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§5.4 “人民による”政治/ 尾崎行雄『民主政治読本』

“人民による”政治

 もし国民が,正しい選挙を行い,選出せられた代議士が真正な政党を結び,(これまでの政党は公党にあらず私党であったことは第9章“公党・私党”のくだりで詳しく説く)全国民をうしろだてにした政党内閣制度を確立することに成功しておりさえすれば,明治憲法の下でも“人民による”民主政治はできたはずである.しかるに,選挙が腐敗し,当然の結果として政党が堕落した.しかも国民が自分の選挙の間違いを棚にあげて,政党の腐敗堕落を攻撃する一部軍人に共鳴し,甚だしきは少壮軍人が要路の大官を暗殺した暴挙をさえ,むしろ同情的な眼で見るにいたって,完全に軍閥官僚の乗ずるすきを与えてしまった.加うるに明治憲法には,内閣総理大臣の任免は天皇の大権であって,多数党の首領に大命が下るのが憲政の常道であるなぞと主張する者は,天皇の大権を干犯する国賊だと,筋の通らぬ理くつを一ぱし道理のように思わせる法文上の欠陥もなかったとはいえない.それやこれやで,わが国民は明治憲法の下で,民主的立憲政治を行うことに失敗したのである.
 しかし今度は違う.新憲法は“内閣総理大臣は国会議員の中から,国会の決議でこれを指名する”(第67条)ことを明記し,その国会は“国権の最高機関であって,国の唯一の立法機関である”(第41条)と規定し,天皇の大権はいちじるしく制限せられ,天皇はただ“国会の指名にもとづいて,内閣総理大臣を任命する”(第6条)に過ぎない,その上,更に新憲法はその前文に“主権在民”の大宣言をのせている.
 今や“人民による”政治を妨げるようなものは,アリ1疋もはいり込むことができないように,新憲法で幾重にも保障せられている.今日,もし日本の民主化の実現を妨げるものありとすれば,それは唯一つ,国民自身の無自覚怠まんがあるだけである.


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底本
尾崎行雄『民主政治讀本』(日本評論社、1947年)(国立国会図書館デジタルコレクション:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1438958, 2020年12月24日閲覧)

本文中には「おし」「つんぼ」「文盲」など、今日の人権意識に照らして不適切と思われる語句や表現がありますが、そのままの形で公開します。

2021年2月20日公開

誤植にお気づきの方は、ご連絡いただければ幸いです。

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