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§5.3 民主主義とは何ぞ?/ 尾崎行雄『民主政治読本』

民主主義とは何ぞ?

 では,その民主主義とは一たい何ぞ?
 民主主義という言葉にはいろいろな解釈があって,一定の定義を下すことはむずかしいが,この根本思想が,自由と平等と生存権の要求にあることはたしかだ(アメリカの『独立宣言』には“人は天から或る譲ることのできない権利を賦与されている.生存,自由及び幸福の追及はこの権利に属する”と宣言し,フランスの有名な『人権及び公民権宣言』には“人は出生及び生存において自由平等の権利を享有する”と宣言してある).
 この自由と平等と生存権の要求を,完全に保証し且つ実現することが民主政治の使命である.そして,そういう政治は誰が行うか.新憲法を活かすか殺すかは,全くこの問に対する国民1人1人の回答によって決すというもおそらく過言ではないであろう.
 アメリカ16代の大統領アブラハム・リンコルンは,あの有名なゲッティスバーグ・アドレス(註)の中で“人民の”“人民のための”“人民による”政治を讃美した.

(註) リンコルンは,奴れい解放の聖戦に倒れたいく多の人道の戦士たちの英霊を弔い,且つその名誉をたたえるための感謝祈祷会(ヒラデルヒヤのゲッティスバーグで催された)にのぞんで,敬けんな一場で演説をこころみた.これが有名なゲッティスバーグ・アドレスで,アメリカの公民教育のテキストにも使われている.ここにかかげた文句は,民主政治の鉄則として,しばしば引用せられる有名な言葉で,読者もすでにおなじみだろうと思う.

 ここに立派な哲人政治家があってつねに“人民の”味方となり“人民のために”すこぶるいい政治を行ったとせよ.その政治は完全に民意を尊重し,民意を基そとして行われ,人民のあらゆる自由と平等と生活権とが最高度に保障せられたりとせよ.かかる善政は民主政治と云えるか? 否である.それがどれほど国民に幸福を与える政治でも,小数の[#「小数の」はママ]支配者によって行われる政治は民主政治ではない.民主政治は必ず人民自身によって行われる政治でなければならぬ.


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底本
尾崎行雄『民主政治讀本』(日本評論社、1947年)(国立国会図書館デジタルコレクション:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1438958, 2020年12月24日閲覧)

本文中には「おし」「つんぼ」「文盲」など、今日の人権意識に照らして不適切と思われる語句や表現がありますが、そのままの形で公開します。

2021年1月17日公開

誤植にお気づきの方は、ご連絡いただければ幸いです。

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