげく.全く封建的奴れい道徳の泥人形である.『人形の家』はイブセンの傑作劇で,その女主人公ノラは――何百万の女性は何千年も昔から子供を生んで育てると同じように,本能的に盲目的に,肉体も霊魂もあげて無条件で男性に捧げてきた.これは女性にとって生まれながらに1の道徳であり義務であった.ところが法律は――男のつくった法律は,それとは別な形式一遍の道や義務を認めて,彼女達のそういう人類自然の愛情に根ざす献身やぎぎせいを認めない.否,男性は平生無事の日は,女性のささげるそういう自然な愛情を十分に享楽しながら,一旦,法律とか世間ていとかの形式的な束縛をうけると,昨日までの放恣な享楽主義は,一変して今日は品行方正な君子に成りすまそうとする卑怯者であり,横着者である.偶然の事件から,この間のきびにふれたノラは“わたし1人になって,わたしというものと,世間というものを正しく知る必要がある”といって,夫の引き止める袖をふり切って,3人の子供を残して夫の家をとび出してしまう.――のがあら筋で,19世紀末の婦人解放問題に,大きな話題を提供した問題の作品である.


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底本
尾崎行雄『民主政治讀本』(日本評論社、1947年)(国立国会図書館デジタルコレクション:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1438958, 2020年12月24日閲覧)

本文中には「おし」「つんぼ」「文盲」など、今日の人権意識に照らして不適切と思われる語句や表現がありますが、そのままの形で公開します。

2021年3月18日公開

誤植にお気づきの方は、ご連絡いただければ幸いです。

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